2024年1月、奄美大島の野生動物に関する問題を獣医学的アプローチで解決することを目的とした、奄美群島初の野生動物専門の獣医療機関「奄美野生動物医学センター」を設立しました。
ここでは、当センターの設立背景や活動内容をご紹介いたします。
※記事内の情報は2024年10月時点のものです。
奄美大島の独自の生態系と高い生物多様性
奄美大島は鹿児島県に属する離島で、鹿児島本土と沖縄本島のおよそ中間に位置します。
島の総面積の80パーセント以上が森林地帯である険しい山々が連なる「森の島」です。
この豊かな森に、地球上でこの地域にしかいない「固有種」が数多く生息しています。
固有種の中で代表的な例が、特別天然記念物に指定されているアマミノクロウサギです。
奄美群島にしか生息しないウサギで、頭や耳が小さく、ウサギの中で最も原始的な姿を残しています。
そのほかにも、アマミトゲネズミ、ケナガネズミ、ルリカケス、オオトラツグミ、アマミヤマシギなど多くの固有種や希少種が生息しています。
国土面積の0.2パーセントにしか満たない小さな島に、国内で観察できる13パーセントもの生物種が確認でき、高い生物多様性が見られます。
亜熱帯の自然景観と豊かな生物多様性が評価され、2021年にユネスコの世界自然遺産に登録されました。
奄美大島の野生動物に迫る脅威
奄美大島の野生動物は、人為的要因による様々な影響を受けています。
外来種
過去には、移入されたマングースの捕食により、島の貴重な野生動物の個体数が減少しました。
環境省などがマングースの大規模な捕獲を進めた結果、2024年に根絶宣言が発表されました。
その一方で、新たに問題視されているのが野生化したネコ(ノネコ)です。
2015年の推定では、島内に600~1,200頭のノネコが生息するとされており¹、奄美大島の固有種を捕食する姿が確認されています。
ロードキル
マングースの根絶や森林の回復により、固有種の個体数は近年増加傾向にあります。
これに伴い、野生動物が自動車と衝突する事故(ロードキル)の発生が急増しています。
2023年度には、アマミノクロウサギだけで147件の事故死が確認されており²、他の動物種も考慮すると膨大な野生動物が犠牲になっていると考えられます。
感染症
細菌やウイルス、寄生虫などの病原体が野生動物に影響を与える場合もあります。
近年注目されているものが、外来種が宿主となり本来存在しない地域に持ち込まれた「外来病原体」です。
奄美大島においても、ネズミ類や貝類などの外来種が多くの病原体を持ち込み、固有種に感染を広めていることが明らかになっています³, ⁴。
その他
農薬によって中毒症状になる、農業用ネットや釣り糸・ネズミ駆除用粘着シートに絡まる、窓ガラスに衝突するなど、ほかにも様々な人為的要因で奄美大島の野生動物が命を落としています。
上記の要因で、負傷・衰弱した野生動物は、野生復帰を目標として島内の施設にて治療を受けます。
保護される野生動物の症例数は直近5年間で2倍以上(年間100件程度)になっています。
奄美野生動物医学センターの設立、獣医学的なアプローチ
これまでは島内の動物病院にて治療が行われてきましたが、病原体を保有している可能性のある野生動物がペットや飼い主のいる動物病院に収容される衛生的問題や、十分なスペースや静かな環境を提供できずに野生動物へストレスを与えるという問題がありました。
また、ペットの診療が優先的になるため、野生動物の治療が後回しになりがちでした。
これらの問題の解決のために、施設や人材を動物病院から分離した体制が必要だと考え、野生動物専門の治療収容施設「奄美野生動物医学センター」を設立しました。
当センターでは、手術機器、検査機器、ICU、飼育室を整備しています。
これまでは十分な飼育設備が島内になかったため、入院症例や終生飼養個体は狭いケージでの管理を余儀なくされていましたが、ストレスの少ない環境下での飼育管理が可能となりました。
治療中や飼育中に得られたサンプルや知見は学術研究に活用しています。
各研究機関と共同で解析を行い、英語論文や学会での発表を毎年実施しています。
現在は、野生動物が保有する病原体の解析や環境汚染物質の検出をメインに研究を実施しています。
治療施設に運ばれてくる個体は、運よく保護された一部の動物たちです。
その背景には、より多くの犠牲になっている個体がいます。
野生動物への人為的な悪影響を減らすためには、島内の人々の野生動物に対する関心を向上させることが重要だと考えています。
そのため、奄美大島の人々に野生動物や獣医学に興味を持ってもらえるように、定期的な講演会の開催や学校での授業などを実施しています。
特に、奄美大島出身の野生動物保全に関わる人材の養成のため、子どもを対象とした教育活動に力を入れています。
授業や体験学習によって、野生動物や動物診療に興味をもち、獣医師や愛玩動物看護師を目指す学生が増えた印象を受けています。
当センターでは、「獣医学の力で奄美の野生動物を救う」というスローガンを設定しています。
「獣医学で救う」とは、単に目の前の個体を治療することだけではなく、研究で得た知見を活用して個体群や生息環境を守ることや、教育啓蒙により人々の野生動物への興味関心を醸成することも含みます。
救護、学術研究、教育啓蒙の3本柱で活動を展開しています。
今後の展望
奄美大島の固有種の生息数は増加しており、搬入される症例数も今後増加することが予想されます。
野生動物との共存のために、現場の獣医師が担う役割も多くなると思われます。
当センターもその役割や責任に応じて進化する必要があります。
野生動物の臨床は伴侶動物と比較するとまだまだ発展途上です。
現在、診断技術や治療手技の向上のため、大学病院やエキゾチックアニマルを専門とする獣医師との連携を進めています。
また、島内での医療体制を整備するとともに、高度医療や専門医のスキルを野生動物に応用することで、臨床レベルの向上を試みています。さらに、野生復帰前のリハビリなどもできる広大な治療研究施設の整備も進めています。
これからも、自治体や関係機関と連携して、野生動物医学の可能性を拡充できる活動を展開していきたいと考えています。
[引用文献]
1. Shionosaki, K., F. Yamada, T. Ishikawa and S. Shibata. 2015. Feral cat diet and predation on endangered endemic mammals on a biodiversity hot spot (Amami‒Ohshima Island, Japan). Wildlife Research. 42: 343‒352.
2. 環境省, 2023年4月10日, 報道発表資料「2023年奄美大島・徳之島における希少哺乳類の死因解明について」https://kyushu.env.go.jp/okinawa/press_00091.html(2024年10月20日確認)
3. Tokiwa, T., Yoshimura, H., Hiruma, S., Akahori, Y., Suzuki, A., Ito, K., Yamamoto, M. and Ike, K. 2019. Toxoplasma gondii infection in Amami spiny rat on Amami-Oshima Island, Japan. International Journal for Parasitology: Parasites and Wildlife. 9: 244–247.
4. Tokiwa, T., Yoshimura H., Ito, K., Chou S., Yamamoto, M. 2020. Alien parasitic infections in the endangered Ryukyu long-furred rat (Diplothrix legata) on Amami-Oshima Island, Japan. Parasitology International. 76: 102058.
【文・写真】
新屋 惣(しんや・そう)
1993年福井県生まれ。奄美野生動物医学センター長、獣医師、博士(獣医学)。北海道大学獣医学部を卒業後、奄美大島の動物病院にて小動物臨床に従事するかたわら、野生動物救護と学術研究を実施。自身の研究遂行能力を向上させるため、北海道大学院獣医学院にて、野生動物における環境汚染物質の影響調査と感染症に関する研究を実施。博士(獣医学)の学位を取得。再び奄美大島に戻り、野生動物専門の獣医療機関である奄美野生動物医学センターを立ち上げ、センター長として現在に至る。「獣医学の力で奄美の野生動物を救う」というスローガンのもと、救護、学術研究、教育啓蒙の3本柱の活動を展開している。
【編集協力】
柴山淑子