罠は仕掛けても、その後は?
1995年9月2日の朝に、長沼町の農家さんから当時私が勤めていた酪農学園大学大獣医学科(現・獣医学群獣医学類)寄生虫病学教室(現・医動物学ユニット)に連絡がありました。
「アライグマを捕まえたんだけど、何とかしてくれないか?」
メロンが最も美味しくなった時期を見計らって食害を加えるアライグマの群れに業を煮やした農家さんが、バネ式の市販罠を複数個仕掛けて1頭が捕まったのでした。生きた捕獲個体(写真1)は、近付けば威嚇・反撃しますし、「最終処置」を実行するには、心的な影響(抵抗)があったようです。

そこで、私たちが野生動物の死体を集めていることを思い出し、電話をしたそうです。なお、同様な被害に遭って困っている方への注意ですが、現在は法的に厳格化されていますので、このように自由に捕獲することはできません。害獣対応は事前に必ず市町村に相談して、適切な指示を仰いでください。
野生動物医学の研究・教育は市民との二人三脚で
1994年晩秋から、新聞や雑誌などの様々な媒体を活用して、野生動物(医)学の研究・教育用材料としての死体集めの告知をしていました。
SNSの影も形も無い時代だったので紙媒体を使いましたが、多くの方々が見てくれていたようで、なんと道外からも問い合わせがありました。何しろ、当時開港したばかりの新千歳空港内や、飛行機内の某機内誌にも掲載されていたのです。ですが、そのロビーや機内で「死体求ム!」を目にされた方々からのクレームが、勤務先にあったようです。これには上からお叱りを受けました……。
大学教員とはいっても、一介のサラリーマンですので、叱られるのも月給のうち。ただし、この告知は、農家さんにも思い出してもらうくらい効果的でした。研究(教育)材料確保は、獣害に悩まされる地域の人々への支援という形でのwin-winな関係や貢献が肝要と身に染みました。先日私は定年退職いたしましたが、地域貢献にはそのような形の中断・停止はないので、「その後」の支援についてとても悩んでおりますが……。
野生動物係、現場へ急行せよ!
野生動物に苦しめられる人は、学外のみならず身近にもいました。
勤務していた大学キャンパス(約120ヘクタール)の南縁は野幌森林公園(約2千ヘクタール)に接していたので、この森から多くの野生動物たちが頻繁に学内へ侵入、あるいは迷い込んできました。たとえば、アライグマは様々な建物へ入ってきていたので、その度に私が野生動物医学センター(以下、WAMC)から、アニマルコントロールポール(アニマルスネア)持参で捕獲に向かいました(写真2~4)。写真4では、捕獲した私の雄姿は分かりづらいかもしれませんね。漫画:『ラストカルテ -法獣医学者 当麻健匠の記憶-全10巻』(浅山わかび、小学館、2022年)の第2巻目にこれに着想を得た描写がございますので、この器具の使用法を参考にして下さい。もしかすると、次は皆さん自身がこういった作業をするのですから……。



アライグマのダニ研究は野生動物医学の事始め
2004年に「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律外来生物法(外来生物法)」が制定されました。WAMCは運用開始と共に、この法律下で特定外来生物に指定されたアライグマの食性や繁殖などの生態、感染症調査などを行う環境省、あるいは北海道庁によるモデル事業拠点として活用されることになりました。
WAMC開設までの約10年間、施設・予算・人も無い過酷な状況でアライグマと向き合った実績が評価されたのでしょう。その後の数年で届いたアライグマは計3,000頭を超え、貴重な知見を得ることができました。たとえば、それまで未知であったマダニ相が判明しました。もっとも頻繁に寄生していたのがヤマトマダニ、次いでタヌキマダニ、その他には、シュルツェマダニおよびヤマトチマダニが寄生していました(写真5)。この知見は、その後のダニ媒介性の「人と動物の共通感染症」の疫学研究を進めるうえで、とても貴重な基盤情報となりました。また、日本で外来種化したアライグマでは初めてセンコウヒゼンダニによる疥癬(かいせん)が確認されたことも重要でした。本連載第19回で、タヌキの重症例を紹介しましたが、アライグマで確認された疥癬は軽症でした。発症率もタヌキに比べて低いので、この疾病がアライグマを苦しめる要因にはなり難いと感じます(写真6)。


「ふれあい動物園」はエキゾチックアニマル医療の修行の場
WAMCには、前節のような野生動物のみならず、飼育動物におけるダニ症の診断・治療・予防の依頼も多くありました。たとえば、お客さんが動物に直接触れることが特徴である「ふれあい動物園」からの相談では、カイウサギ(アナウサギ)に関するものが一番多く、ダニ類が主でした。また、東京都内のペットショップで販売されていたエキゾチックアニマルでも、これらのダニ類が確認されました。抱っこする際には、こういったムシたちとも密着する可能性がありますのでご注意ください。
また、一般家庭のエキゾチックペットに寄生していることもあるでしょう。そう考えると、ふれあい動物園での医療経験は、獣医師がエキゾチックアニマル医療の修行をするうえで有益です。なお、これらエキゾチックアニマルには、ズツキダニ類というムシが多いですが、関西の水族館で飼育されていたアメリカビーバーからもこの仲間を得たことがありました。あのような形・生態ですが、ビーバーはリスの仲間です。ですので、このダニ類は水の中で生活する動物にもしぶとく付いていたのですね(写真7~9)。



ワンヘルス視点と外来種問題
エキゾチックペットや園館飼育動物に寄生するダニ類が飼育施設から漏出(スピルオーバー)し、在来性のウサギ類(ユキウサギやニホンノウサギなど)やネズミ類(アカネズミやニホンヤマネなど)、食虫類(モグラ類やトガリネズミ類)に宿主転換する「寄生虫の外来種化」の危険性の有無や、それによる在来種への健康被害は、今後モニタリングしないといけません。このようなことは、ワンヘルスという視点が必要な獣医師(獣医学)の役割でしょう。
エキゾチックペットの飼育数増加は、様々な要因で飼育環境から抜け出して外来種化する動物の増加による危険性を高めます。たとえば、現在飼育可能なハリネズミ類は、アフリカ原産のヨツユビハリネズミという種だけです。逃げたとしても、野生下では日本の気候に適応できずに外来種化する可能性が低いからです。
一方、すでに日本で外来種として定着してしまったハリネズミ Erinaceus属(アムールハリネズミなど)は、外来生物法特定外来生物に指定されています。ユーラシア大陸ではごく普通に生息するので、特に本州以南で外来種として定着することは十分予想できました。この指定はあたかも泥縄的で、実に残念です。
針だらけでも皮膚病には弱い
ところで、本州に生息する野生のアムールハリネズミは、ムシ関連で厄介な病気になることが以前から知られておりました。たとえば、2007年夏、関東地方の動物病院に背部に大きな創傷部が認められ、ニクバエ類幼虫が同部組織を摂食する蠅蛆症に罹患したアムールハリネズミが搬入されました(写真10)。外来種化するほどのしぶとさを持ってしても、このようなムシの餌食になることもあるのですね。針だらけの体でも、ハリネズミ類は外部寄生虫が発生しやすく、むしろ皮膚病に悩まされているようです。これはペットのハリネズミ類でも同じですので、もし、ご心配でしたらエキゾチックペット専門の獣医さんに相談してみましょう。ならば、
「いっそ、体毛や針を無くしてしまえば、ムシが寄り付かないのでは?」
と考える方もいると思います。次回は、そういった動物の代表である爬虫類について見てみましょう。

[参考文献]
・浅川満彦、2025年、酪農学園大学野生動物医学センターWAMCにおける野生食肉類を対象にした研究概要-特に寄生蠕虫類に注目して. 酪農大紀, 自然, 50: 印刷中
【執筆者】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学教授(2025年3月まで:以降は名誉教授かつ非常勤講師)、獣医師、野生動物医学専門職修士(UK)、博士(獣医学)、日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表として執筆・講演活動を行う。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。主著(近刊)に『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)、『獣医さんがゆく―15歳からの獣医学』(東京大学出版会)など。
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