児童文学作家・岡田貴久子さんが猫たちに注ぐとびきりの愛情

多くの保護猫と暮らしてきた、児童文学作家の岡田貴久子さん。『宇宙スパイウサギ大作戦』シリーズや『バーバー・ルーナのお客さま』シリーズなど、子どもたちの胸を躍らせる物語を執筆するとき、傍らにはいつも猫がいました。

そんな岡田さんに、猫と出会ったきっかけや、7匹の猫と暮らす生活、執筆活動に猫が与えてくれた影響などをお聞きしました。

写真:これまでたくさんの猫と暮らしてきた岡田貴久子さん

猫との出会い

私は転勤族だった父の勤務地・静岡県浜松市で生まれて、「出身地」とは「15歳までに最も長く住んだ場所」という定義に倣うと、大阪府豊中市が出身地です。10代を過ごした兵庫県の西宮と宝塚もともに、思い出深い故郷です。

社宅だったので、猫や犬と暮らすのは難しかったのですが、幼いときから動物全般が好きでした。手乗りのセキセイインコは何世代も育てましたし、お祭りで買ったヒヨコが鶏になって、早朝、時をつくるのには苦労しました。蝶やカメやオタマジャクシも飼っていました。

昔は捨て犬が多くて、大人に内緒で世話をするのですが、なにぶん子どものやること、満足に面倒をみてやれず死なせてしまうのが常でした。ミッション系の幼稚園に通っていたので、中庭のマリア像に「神さま、よい子になりますから、動物を幸せにしてやれる大人にしてください」と真剣にお願いしました。神さまは願いをきいてくださったんだと思います。私はよい子であるかどうか、幼い頃に立ち返り自分にきくことを忘れまいと思っています。

猫との最初の出会いは、大学を卒業してから。
卒業した年の5月に結婚後すぐ、夫の勤務地・横浜の小さなアパートに移り住みました。するとそこへ、小さなキジ猫が親しくやってくるようになり、そのこが「うちのミイ」になりました。私たちは若く貧乏で、安売りのイワシを2人と1匹で分け合ったものです。

その2年後、公団住宅の抽選に当たり、そこでは「ペット禁止」だったので、ミイは兵庫県の実家預かりになりました。両親ともに動物好きで、格段に暮らし向きの良くなったミイは毎日のお刺身を楽しみつつ、そこで猫生を全うしました。

公団住宅に入居後、子どもが生まれました。
私は教員免許を持っていて働くつもりでいましたが、当時は「寿退社」の時代。新卒でも、女子は自宅から通えなければ採らない、下宿生お断り、など、企業が平気でそんな条件を出すような時代です。既婚で子どものいる女性の職場はじつに限られていました。新聞の求人欄をみて面接に行けども門前払い。ごく自由な家庭で育ち、当然のように大学で学び生活を立て社会に貢献する、私の力不足も大いにあったかとは思いますが、社会は理不尽と思ったし、残念でしたね。そんな経緯から、とりあえず、子どもの面倒をみながらできることはないかと考えるようになりました。

そうこうして、子どもに絵本を読み聞かせるうち、「そういえば子どもの本が大好きだった」ということを思い出し、というか、思い至り、さらに、「これこそ私にできることかも」と、思いついたわけです。そこで子どもが3才になったときに、日本児童文学者協会の主宰する児童文学学校に通い始めました。毎週土曜日に授業があり、藤田圭雄さん、大石真さん、岩崎京子さん、松谷みよ子さんなど、児童文学の基盤を作られた錚々たる方々が講師を務めていらっしゃいました。

夫は「これこそ私にできることかも」をとても喜んでくれて、授業のある土曜日は、子どもを公園巡りや横浜の遊覧船・赤い靴号の湾内一周などに連れ出して遊び、寝かしつけ、私の晩ごはんも用意してくれました。
こうして、子どものお話を書くようになったんです。

「これこそ私にできることかも」という甘さは早々に打ち砕かれ、書くことに苦労しない日はありませんが、それでも素晴らしい先輩に同輩諸氏、優秀な編集者のみなさんや出版社に恵まれ、お話を楽しんでくれる子どもたちあって、今日の私があります。

夫はなかなかに厳しく、私がのんびりしていると「ちゃんとやってるの?」とか「それがやりたかったことなの?」とかハッパをかけてくる人ですが、彼のおかげでやはり、私の今日があります。

写真:長年にわたって愛されてきた作品の数々

次女が詩人・草間小鳥子です。第27回「詩と思想」新人賞を受賞して、2023年には詩集『源流のある町』で萩原朔太郎賞の候補になりました。子どもの本でも、2016年「座布団いちまい!」というお話で北日本児童文学賞の最優秀賞に選ばれています。
娘は「文学少女」というタイプではありませんでしたが、大人になってある日突然に、詩を書き始めました。彼女なりに何か切実に思うところがあったのでしょう。国語教育に力を入れる学校に通っていたので、習ったことに則ったと言っていましたが、出来たものは、はじめから詩として完成されていました。

創作は、勉強して仕上げる、というのとは質の違うことかもしれないと感じます。2023年に新潮社から出た『穏やかなゴースト』は画家・中園孔二の評伝ですが、彼は16才のある日突然に、「絵が描きたい」と言って、自室の壁に絵を描き始めました。不慮の事故で惜しくも25年の生涯を閉じるまで、がむしゃらに描き続け、その600点にものぼる絵画作品は今も、生命力の輝きにみちています。そうして観る人にさまざま強い印象を残します。勉強、とは違っても、それでもがむしゃらに進むことでしか見えてこない到達点があるのだと感銘を受けました。
病気や家族の介護で書くに書けないときがあったし、これからもそれはきっとあるだろうけど、私も精進しよう、そう思わされました。

保護した猫の世話をつづける

長女が幼稚園年長組の時に黒茶トラの子猫を拾いました。当時住んでいた公団住宅も「ペット禁止」で、里親を探しましたが見つからず……。今のようにSNSも保護猫活動も一般的ではなかった頃です。そこはもう腹を括り、内緒で飼うことにしました。火災報知器の点検や配管工事などのときには、隣り近所が預かってくれました。性格の良い穏やかな猫は皆に愛されて、20年と10ヵ月の長寿を全うしました。南塚直子さんが絵を描いてくださった『ほんのちょっと、夜』に出てくるアンモナイト形の猫、それはこの猫がモデルです。

写真:『ほんのちょっと、夜』のモデルは岡田さんが最初に迎えた猫

その後、今度は私が2匹目を拾いました。瀕死の状態で、生まれつき片方の目に眼球がない猫でしたが、友人で小説家の坂東眞砂子が、「それでも拾われるような運の強い猫と一緒だったら、運が向いてくるに決まってる。うちにおいで」と言い、マヌーと名付けて引き取ってくれました。直木賞作家として名を馳せるずっと前、彼女がまだ20代だった頃の話です。後年、猫をめぐる発言で彼女は物議をかもしたことがありました。でも私は今でも、10年前に亡くなってしまった彼女の故郷・高知に足を向けては寝られないと思っています。

そうしてついに、マンションを買い、戸建ての家を買ったのは、他ならぬ猫のため。どんどん増える「おうちのない」猫のため。猫を保護すると、不妊・去勢手術や予防接種を受けさせてから貰い手を探すのですが、これが簡単には見つかりません。猫はどのこも可愛いのに、キジだのトラだのブチだの、ありふれた猫だからでしょうか。ありふれた猫のありふれた幸せをかなえてやるのがこんなにも難しい。無力だなあ、と悩み、それは今もそう思います。結局みんな、うちの猫になって、14匹もいたときはそれはもう、お世話が大変でした。

2002年に横浜市青葉区で、人と猫との共生を目的とする「ねことの暮らしを考える協議会」が立ち上がり、キャットメイト(のら猫生活改善支援者)の認定がはじまりました。キャットメイトとは、責任をもってのら猫の生活を改善して、屋内で飼ってもらえるようにし、結果として不幸な猫が増えないようにするボランティア活動を指します。地域のみんなでのら猫を見守るための取り組みなんです。

私もキャットメイトとして認定されています。キャットメイトになることで、青葉区の予算とキャットメイトからの会費そして寄付を原資とする不妊・去勢手術の助成金や、協賛の青葉区の獣医師による手術代の割引を受けられます。また、ご近所の理解を得るうえでも役立ちます。うちにごはんを食べにくる外猫のことも、「キャットメイト活動のガイドラインに則って、不妊・去勢手術をしたうえで世話しています」と説明すると、みなさん、おおかたは理解してくださいます。

この取り組みの成果か、ここ数年ほどでのら猫はずいぶん減りました。
それでもまだまだ、助けが必要な猫たちはたくさんいます。私は全ての猫や犬におうちがあるべきだと考えていますが、私がしているようなことは“保護活動”というには口はばったい。私財や個人的な生活も投じて動物保護に奔走する方々がいらっしゃる。頭が下がります。同時に、個人が私財も生活も投じなくても、猫や犬が捨てられることなく温かく保護される枠組みがもっと作れないものかとも思います。小さきもの弱きものと共生する社会は人間にも生き易いものでしょう。ケガや病気で壊れやすく年老いる私たちは、いつでも誰でも、小さきもの弱きものになり得る、じつはか弱い存在ですから。

岡田さんの愛猫たち

現在は、7匹の猫と暮らしています。

このこは白猫の男の子ユキです。2010年にうちの勝手口に来たとき、すでに成猫だったので、15才は超えているかもしれません。外にいた頃はかなりのハンターで、アブラコウモリだのヘビだのトカゲだの、せっせと捕ってくるのにはまいりました。獲物に息があるときは手当てして、よこはま動物園ズーラシアに連れていって治療してもらったことも数知れず。よその猫と喧嘩をして大ケガをしてからは、大人しくイエネコをしています。

写真:インタビュー中にくつろぐユキ

これは青い目の白猫の女の子ビビです。超ビビりだから、ビビちゃん。ユキと同じ15才ぐらいか、もう1才ほど若いか。これはお客さまと遭遇してパニックになり、匍匐前進しているところ。

写真:岡田さんに呼ばれて様子をみにきたビビ

このこはキジ猫の男の子アトム。額の模様にちなんで「鉄腕アトム」ですが、トンちゃんと呼ばれています。ビビちゃんと同じぐらいか、こちらももう少し若いか。気のいいこで、誰とでも仲良くやっています。しっぽが数字の7のようなカギしっぽなので「セブン!」と呼んでも返事をします。

写真:額の模様が特徴的なトン

このこは気が強く賢い三毛猫のミキティ。愛称はミイミ。キナコの娘で2009年の秋生まれ。身体能力が高く動体視力に優れた必勝必殺のゴキブリハンター。

写真:気が強く賢いミイミ

このこは赤茶トラの女の子キナコ。ミイミのおかあさんです。赤茶トラは圧倒的に男の子が多く、女の子が生まれる確率は二万分の一といわれています。そのせいか、いや、そんなせいじゃないとは思いますが、わがままで、娘(ミイミ)を育児放棄。慕ってくるミイミを邪険に扱うので、𠮟られるたび、「あんたのせいよ!」とミイミに八つ当たりする。で、また𠮟られる、おバカちゃん。

写真:岡田さんに抱っこされるキナコ

ユキと一緒にいるのがキジ猫の女の子チッチ。2011年の6月頃、ユキが拾ってきた子猫です。まだ生後半年ぐらいだったと思います。男の子のユキを、まるで母親のように慕っています。小柄でクリクリお目々が可愛い、うちのアイドル。

写真:ユキ(左)と寄り添うように寝るチッチ(右)

このこは3月で18才になる男の子マシロ。チビコちゃんというおかあさん猫に連れられてうちの庭に来たきょうだい猫のおにいちゃん(おとうと?)。大柄な食いしん坊。すくすく育った、という表現がぴったりの、素直で温和な性格。NHKの『ネコメンタリー 猫も、杓子も』ではきょうだいのコタロと一緒に紹介されたのですが、コタロは昨年の秋、腎不全で亡くなりました。

写真:インタビュー中は毛布の下で寝込んでいたマシロ

このこはキジ猫の男の子コタロ。チビコちゃんに連れられてうちの庭に来たきょうだい猫のおとうと(おにいちゃん?)。俊敏で賢く肝が据わっている。動物病院への道中にキャリーケースを壊して逃亡、1週間後に自力で帰ってきた武勇伝の持ち主。腎不全を患っていましたが、寝たきりになっても機嫌よく愛らしく、呼びかけにこたえてくれた。命の最後の一滴までを余さず生ききったあっぱれな猫です。

写真:コタロの遺影。岡田さんによると「目もとに往年の利かん気が滲むコタロらしい写真」

猫の寿命はのびたとはいえ、人間のそれよりはやはりずっと短いので、おしまいにはどうしても見送ることになります。死は辛く、慣れない。どんなときにも後悔があり、死の辛さと自分の不甲斐なさへの怒りでいたたまれなくなります。漫画家・こざき亜衣さんの言葉「猫のいけないところは早く死んでしまうことだけ」に共感します。それでも、自分が猫を残してゆくよりいい、とは思えます。

猫を迎えるときは一生を引き受ける覚悟ですが、ささやかな猫生も20年近くともなれば、いろいろなことがあります。猫が病気になったりケガをしたり、というだけではなく、自分も病気をしたり、災害に見舞われたりすることもあります。職を失ったり、なんらかの事情が出来(しゅったい)して猫の面倒をみられなくなったときにどうするか、これは考えておかなければならないことですね。
うちの場合、幸い、子どもも動物好きなので、夫や私に何かあったときにはどうかよろしく、と前々からひらにお願いしています。お金はこれを使ってください、とそれも伝えてあります。
信頼できる誰かに託すことができればそれが一番ですが、まずはそんな非常事態をできるだけ避けられるように、日々、きちんとごはんを食べ、危険には近づかず深酒はせず、嫌いな運動もちょっとして、なるべく長生きできそうな生活を心がけるようにしています。本気です――というようなことは、猫、あるいは人間とは異種の家族と暮らす人たち以外には、ほとんど戯言と受け取られるので、おおっぴらには言わないようにしています。

亡くなった母は長く認知症を患い、「いいことしかおぼえていない。そうね、いいことしかなかったの」とすまして言うような人でした。ふいに真面目な顔になっては「きっこちゃんちの幸せは猫たちがまもってる」とも言い、母独特の「きっこちゃん」のアクセントが耳によみがえるとき、こうして元気に働けているのはたしかに節制を心がけてきたからかも、となんだか妙に腑に落ちます。

そうですね。猫は自立していて、若く元気な時にはとっととごはんを食べるし、トイレもきれいにすませ、自分なりにひとり時間を楽しんで健やかに眠ります。だからほとんど手がかからない。ただ年をとるとやっぱり、何かと不具合が出てきますね。
うちの猫もみんな高齢猫ですから、腎不全のあるこには週一の補液に腎臓病に良いごはん、免疫不全で全顎抜歯や全臼歯抜歯しているこだと、また別のごはん、関節の悪いこにはサプリメント、便秘がちのこには特製スープ、というように、配慮が必要になります。できるだけできるだけ、正しいごはんを食べさせるようにはしていますが、なにせたくさんいて、それぞれひとのごはんの方が美味しく見えるようで、なかなか厳密にやるのはむずかしいですね……。

写真:猫ごとに違う食事を用意

動物病院のお世話になることも増えました。近隣の総合的に診察してくださる先生とは別に、歯科にもかかります。江東区に動物歯科の名医がいらして、うちの猫もずいぶん助けていただきました。猫にはわりあい歯のトラブルが多く、歯がだめだと食べられず、食べられないと腎臓・肝臓に障害がでて、即、命に関わるという悪循環に陥るうえ、高齢になると麻酔をかけられないという問題もあります。猫は辛抱強く痛みを我慢するので、気がついたときには相当悪化していることがあり、ほんとうは定期的に検診するのがいいとわかってはいても、猫たちは病院大嫌い、キャリーに押し込むのも大騒ぎ。保険がきかず病院代も高額になるので、人間のほうもちょっと躊躇してしまう、いま大丈夫だからいいかな、などと。そんななか、長年にわたり、使命感と愛情をもって診てくださる獣医師の先生方にはほんとうに感謝しています。

以前、生後半年ぐらいで骨盤骨折をして下半身不随になった猫と暮らしていたことがあります。お利口さんで、1日3回の圧迫排尿をいやがらずさせてくれたので、18年という長寿を全うしてくれました。赤ちゃん用のSSサイズの紙オムツにしっぽ穴を開け、するとそのオムツを弾ませて両前足の力だけで移動するんです。ハンディをものともしない、もう自由自在でしたね。でもその間、私は家にはりついていなければならず、お話の舞台として設定した場所を泊りで訪ねてみる、ということもできませんでした。架空のお話の架空の場所でも、実際にイメージしているところがあれば行ってみたいんですが、そのこの存命中にはかなわず。資料をあたり、せっせと調べて書きました。そのこが亡くなってからそこを訪ねてみたとき、非常に既視感があって、「ああ、書いたとおりだったな」としみじみしたのをおぼえています。

執筆に活きる(?)猫たち

猫を飼っていると「創作にどう活きていますか」と尋ねられることは多いのですが、猫はたいてい世話が焼けるだけで創作に活きることはあまりありません。

ただ、猫を保護した当初は、ボロボロの状態のこも多いです。ガリガリにやせて、ひどい風邪をひいていたり、下痢が止まらなかったり。目ヤニと鼻水で目も顔もクシャクシャ。よく生きていてくれたね、というようなケガをしていることもあり、怯えています。獣医さんに診てもらい、不眠不休で世話しても甲斐なく死んでしまうこともいくらでもあります。人は人のように考え、猫は猫のように考えるから、安易に擬人化はできませんが、それでも喜怒哀楽は猫も人も同じだと思うんです。だから、小さな亡骸をタオルで包むとき、このこは生まれて楽しいと思う瞬間があっただろうか、と涙が出ます。戦地に生まれた子どもに思うのと同じ憤り、悔し涙です。そのとき、人間に生まれたんだから大人だから頑張る、踏ん張る、と何か強固な気持ちが腹の底から湧いてきます。私は非力で弱くたいしたことはできないけれど、でも、人間に生まれついたからには、という決意のようなもの。それが、創作においても、しょっちゅうへこたれくじけそうになる気持ちに、檄を飛ばしているかもしれません。

1日の終わりに、猫たちの菩薩のような寝顔を見れば――猫はきゅっと目を瞑っていると口角も上がり微笑んでいるみたいな顔になるでしょう――気持ちがほどけます。笑えます。そしてなんとなく、まあいいか、といった気分になり、いろいろあった1日もよい1日だったような気がしてくるのは不思議ですね。

写真:岡田さんに撫でられにきたキナコ

唯一、猫が活躍するのは『怪盗クロネコ団』シリーズです。抜け目のないクロネコたちに気のいい主人公が翻弄されて大冒険、クロネコが漁夫の利を得るお話です。日頃から人間は我が物顔で動物のみなさんにはほんとうに申し訳ない、すみません、と思っているので、お話のなかではとにかく、とってもいい思いをしてもらおう、と考えていますね。

たのしいお話です。書き始めた最初から一貫して、ふふっと笑ってもらえるような物語を書きたいと願っています。「笑い」を極上の価値、と思うのは、関西で育ったことも多少は影響しているかもしれませんね。今は首都圏どこにでもお笑い番組がたくさんありますが、私が大学を卒業して横浜に来た頃は、テレビにお笑い番組がないことに驚いたんです。関西では土曜日の吉本新喜劇を筆頭として、お笑いが当たり前に身近にありましたから。

これから、というよりは、いつでも、こんなふうに書いていきたいと思い、忘れないためにデスクに貼ってある言葉があります。「人生が幸福なものに思えるように」。
以前、作家の江國香織さんが、好きな子どもの本についてのアンケートに「人生が幸福なものに思えるから」と答え、それが子どもの本の基本だと述べられていました。最近では、映画『ペルリンプスと秘密の森』の監督が「子どもは世界が素晴らしい場所だと信じている。その確信は希望の光のようなもの」とコメントしています。
「人生が幸福なものに思えるように」。基本中の基本です、私のなかでは。
子どもにもいろいろな人生があります。苦しい世界で立往生するときもある。でもたくさんの物語にはたくさんの人生があり、世界はここだけじゃない、としめしてくれます。親身な励ましがあり、負けんなよ、というエールがある。物語の力も夢も子どもにこそ必要なものだと思います。

フランスの画家ロベール・クートラスは「僕の絵は歴史に刻まれたり世界を変えたりするようなものじゃない。でもどんな時代にも、僕の絵を好きだと思ってくれる人がきっといると思うんだ」という言葉を残しています。私のお話を好きだと思ってくれる、本を閉じたとき読み手の口もとがにっこりしてる、そうできれば素敵。お話は絵と違って、最後まで読まれないことには、ただの紙の無駄ですから。

好きなことがある、というのは、天からうけとるギフト(贈り物)です。好きなことがあれば人生はそれだけたのしい。好きなことの一つに、本を読むこと、もあったら、なおいい。たのしんで血となり肉となった物語は遅効性、ギフトなので、思わぬ力が隠されているかもしれません。

岡田貴久子(おかだ・きくこ)
1954年生まれ。同志社大学英文学科卒業。『ブンさんの海』で毎日童話新人賞優秀賞を受賞。『うみうります』と改題し、白泉社より刊行。作品に『ベビーシッターはアヒル!?』(ポプラ社)『怪盗クロネコ団』シリーズ、『宇宙スパイウサギ大作戦』シリーズ(以上理論社)『バーバー・ルーナのお客さま』シリーズ(偕成社)など多数。『飛ぶ教室』(光村図書出版)でヤングアダルト書評を隔号で担当。神奈川県在住。