野生動物の法獣医学と野生動物医学の現状【第6回】ロンドンと札幌の野鳥が餌台で殺されたとき

洋の東西を問わず、野鳥に身近にいてほしいと考える人はたくさんいます。そして私は、その人たちの存在をロンドンの病理解剖室で実感しました。

ロンドン大学で「一子相伝」の授業

私は23年ほど前(2000~2001年)に、勤務先の研究留学制度を活用して、ロンドン大学王立獣医科大学の大学院とロンドン動物学会が共同で開講していた、野生動物医学専門職修士(MSc Wild Animal Health、以下WAH)課程に在籍してました。

WAH課程は、講義・実習がびっしりの専門職大学院めいた場でした。理論より実践に軸足を置いていたことから、授業の大部分はキャンパスではなくロンドン動物園内の施設で行われ、しかも、動物園の通常業務を手伝いつつ技術を伝達する形式でした。

その中でもとりわけ印象深い授業は、ロンドン動物園の病理解剖室にて行われました。病理専門の獣医師アンドリュー・カニンガム先生が教鞭を取る、野鳥サルモネラの症疫学・病理学複合の調査研究の剖検実務です(写真1)。

写真1:ロンドン動物園の病理解剖室の剖検台上に、餌台周辺で発見された野鳥の死体がある。ロイヤルメール(イギリスの郵便サービス)で毎朝届いていた

私が在学していた時、カニンガム先生は若手から中堅的な位置に移行しつつありました。授業の合間も、院生の休憩室で製本のために自身のPhD論文を整理している姿が記憶に残っています。とにかく多忙を極めていたカニンガム先生は、不機嫌が白衣を着ているようであったことから、おもに30代前半であった私の同級生たちからは疎んじられていたようでした。

さらに同級生たちは、臨床叩き上げの性(さが)か病理解剖を忌避する傾向があり、ときどき先生の病理解剖の授業を集団ボイコットしていたのです! 心の中で苦手に思うだけならともかく、このような実力行使はダメですね。畢竟、生真面目なアジア人留学生である私とカニンガム先生はマンツーマン形式の濃密授業を行うこととなりました。「一子相伝」での技術の受け渡しですね。僕の方が先生よりも年上であったこともあり、ボイコットされてますます不機嫌となったカニンガム先生を「若い奴らなんだし、ここは許してやってくれ」と剖検台越しになだめたことを鮮明に憶えています。それにしても良い授業でした。ボイコットした院生諸氏は実にもったいないことをしたものです。

翌朝に課程主任に叱られた彼らは「アサカワ、ごめんよ。OKだった?」と言いながら僕の隣で課題に取り組んでいました。写真2はロンドン動物学会のヤンチャな研究者が撮影したもので、院生諸氏向けの「アンドリューの授業は絶対にサボらない!」というメモと一緒に院生の休憩室に掲示されていました。手前の二人は心なしかシュンとしているような……。

写真2:野鳥死体の剖検を行う、野生動物医学専門職修士課程院生3人(右奥が浅川)

「ワンヘルス」の好事例となった餌台の事件

前置きが長くなりました。

ロンドン動物園に送付された野鳥の多くは、日本のカワラヒワ(学名Chloris sinica)に似ているアオカワラヒワ(英名Green finch、学名Chloris chloris)が多かったようです。アオカワラヒワの体幹部から、サルモネラ菌塊とされたものを充満した素嚢(そのう)を摘出し、ロンドン動物園専属の微生物研究者がこれを材料にサルモネラ菌の選択増菌培養を行って死因を確定する流れとなります。ちなみに院生たちによるボイコット事件が祟り、私を含めた院生たちには培養作業まではさせなくなっていました。

いずれにせよ、私たちが去った後もカニンガム先生の地道な培養作業が続き、ついに「餌台で野鳥がサルモネラ菌ファージタイプDT40に感染し、致死的なサルモネラ症を発症して死亡した」ということが判明しました(参考文献3)。

英国以外の欧米でも同様の理由で野鳥が死亡していたことや、同菌が家畜にも人にも感染することから、ワンヘルス(人、飼育動物、環境をそれぞれ影響しあうものとみなし、統合してその健康を守る考え方)の好事例として扱われ、カニンガム先生はワンヘルスの大家としての地位を築きました。2001年からはWHOなどでワンヘルス総責任者として精力的に活躍されておられるようです。

写真3:カワラヒワ体幹部(左)から、サルモネラ菌塊とされるものが充満した素嚢を摘出(右)したもの(浅川撮影、参考文献4より改変引用)

帰国後はスズメの死体が累々と

こうして私は2001年にWAH課程を修了し、帰国後は資格を手に勤務先に創設された専門施設「野生動物医学研究センター(WAMC)」を運営しました。そして2年目の早春、札幌や旭川など北海道で野鳥のサルモネラ症に遭遇することになりました。今度の犠牲者はカワラヒワではなく、皆さんの身の回りにいるスズメ(学名Passer montanus)です。

詳細は拙著『野生動物の法獣医学』などに譲りますが、連日見つかるスズメの死体(写真4)は、長期間にわたって換気孔で乾燥された「ミイラ状態」か、あるいは3~4か月間も積雪の下に埋設されていたことで内臓が熟成・変質した「ドロドロ状態」でした(なお、参考文献1では「塩辛・スルメ」状死体と表現しています)。それでも、ましな状態の死体からは、ロンドンで見たような素嚢の膿瘍が確認できました(写真5)。

写真4:酪農学園大学野生動物医学研究センターに送付されたスズメの死体の一部。焼却途中で回収された右下の死体は、腹部が炭化している

写真5:スズメ素嚢の膿瘍

当時の私はスズメの死体と外部機関への対応とで疲れきり、ときどき「ああ、あのときに授業をサボっていた同級生たちは、今ごろ何をしているのだろう」と夢想さえしました。今思い返せば、現実逃避をしていたのでしょうね。やがては限界を迎えてしまい「野生動物の法獣医学の知識がなければ、死因解析は絶対に無理! 寄生虫学者の余技では限界を超えている! もう許してくれ」と泣き言を言って逃げようとさえしました(参考文献1)。

しかし逃走は失敗し、今、「野生動物の法獣医学と野生動物医学の現状」と題したコラムを書いている私がここにいます。

[参考文献]
1.浅川満彦. 2006. 我が国の獣医学にも法医学に相当するような分野が絶対に必要!-鳥騒動の現場から. 日本野生動物医学会ニュースレター, 日本野生動物医学会, 22: 46-53.(https://irdb.nii.ac.jp/01043/0001430641)
2.Fukui D, Takahashi K, Kubo M, Une Y, Kato Y, Izumiya H, Teraoka H, Asakawa M, Yanagida K, Bando G. Mass mortality of Eurasian Tree Sparrows (Passer montanus) from Salmonella Typhimurium dt40 in Japan, winter 2008-09. J Wildl Dis. 2014 Jul;50(3):484-95.
3.Lawson B, Howard T, Kirkwood JK, Macgregor SK, Perkins M, Robinson RA, Ward LR, Cunningham AA. Epidemiology of salmonellosis in garden birds in England and Wales, 1993 to 2003. Ecohealth. 2010 Sep;7(3):294-306.
4.Sainsbury A., Fox MT., 大平久子,河津理子,浅川満彦. 2001. 英国王立獣医学校およびロンドン動物園による野生動物医学コースの概要と参加者の印象について.JVM獣医畜産新報, 文永堂出版, 54:801-812. (https://irdb.nii.ac.jp/en/01043/0004037874)

【執筆】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学教授、獣医師、博士(獣医学)。日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。主著(近刊)に『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)など。