連載の第8回では野生動物医学について、ヒトの健康、飼育動物の健康、自然生態系の健康(健全性)の重なった「一つの健康:ワンヘルス」を標的にして、医学、獣医学、保全生態学が連携し、獣医学に軸足を置いて調査研究する分野であると明示しました。ですが紹介した事例はいずれも、動物、病原体、死因を扱ったケースに偏り、ヒトや生態系(環境)に直接関わったものは欠落していました。今回は、これらにかかわるテーマを紹介します。
被災当時の小学5年生が、大学5年生として現れた
酪農学園大学の研究チームは、2011年3月11日の東日本大震災直後から10年以上にわたり、野生動物医学の専用施設である「酪農学園大学野生動物医学センター」を拠点に、被災地の調査(図1)や被災児童を受け入れて野生動物医学の啓発活動などを実施してきました(写真1~3)。
しかし、この事実は一般に認知されておらず、被災経験のある僕のゼミ生ですら、僕が話して初めて知りました。その学生は、小学5年生のときに岩手県山田町にて被災したのですが、自分が在籍する酪農学園大学が、被災地での調査などに関わっていたことに、とても感激していたようです。
そこで、その学生に野外調査への同行と、調査の全活動総括を卒論課題として提案し、見事にまとめてもらいました。先日、その一部が公表されたので(参考文献1、2)、ここで簡略化して紹介します。
現地調査の概要
現地調査は宮城県石巻市と福島県南相馬市の2か所で実施しました。
宮城県石巻市の調査場所
石巻市では、2011年から2023年にかけて8回の調査をしました(2011年8月14日~16日、同年11月15日~20日、2012年3月4日~6日、同年5月24日~27日、同年11月3日~8日、2013年2月6日~8日、2014年11月某日、2023年8月23日~24日)。図2で示す地域が調査範囲でした。
調査地景観としては、図2左楕円の左側では運河の貫通と、それに沿って生えている灌木林や草地が認められました(写真4)。
また、同下方には漁港・工場、このほかは民家廃屋群があり、瓦礫置き場もありました(写真5)。
一方、右楕円上側は丘陵部が卓越していたため、その麓の店舗や民家の廃屋群から、その南の海岸林も調査地点に含めました(写真6)。学生が同行した第8回(2023年8月23日~24日)では、こちらの地点を中心に調査しました(写真7)。
福島県南相馬市の調査場所
南相馬市では、2013年11月16~17日、同市の某公営放牧場内外の家屋および・牧野関連施設(廃屋)で調査をしました(写真8、9)。避難指示が出た後に持ち回りで乾草が供給されていましたが、量が絶対的に不足していたため、場内の防風林の枝葉も食べられていました。同じ高さで採食され、あたかもディアーライン(シカが口の届く範囲の草木を食べることで発生する、草木が生えていない境目ができている状態)のような形状でした。
石巻市における調査
小型哺乳類の捕獲
小型哺乳類捕獲は、各自治体の許可を得て、石巻市の門脇(図2の左楕円内の左端)と緑町(図2の右楕円では中央やや下方)の2地点で実施しました。基本的には住家性ネズミ類を対象にし、粘着式トラップ(写真10)を中心に用いました。野ネズミ類にとって好適な生息地であると判断された場所では、ネズミがエサに触れるとバネが作動するスナップトラップ(写真11、12)や、シャーマン型の捕獲罠(写真13)も併用しました。得られた小型哺乳類については、ウイルスや細菌の試料を採取した後、種の同定をするために仮剥製や頭蓋骨標本を制作しました(写真14)。
目視での確認
頻繁に目視確認された鳥類としてはムクドリ、スズメ、ハシブトガラス、カワラバト(ドバト)、ハクセキレイ、カモメ類でした。特に、ハシブトガラスのコロニーは100羽を超えた規模のものも確認されました。その周辺には多量の糞尿の蓄積があり、クラミジアやクリプトコッカスなどの感染が懸念されました。また、多数のハツカネズミとごく僅かのアカネズミ(多くは津波で流されたのでしょう)が得られ、海岸林ではすべてハツカネズミでした。ハツカネズミは野外で見つかることが少ないネズミでしたので、とても不思議でした。
また、このような被災地では津波による土砂災害によりツツガムシ類の生息する土壌が流され、これまで生息していなかった地域にまで広がる場合があります。実際に僕は第1回の調査のとき、股間皮膚部にツツガムシ類による典型的な病変と激しい掻痒感を伴った症状がありました。写真5で示した軽装であったことが災いしたのは明らかです。
南相馬市における調査
南相馬市での小型哺乳類の捕獲調査では、牧場附属の温室に粘着トラップを設置し、餌に誘引されたニホンザルにより攪乱されたものの、ハツカネズミおよびアカネズミを捕獲しました。この調査と同じ年に、ほぼ同地域で調査した別研究チームはクマネズミの痕跡をわずかに確認したのみであり、その理由としてハクビシンによる捕食を想定していました。外来種同士で食う食われるの関係にあるという状況は、実に興味深いですね。
これ以外にも僕たち研究チームは、国立環境研究所や日本獣医生命科学大学と共同で福島第一原子力発電所の事故により被害を受けた地域の、ニホンザルとアカネズミの寄生虫検査も実施しました。放射線の影響による奇形寄生虫の有無を確かめるためでしたが、この調査ではそのような寄生虫は見つかりませんでした。
おわりに
以上、現地調査のアウトラインを紹介しました。病原体検査の詳細は学生の論文(参考文献1、2)をご覧ください。
もともと私は野生動物の寄生虫を研究にしており、1994年秋に突然、野生動物医学を担当するよう命じられました。その準備の最中であった1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、関西への公務出張で被災地を実見しました。このとき、人々の暮らしや自然環境への震災による甚大な影響を目の当たりにし、自分の野生動物医学教育は災害と向き合う応用科学(実学)とすることを決意しました。このことが、今回ご紹介した10年以上にわたる調査の原動力でしたが、第8回の調査の直前になり酪農学園大学野生動物医学センターの運用停止が決定し、調査記録も雲散やむなしといった状態でした。しかし、指導していた学生が被災者の1人であったことが公表の原動力となりました。この記事が、被災地で必要とされる野生動物医学の振興の一助となることを願います。
※図1、2および写真1~14:参考文献2より改変して引用。
[参考文献]
・三浦美桜・浅川満彦.東日本大震災被災地における野生動物医学的調査報告に関する文献情報の補遺.青森自然誌研究.2024. (29).
・三浦美桜・能田 淳・村田 亮・萩原克郎・蒔田浩平・岩野英知・森田 茂・田村 豊・浅川満彦.酪農学園大学野生動物医学センターWAMCを拠点にした宮城・福島両県における 東日本大震災被災地の齧歯類の微生物学・寄生虫学的および他野生動物学的な調査概要.酪農大紀.2024. 48(2),217-226.
https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/2000104
【執筆】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学教授、獣医師、博士(獣医学)。日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。主著(近刊)に『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)など。
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