古文書からみる動物と日本人とのかかわり【第2回】日本にやってきたアジアゾウ

アジアゾウ(インドゾウ、セイロンゾウ、スマトラゾウなど)は、主にインドや東南アジアなどに生息するゾウです。IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストによると絶滅危惧種に認定されています。生息地の減少や自然林の破壊、害獣としての駆除や密猟などにより、絶滅の危機に瀕しています。

今回の記事では、アジアゾウと日本人とのかかわりの歴史をご紹介していきます。

初めてアジアゾウが上陸した場所は?

現代の日本では多くの動物園でアジアゾウを見ることができますが、動物園ができる以前の人々にとって、実物のゾウを目にする機会は滅多にありませんでした。

写真1:上野動物園のアジアゾウ(2023年9月7日撮影)

日本に初めてアジアゾウがやってきたのは、1408(応永15)年6月のことです。
※年月日は史料記述のまま表記、以下同じ。

「若狭国税所今富名領主代々次第」によると、若狭国小浜(福井県小浜市)に南蛮船が到着し、ゾウ1頭とサンバー(アジア南部に生息する大型のシカの1種)1頭、クジャク2対・オウム2対などが日本国王への進物として運ばれたことが記されています(写真2、傍線箇所)。この南蛮船の出港地については、インドネシアのスマトラ島パレンバンから来たという説が有力なようですが、インドネシアのジャワ島から来たとする説もあります。このとき日本に来たゾウは、1411(応永18)年に朝鮮国王へ贈呈されました。

写真2:日本に初めてアジアゾウなどが来たことを記す史料、19世紀(出典:国立公文書館デジタルアーカイブ、「若狭国税所今富名領主代々次第」(『群書類従』補任部巻50に所収)を一部加工)

戦国武将たちが見たアジアゾウ

1597(慶長2)年、フィリピンを統治していたスペインのマニラ総督は、太閤・豊臣秀吉へ使節を送り、ゾウ1頭を含めた貴重な品々を献上しました。この使節に同行したスペイン人の商人アビラ・ヒロンは、以前にカンボジア国王が九州豊後国(大分県)の大名・大友宗麟へゾウを贈ったこと、大坂の町ではゾウを見ようと大勢の人々が駈けつけたこと、大坂城内で豊臣秀吉が息子の秀頼と共にゾウの芸を見物したこと、ゾウの名前は「ドン・ペドロ」であったことなどを書き留めていました。

1575(天正3)年、明国の船が大友宗麟の元へゾウやトラなどを贈ったと言われていますが、詳細は不明です。狩野内膳という絵師が作成した『南蛮屏風』(神戸市立博物館所蔵)にゾウが描かれており、秀吉らが見たのと同じゾウを実際に見て描いたのではないかと考えられています。1602(慶長7)年には、交易のためにベトナムから徳川家康へ、ゾウ1頭・トラ1頭・クジャク2羽が進上されました。

日本で大人気となったゾウ

江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗は、国内のみならず海外の動物にも関心を持ち、ゾウの輸入を命じました。

1728(享保13)年6月、ベトナムからオス・メス2頭のゾウが長崎に来航しました。メスのゾウは長崎で死亡しましたが、1729(享保14)年3月には残されたオス1頭が、長崎から江戸へ向かって街道を歩いていきました。街道沿いの村や町へは、ゾウが通行する際の注意点や、エサや飲み水・宿泊小屋などの準備に関する指示が出されました。京都では天皇や公家たちもゾウを見物し、長崎から江戸までの道中で大名を含めて多くの人々が、初めてゾウを見ることができました。このためにゾウへの関心が高まり大評判となり、ゾウに関する書物が京都・大坂・江戸で出版されるようになりました。

写真3:1729(享保14)年4月に公家が見たゾウの図(写)、19世紀(出典:国立国会図書館デジタルコレクション、『象之図』写を一部加工)

ゾウは5月末に江戸に到着し、吉宗は待望のゾウを目にすることができました。その後は、江戸の浜御殿という庭園で飼育されましたが、エサ代がかかるために早くから希望者への払い下げが検討されています。1732(享保17)年、ゾウのフンを原料とした「象洞」という薬(天然痘・はしかの治癒に効果があるとされた)が製造され、江戸や京都、大坂でも販売されました。1741(寛保元)年に、ゾウは中野村(東京都中野区)の百姓に売り渡され、翌年に死んでしまいました。ゾウの皮は、墨の原料(膠:にかわ)として幕府から奈良の墨屋・古梅園へ与えられ、今も保管されています。ゾウの骨と牙は中野村の宝仙寺に納められましたが、戦災で大部分が焼失してしまったようです。ただし、ゾウの牙の一部は、横山隆一記念まんが館(高知県高知市)に収蔵されています。

写真4:1742(寛保2)年に死亡したゾウの頭骨と牙と鼻皮の図、19世紀(出典:国立公文書館デジタルアーカイブ(内閣文庫)、『新編武蔵風土記』(淨書稿本、巻124 多磨郡)を一部加工)

19世紀の日本にやってきたアジアゾウ

1813(文化10)年6月、オランダ船を装ったイギリス船(当時、オランダの植民地だったジャワ島をイギリスが占領していたため)が、セイロン島(スリランカ)生まれのメスのゾウ1頭を長崎に連れてきました。長崎奉行の遠山景晋(時代劇「遠山の金さん」で有名な遠山景元の父親)は、初めて見るゾウに興味を抱き、日記に観察記録を残しています。しかし、幕府はゾウの受け入れを拒否しました。このゾウを描いた絵図は『唐蘭船持渡鳥獣之図』(慶応義塾大学所蔵)などに残されています。

開国後の1863(文久3)年前後に、外国船によって横浜にゾウ1頭が運ばれてきました。このゾウは、江戸で見世物となり人気を集め、チラシもたくさん作られました。チラシによれば、このゾウはマラッカ(マレーシア)から来たメスのゾウで3歳とされていますが、体高や重量から実際の年齢とは異なるようです。

写真5:1863(文久3)年に江戸で見世物となったゾウのチラシ、1863年4月(出典:東京都立中央図書館所蔵、「天竺舶来大象之図」を一部加工)

江戸での見世物で人気を博した後、伊勢国松坂(三重県松阪市)の興行師・鳥屋熊吉がゾウを手に入れ、古市(三重県伊勢市)、松坂(三重県松阪市)、難波(大阪府大阪市)、金沢(石川県金沢市)、二軒屋町(徳島県徳島市)など、全国各地を巡っていたことが明らかになっています。古文書の調査が進み、ゾウが岐阜(岐阜県岐阜市)や大垣(岐阜県大垣市)にも来ていたことが、最近判明しました。大垣藩の医者・江馬元益(活堂)がまとめた『近聞雑録』(岐阜県歴史資料館寄託、江馬寿美子家文書)という記録には、以下のように書かれていました。

1865(慶応元)年11月2日、岐阜から大垣御坊(大垣別院開闡寺)へ、黒象(6歳、メス)がやってきました。その日に大垣藩の大殿様(第9代藩主の戸田氏正)と家族たちが大垣御坊に来て、ゾウや力持ち(重い物を持ち上げる技を見せる)を見物しました。翌日は午後3時ごろより入場者が増え、ゾウの見物者が増えてきました。晴天の7日間は見物ができ、松坂の鳥屋熊吉が、このゾウを買い受けて運んできたとのことです。

写真6:1865(慶応元)年に大垣で見世物となったゾウのチラシ、19世紀(出典:岐阜県歴史資料館寄託、江馬寿美子家文書「(瓦版 大象)」)(掲載許可取得済・無断転載不可)

ゾウは岐阜から城下町・大垣へ移動し、大垣御坊という寺で見世物となり、多くの人々が見物していました。このころの人々は本物のゾウを見たことがなく、ゾウといえば仏画や仏像などに見える「白象」というイメージが強かったため、「黒象」と表現したと考えられます。

アジアの各地から日本へやってきたゾウと、日本人との関係について取り上げました。今回はほんの少ししか紹介できませんでしたが、まだまだ眠っている記録や古文書から新たな事実が浮かび上がるかもしれません。

【執筆者】
中尾喜代美(なかお・きよみ)
愛知県生まれ。愛知大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了(歴史学修士)。愛知県内で自治体史編さん事業に携わり、その後、岐阜大学地域科学部地域資料・情報センターで、同大教育学部附属郷土博物館に所蔵された古文書の目録作成や史料紹介に従事。岐阜県内を中心に古文書講座や講演会をおこなう。『岐阜大学教育学部郷土博物館収蔵史料目録』(1)~(10)・『岐阜大学地域科学部地域資料・情報センター 地域史料通信』創刊号~11号の編集・執筆。楠田哲士編著『神の鳥ライチョウの生態と保全』(緑書房)で「江戸時代のライチョウの捕獲と献上」を執筆。

[参考文献]
・WWFジャパン「アジアゾウについて」 https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/4306.html(20240324 最終閲覧)
・磯野直秀『日本博物誌総合年表 索引・資料編』平凡社、2012年
・高橋公明「海域世界の交流と境界人」(大石直正・高良倉吉・高橋公明『日本の歴史14 周縁から見た中世日本』講談社、2001年)
・『大航海時代叢書Ⅺ アビラ・ヒロン 日本王国記 ルイス・フロイス 日欧文化比較』、岩波書店、1965年
・成澤勝嗣「狩野内膳考」(『神戸市立博物館 研究紀要』2、1985年)
・太田尚宏「享保の渡来象始末記」(徳川林政史研究所監修『江戸時代の古文書を読む 享保の改革』東京堂出版、2004年)
・和田実『享保十四年、象、江戸へゆく』岩田書院、2015年
・ファン・ハイ・リン「前近代ベトナムにおける象の国家的管理と象貿易」(『古代東ユーラシア研究センター年報』4、2018年)
・東京新聞TOKYO Web「長い長いゾウの話」(上)https://www.tokyo-np.co.jp/article/200737 、「長い長いゾウの話」(下)」https://www.tokyo-np.co.jp/article/200987 (20240324 最終閲覧)
・藤田覚『遠山景晋』吉川弘文館、2022年
・磯野直秀・内田康夫解説『舶来鳥獣図誌 唐蘭船持渡鳥獣之図と外国産鳥之図』八坂書房、1992年
・川添裕「勢州松坂 鳥屋熊吉(上)」(『歌舞伎 研究と批評』27、2001年)
・社本沙也香「岐阜にゾウがやってきた~幕末における見世物興業と長良川輸送に関する一考察~」(『岐阜市歴史博物館研究紀要』24号2、2019年)
・楠田哲士「ゾウの輸送について」/中尾喜代美「ゾウを見に行ってきます!―慶応元年、岐阜の象興行―」(『地域史料通信』11、2020年)
・中尾喜代美「慶応元年(一八六五)のゾウ・トラの見世物興行―新出の史料紹介を中心に―」(『濃飛史艸』134、2023年)