伝統行事「クモ相撲」:人と自然の交流を見る

クモの遊びを伝え残す

2匹のクモを戦わせる遊び(これを「クモ相撲」と呼ぶことにします)は、かつての日本ではきわめて広く行われていました。大人も子どももクモ採りに夢中になり、川べりや野山を駆けまわり、街の角々でクモを戦わせていたのです。

使われるクモの種類には、地域差がありました。沖縄などの南西諸島ではオオジョロウグモやチブサトゲグモ、東日本ではコガネグモとともにナガコガネグモ、房総・横浜や紀伊半島南部ではハエトリグモ……。これらの遊びは、ほとんどの土地で消え去りましたが、有志により組織化・行事化され保存されているものもあります。

さまざまなクモ相撲のうち、「2匹のコガネグモを横棒の土俵上で戦わせる」タイプについては、次のものが知られています。

・鹿児島県姶良市加治木町「くも合戦」
・高知県四万十市中村「全日本女郎蜘蛛相撲大会」
・長崎県西海市大瀬戸町樫浦「ヤマコブ**の合戦行事」(現在は休止中)
・熊本県熊本市「熊本くも合戦」(現在は休止中)
・熊本県葦北郡芦北町「古石くも合戦」
・大分県大分市木佐上「大分コガネグモ相撲選手権大会」
・和歌山県海南市「こがねぐも相撲大会」
*この「女郎蜘蛛」はコガネグモの中村方言。ジョロウグモとは別。
**「ヤマコブ」はコガネグモの九州方言。

また、ネコハエトリのオス2匹を戦わせるハエトリグモ相撲は、千葉県富津市の「日本三大くも合戦・横綱決定戦」、神奈川県横浜市の「横浜ホンチトーナメント大会」が今でも行われています(写真1、2)。
*ハエトリグモ相撲に使われるネコハエトリは、横浜市ではホンチ、富津市ではフンチと呼ばれる。

写真1:「日本三大くも合戦・横綱決定戦」で、箱からネコハエトリのオスを土俵に出したところ。左の人物は厚紙をかざして、土俵上のクモを強い陽射しから守っている

写真2:「横浜ホンチトーナメント大会」で組み合うネコハエトリのオス。逃げた方が負けとなる

鹿児島の「くも合戦」を見てみよう

クモ相撲では、どのように勝負が行われているのでしょうか。具体例として、鹿児島の「くも合戦」という大会を見てみましょう。

400年の歴史をもつ「くも合戦」

鹿児島県姶良市加治木町では、毎年6月の第3日曜日が「くも合戦の日」です。大人も子どもも野山に分け入り、強そうなコガネグモのメスを採ってきて、自宅で餌を与え育てます。相手のクモと戦うように「調教」したり、合戦の前にはクモを空腹状態にしたりします。強いクモを育てるためのノウハウや採集場所は他人には教えません。

安土桃山時代、薩摩国(現在の鹿児島県)の武将・島津義弘が、陣中の兵の士気を高めるためにクモを戦わせたのが、加治木の「くも合戦」の始まりとされています。400年以上もの長い伝統を今日に伝えているのです。合戦では、裃(かみしも)姿の行司(審判)がその戦いをさばいて勝敗を決めます。約400年前から続く由緒正しい行事ならではといえるでしょう(写真3)。

写真3:横棒の上で戦うクモを見つめる行司。クモの勝負は動きが速いため、行司の鋭い目が、瞬時のかけひきを判定する

戦っている最中にクモが相手にかみつこうとすると、行司がとっさに息を吹きかけて両者を引き離し、クモが死なないよう配慮しています。加治木には、手塩にかけて育てたクモをいつくしむ文化があるのです。

大会の流れ

「くも合戦」の大会では、優勝旗の返還が行われた後に、クモの色艶や姿かたちを競う行事である「優良ぐもの部」が始まります。大きくて、脚の長い八頭身のクモが「優良ぐも」とされます。
それが終わると、いよいよ「合戦の部」、2匹のクモの戦いです。大人の部と子どもの部に分かれて実施され、クモ1匹で、最大3回戦うことができます。
大会の最後は「王将戦の部」です。これは、「合戦の部」で3勝したクモによる王座決定トーナメント戦です。

勝ち負けのルール

60センチメートルの横棒(加治木では「ひもし」と呼ばれる)の先に「かまえ」のクモを待機させ、「しかけ」という対戦相手のクモを行司が仕切って向かい合わせた上で対戦となります。
相手のクモの腹部(加治木では「ドン」と呼ばれる)に糸を巻きつけたり、かみついたり、ぶらさがった相手の糸を切り落としたら勝ちです。クモに戦う意欲がない場合は、行司の判断で引き分けとなります。

熱い戦いが終わると、「また来年のために卵を産んでくれよ」との願いを込めて、勝ったクモも負けたクモも野山に還します。

クモ相撲のルーツ

このようなクモ相撲は、日本特有のものなのでしょうか。実は、海外にも似たような風習があるのです。

フィリピン各地では、鹿児島の「くも合戦」と同じく横棒を使用したクモ相撲が行われています(写真4)。筆者のフィリピンでの現地調査では、コゲチャオニグモとアカアシオニグモのメスがクモ相撲に用いられ、子どもたちが街の角々でこの遊びを楽しんでいることが分かりました。また、シンガポールとマレーシアにも、マスラオハエトリ属のオスを用いたハエトリグモ相撲があります。

写真4:日本とよく似たクモ相撲がフィリピンにもある

これら海外のクモ相撲については、いつ頃から行われているのかの文書記録がないものの、日本のクモ相撲と多くの共通点がみられます。もしかしたら、黒潮の流れに沿った交流により、どちらかから伝わった風習なのかもしれません。

クモ相撲に人と自然の交流を見る

かつて、日本の里山の夏は虫たちの宝庫であり、子どもたちが生きものと遊ぶことを通して自然から学ぶ場でもありました。クモ相撲は、クモと共存する日本とアジア各地の動物観を象徴する、貴重な習俗のひとつです。人と自然の交流や共存という観点から、クモ相撲の保存と継承がなされていくことを願ってやみません。

コガネグモが減っている⁉

クモは環境の変化に敏感で、植生が変わるとクモの顔ぶれも大きく変わります。クモは食物連鎖の中間に位置しますので、クモの数や種類の多さは、クモが食べる生き物や、クモを食べる生き物が豊かであることを意味します。クモは、環境の豊かさを測る指標なのです。

実は、かつて里山で普通に見られたコガネグモも日本各地で減っています。2024年5月の日本のレッドデータ検索システムによれば、コガネグモは14都府県でレッドデータに選定されており、個体数の減少が各地で注目されています。原因としては、コガネグモの生息地周辺の森や水田など里山の景観構造の変化がエサの昆虫の減少をもたらしていると考えられます。クモ相撲を未来に継承していくためには、まずクモの棲む自然を守ることが大切なのです。

【執筆者】
せきね みきお
自然史研究家、日本蜘蛛学会会員。1952年東京都生まれ。1975年奈良教育大学卒業。
ウェブサイト:生きものエッセイ:虫めづる