日本の猫の歴史【第1回】人との絆と楽しい暮らし

日本における猫の歴史は、とても長いものになります。

伴侶動物(犬と猫を筆頭にした身近な動物たち)と人とは切っても切れない絆で結び付いており、太古から共進(共に進化)してきました。つまり、人類が今の形に進化するなかで、伴侶動物は影響を与えてきたのでしょう。

この連載では、古代から近代まで、日本における猫の歴史を振り返っていきます。

人と動物の絆(ヒューマンアニマルボンド)

近年では「人と動物の絆」(ヒューマンアニマルボンド:人と伴侶動物が共にあることで双方が幸せになれる)の概念が世界中で認識されるようになりました。

ヒューマンアニマルボンドの概念は1970年代に欧米で広がりだしたもので、当時ワシントン州立大学学長だったレオ・K・ビュースタッド獣医師(写真1)が、精神科医のボリス・M・レビンソン医師、マイケル・E・マカロー医師などと提唱しました。パデュー大学獣医学部の「ドロシー・N・マカリスター動物生態学教授」兼「人間と動物の絆センター所長」であるアラン・M・ベック獣医師も、ビュースタッド氏の功績を讃えながら、ヒューマンアニマルボンドの概念を継承し、著しています。

写真1:ビュースタッド獣医師(筆者撮影、東京都港区にて)

日本では、1985年に当時ハワイ獣医師会会長だったアレン・宮原獣医師による「人と動物の絆」の講演会〈(現公益社団法人)日本動物病院協会:JAHA主催〉によってもたらされました。この頃に全米ドックトレーナー協会会長のテリー・ライアン氏の来日もあり、現在に至る陽性強化法のしつけも国内に広がりました。日本における「褒めてしつける家庭犬の教育」の黎明期です。筆者もライアン氏の初期のプライベートクラスに参加し、「犬や猫のことを最も知り、伴侶動物の家族に伝えなければならないのは獣医師である」と気づかされました。

筆者も幼少時から犬や猫との関わりは深いものでした。赤虎白の短尾の猫が私の様々な遊びの「先生」でもありました。灯籠への登り方や、縁下への潜り方は猫に教わったものです(これらの遊びは当時のものであり、危険なので現代の良い子は絶対に真似をしてはいけません!)。母は獣医師で多忙であったため、一緒に遊んでくれる猫の存在はとても重要でした。幼児による、今にして思えば少々手荒な扱いも、猫は抵抗もなく受け止めてくれました。精神的に見守られて育った気がしています。猫を色柄で選んではいけませんが、この刷り込みのためか今もオレンジの猫には心和まされます。

人と猫の歴史

人と猫の歴史はいつごろから始まったのでしょう。

現時点でわかっている史実としては、2004年にギリシャ・キプロス島にある約9500年前のシロウロカンボス遺跡で、当時の有力者と思われる人物のお墓の傍らに、手厚く埋葬された猫の墓が発見されました。それまでに最古とされていた4000~5000年前のエジプトでの軌跡よりも5000年近く前から、猫は人との歴史を持っていたとされているのです。伴侶動物の筆頭である猫は、人との長く「幸せな」歴史を刻んで今に至っていると考えられます。

伴侶動物とは、人との長い歴史の中で、感染症、疾患、習性行動が熟知されている動物です。さらには野生動物ではなく、「帰る自然のない」人と暮らすことを自ら選んだ、私たちと運命を共にする「奇跡のパートナー」なのです。

それでは、日本における猫の歴史はどうでしょうか。

オオヤマネコ

旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡で、日本各地からオオヤマネコの骨が出土しています。オオヤマネコは、氷河期に陸続きになっていた大陸から日本へ渡ってきたとされ、北海道から九州まで骨が出土しているのです。この猫は、現在のイエネコの祖先であるリビアヤマネコとは別系統の進化を遂げた猫であることが、近年の研究で判明しています。

残念ながら、オオヤマネコは日本ではすでに絶滅していますが、日本の離島には長崎県の対馬と沖縄県の西表島に、ツシマヤマネコとイリオモテヤマネコという日本土着の猫が固有種として現存しています。

ツシマヤマネコとイリオモテヤマネコ

ツシマヤマネコ(写真2、3)は10万年前のウルム氷期に大陸から渡ってきたとされ、そのときにはすでに対馬海峡があったため、本土には渡れなかったのではないかと推測されています。

写真2:ツシマヤマネコ(対馬野生生物保護センター提供)

写真3:「ツシマヤマネコ飛び出し注意」の看板(対馬野生生物保護センター提供)

イリオモテヤマネコ(写真4)は1965年に発見されました。20世紀に入ってから新発見された、希有な哺乳動物なのです。筆者は西表島の「イリオモテヤマネコ発見捕獲の地」の立て札がある船浮集落を幾度か訪れたことがありますが(写真5)、島には同様の場所が数か所あるようです。いつ頃から西表島に生息していたのかは定かではありません。西表島は今も島のほとんどがジャングルに覆われる緑豊かな島であり、100頭ほどのイリオモテヤマネコを育んでいます。

写真4:イリオモテヤマネコ(環境省西表野生生物保護センター提供)

写真5:「イリオモテヤマネコ発見捕獲の地」の立て札。2015年に西表島の船浮集落内で筆者撮影

1996年の増田らの分子系統学的調査により、両方の猫のルーツは約10~20万年前に東アジアに生息していたベンガルヤマネコの系統であることがわかっています。ツシマヤマネコは1971年、イリオモテヤマネコは1972年に国の天然記念物に指定され、共に絶滅危惧種となっています。

西表島は世界自然遺産に指定されたので、今後も人の手が入らずそのままの環境で保護されて生き続けられることを願います。しかしながら、夜間の自動車による交通事故死が数例は毎年起こっています。事故当事者は観光客や島民が考えられますが、当事者からの連絡がほとんどないためわかっていないようです。人間が地球の「中心」ではないことを心に刻んで行動してほしいものです。

奈良から飛鳥の頃にやってきた?

現在も日本で伴侶動物として暮らしているイエネコ(写真6)は、日本ではどのように生息していたのでしょうか。イエネコの祖先は、約13万年前に中東の小アジアで生息していた、リビアヤマネコであると遺伝子的にも証明されています。ネコ目ネコ科ネコ属のリビアヤマネコ(種)が現在の猫(イエネコ:Felis catus)になったとされています。

写真6:筆者の守り猫「ポン太郎」(イエネコ:Felis catus)、1962年生まれ

日本最古のイエネコの骨は、2008年と2011年に長崎県壱岐島のカラカミ遺跡で発掘されていますが、この骨は弥生時代のものとされています。このときの猫が、人との生活の中で担っていた役割などはわかっていません。

イエネコが本土に渡来した時期は正確にはわかっていませんが、奈良時代ないしは飛鳥時代に中国から高句麗や百済を経由して経典をもち込む際に、それを鼠害から護るため船に乗せられて渡来した説が有力とされています。あるいは、飛鳥時代に第40代天武天皇が経典を輸入したとき、渡来したのではないかとも言われています。

猫は昔から猫だった!

さてここで、「猫は昔から猫だった!」という素晴らしいエピソードを紹介します。

飛鳥時代の須恵器という蓋付きの陶器が時代を越え今も残っていますが、その陶器にくっきりと猫らしき動物の足跡が残っているのです(写真7)。筆者も東京都港区で2022年に開催された「Life with 猫展」に出展されていた実物をこの目でしっかりと確認しました。

そのときまでは資料上の写真で見ていたに留まっていたので、感激ひとしおでした。この頃から人の暮らしのごく近くで猫が生活していたのでしょう。そして、現代でも時折コンクリートなどにその足跡を目撃するのと同様に、陶器が固まる前に猫が踏んだ! と思うと愛おしさが募ります。そして、こうした足跡を残した事例は、この遺跡以外にもいくつか報告されています。

写真7:見野古墳群6号墳出土の須恵器「杯」(姫路市教育委員会蔵)。くっきりと足跡が残っている

今回はここまでとし、次回は日本で初めて猫が文章に登場したお話にうつります。

以下はティータイム用です。

絵:筆者作製エッチング+アクアチントの不思議猫絵。実は結構人気で、先日嫁いでいきました

【執筆者】
柴内晶子(しばない・あきこ)
獣医師、⽇本動物病院協会(JAHA)内科認定医、⾚坂動物病院(東京都港区、https://akasaka-ah.com/ )院⻑。1986年より⽇本動物病院協会CAPP活動(動物介在活動ほか)に参加。⽇本⼤学農獣医学部(現:⽣物資源科学部)獣医学科卒業。日本獣医畜産大学臨床病理学教室研修生を経て、93年より赤坂動物病院勤務。人と動物の絆を礎にした伴侶動物医療をモットーにしながら、社会貢献活動としてCAPP活動を推進するとともに、保護猫・保護犬の譲渡活動も継続している。また、農林⽔産省獣医事審議会委員、農林⽔産省薬事・⾷品衛⽣審議会薬事分科会動物⽤医薬品等部会動物⽤再⽣医療等製品・バイオテクノロジー応⽤医薬品調査会委員、⽇本獣医史学会評議委員、⽇本臨床獣医学フォーラム幹事、⽇本動物愛護協会評議委員、⽇本⼤学⽣物資源科学部⾮常勤講師、ねこ医学会CATvocate認定講座講師などを務める。