ワンコの予防医療を学ぶ意義
私は獣医師ですが、災害救助犬の指導手(ハンドラー)としても熊本地震をはじめとした各地の災害現場に出動し、現地の動物たちがどのような生活をしているのかを垣間見てきました。そこで感じたのは、「災害はいつ起きるかわからないので、大事な動物のためにはつねに備えておかなければならない」ということでした。
ここでのテーマはワンコの予防医療ですが、これを学ぶには2つの大きな目的があります。それは、ワンコ同士でうつる病気を予防すること、そしてワンコから人へうつる病気を予防することです。感染症がどのようにうつるかを簡単に描いたのが図1です。
①動物のあいだで病原体が循環:犬ジステンパー、犬パルボウイルス感染症、犬伝染性肝炎、狂犬病など多くの感染症が含まれます
②動物から人に感染:レプトスピラ病や狂犬病など、犬やその排泄物から直接感染する感染症が含まれます
③別種の動物を介して感染:フィラリア症(蚊)、重症熱性血小板減少症候群:SFTS(マダニ)、バルトネラ症(ノミ)など、媒介動物があいだに入ります
④媒介動物を介して人に病原体が伝播:フィラリア症、SFTS、バルトネラ症などはすべて人にも感染します
[イラスト作成:ヨギトモコ]
災害という特殊な状況下で、この予防医療がとくに重要になる主な理由として、次のようなものがあります。
1:ワンコに大きなストレスがかかり、病気にかかりやすくなる
2:人も同じようにストレスから病気にかかりやすくなる
3:環境の急変で、ふだん出会うことのなかった病原体に出会う可能性がある
4:避難所など密集した環境で生活しなければならないことがある
5:通常の伴侶動物医療へのアクセスが難しくなる
6:同伴避難をする場合、ワクチン接種が条件のところがある
ワクチンでどんな病気が予防できる?
このような感染症への対策としてワクチンがありますが、ワクチンはすべての感染症を予防できるわけではありません。表1は一般的な混合ワクチンと、そのワクチンが予防できる病気です。
何種の混合ワクチンを接種するかによって、予防できる病気の数が違ってきます。5種混合ワクチンには4種類の病原体しか書いてありませんが、これは犬アデノウイルス2型が犬伝染性肝炎ウイルス(犬アデノウイルス1型)にも有効なためで、ウイルスは4種類でも5種類の病気に効果があるのです。レプトスピラ菌は種としては1種ですが、そのなかにたくさんの血清型があり、それぞれに対応するワクチンを接種する必要があります。レプトスピラの項目の「2種」や「4種」というのはその血清型の数です。狂犬病ワクチンは単味(単一の成分)の製剤だけで、唯一の法定のワクチンということもあって少し特殊な存在です。動物病院ではワンコの生活環境などを考慮して最適なワクチンを選択しているので、愛犬が何種の混合ワクチンを接種しているか、ということは確認しておいてください。
混合ワクチンの接種プログラム
接種プログラムについては動物病院のあいだで統一されていないのが現状ですが、一般に次の3つの方法があります。これら3つの接種方法にはそれぞれ理由がありますが、いずれも追加接種以降の感染症の予防効果としては、ほぼ同等であると考えて良いと思います。
【1:伝統的な接種方法】
図2は日本で以前から行われている接種方法です。この方法では子犬の時期に2回程度の接種を行い、その後は2回目の接種から1年後に追加し、その後1年に1回の追加を繰り返すものです。
【2:世界小動物獣医師会(WSAVA)のワクチネーションガイドラインによる接種方法】
図3~5は、WSAVAのワクチネーションガイドラインによる接種方法を示しています。このガイドラインでは、ワクチンを“コアワクチン”と“ノンコアワクチン”の2つのグループに分け、それぞれの接種の手順を解説しています。
コアワクチンはすべてのワンコにとって非常に重要で、接種が強く推奨されるワクチンです。これは世界中で見られる重い感染症に対するもので、犬の生命に直結する可能性があるため、広範囲の犬に対して免疫を提供します。これにより、集団免疫を獲得して全体の健康を保護することが目的です。コアワクチンが対象とする感染症には、犬ジステンパー、犬パルボウイルス感染症、犬伝染性肝炎、犬アデノウイルス2型感染症と狂犬病があります。
ノンコアワクチンは、特定のリスクを持つワンコにのみ必要なワクチンです。これは、感染リスクが高い特定の生活環境や状況にあるワンコを守るために使用されます。ノンコアワクチンは、そのワンコ自身が感染を防げるように個別免疫を獲得するためのものです。つまり、コアワクチンは自分も含めたみんなのため、ノンコアワクチンはそれぞれのワンコのためのワクチンということです。
WSAVAによる接種方法のとくに革新的な部分は、6~12か月齢での追加接種のあとは、コアワクチンの接種間隔を3年以上としていることです。これにより副反応のリスクを最小にして最大の効果を得られることが、複数のエビデンス(科学的根拠)で証明されています。
ノンコアワクチンについては、毎年ワンコのリスクを評価して接種するかどうかを判断していきます。ノンコアワクチンが対象とする代表的な感染症に、レプトスピラ病があります。これはネズミの尿などから感染する細菌性の感染症であり、水辺に行く機会の多いワンコに多いことが知られています。また、多くの混合ワクチンに含まれる犬パラインフルエンザウイルス(表1参照)もノンコアワクチンで、リスクがある場合は毎年接種を行います。犬パラインフルエンザウイルスのワクチンは、単味での製剤も入手可能です。
【3:抗体検査の結果で接種するかどうかを決める方法】
コアワクチンについて、6か月齢または12か月齢での追加接種の1年後から毎年ワクチンに対する抗体をチェックして、抗体価(血中の抗体の量)が病気の発症を予防するレベルよりも低くなったときに初めてワクチンを接種するという方法です。図6は、私の病院での方法を示しています。
子犬のときの接種プログラムはWSAVAのガイドラインと同じです。ここでは6か月齢ないし1歳齢での追加接種から1年後に採血して、コアワクチンの抗体価を測定します(①)。抗体が十分にある場合(陽性)(②)はさらに1年後に測定(③)し、陽性であれば(④)陰性になるまで毎年測定します(⑤)。陰性の結果が出て初めて追加接種を行います。実際にはほとんどありませんが、1年後に陽性でその1年後に陰性のことも考えられます(⑥)。その場合も再接種します。
1年後の検査で陰性の場合(⑧)、そこで再度接種を行います。このとき、最初と違うメーカーの製剤を接種すると、抗体価が上がりやすい傾向があります。1年後にまた採血して測定し、陽性の場合(⑨)は③に進みます。ここで陰性だった場合(⑩)は、子犬のプログラム+1年後+さらに1年後の接種で抗体価が上昇しなかったということなので、そのワンコはごくまれに見つかるノンレスポンダー(ワクチンが効かない子)の可能性が高いと考えられます。このようなワンコは感染症に対する抵抗力が低い可能性があるので、獣医師と家族が十分話し合ってその子に応じた対処法を決める必要があります。
私の経験ではこの方法により、7~8年間接種の必要がなかったワンコが何頭もいました。接種回数が少なくなることで副反応の発生リスクは当然減少するので、ワンコの負担は2の方法よりさらに軽くなります。抗体が十分にあってワクチン接種をしない場合には、ワクチン接種証明書の代わりに抗体価の証明書を発行してもらうことができます。しかし、避難所でワクチン接種を義務あるいは努力義務としている場合は、地域によって判断が変わってくる可能性もあるため、できれば事前に自治体やかかりつけの獣医師などに確認しておくと良いでしょう。ノンコアワクチンについては2と同様、毎年リスク評価をして接種するかどうかを判断します。
狂犬病ワクチンの接種プログラム
接種方法が法律で定められているのが狂犬病ワクチンです。狂犬病予防法施行規則の第11条には「予防注射の時期」として接種方法が定められていますが、これによれば生後91日以上の犬は3月2日から6月30日までのおよそ4か月のあいだに接種することになっています(図7)。狂犬病ワクチンの接種は義務で、接種しない場合には罰金が課せられることもあります。
その他、寄生虫(犬糸状虫:フィラリア、ノミやマダニ、回虫や鉤虫などの消化管に寄生する虫)の予防も重要です。ワクチンや寄生虫の予防・駆除は日常的に行っていることですが、少し視点を変えて、災害時にどのような意味があるのかを考えてみてもいいのではないかと思います。
ワクチン接種や寄生虫の予防は、すべての疾病を対象にしなければならないわけではありません。大切なのは、自分の愛犬がどの程度の予防医療を受けているかを理解すること。たとえば、レプトスピラ病のワクチンを接種していないワンコは水辺に近づけないなど、それぞれのリスクをできる限り管理することです。これによって、感染を防いだり、感染してしまったときは早い段階で発見して、ほかの動物や人への影響を最小限にすることができるようになります。
今回の解説が、災害時の感染症対策に少しでも役立てばと思います。
*本稿は季刊誌「wan」2023年10月号(9月14日発売)に掲載している記事のダイジェスト版です。全文はそちらをご覧ください。
【執筆】
栗田吾郎(くりた・ごろう)
獣医師、北里大学大学院感染制御科学府感染制御科。