「虫がテーマのビデオゲーム」の翻訳には気をつけることがたくさんあった! ある英日翻訳者の工夫

「虫がテーマのビデオゲーム」と聞いて、具体的に想像できない方もいるのではないでしょうか。人によっては、「ゲームの中で虫捕りをするってことでしょう?」と思うかもしれません。たしかに、世の中には虫捕り要素のあるゲームもありますが、それだけではないのです。

ひと昔前と比べて、昨今はゲームのバリエーションも数もぐんと増えました。虫が出てくるゲームについても、虫がアイテムや収集要素になっているもの、虫の生態そのものをゲームに落とし込んだもの、見た目のリアルさにとことんこだわったものまで、さまざまです。

この記事では、アリの生態がテーマの『Empires of the Undergrowth』というゲームを例として、「虫がテーマのビデオゲーム」の翻訳について解説します。

最初に知っておきたい:インディーゲームってなに?

筆者は、英語のゲームを日本語に翻訳することを仕事とする「ゲーム翻訳者」です。さまざまなゲームのなかでも、特に「インディーゲーム」を手掛けています。

インディーゲームとは、個人、少人数のグループ、独立系の小さな会社などにより制作されたゲームのことです。技術や開発ソフトの進歩により、かつては大きな会社でなければ作るのが難しかったようなゲームであっても、ものによってはたった1人で作れるようになりました。Nintendo SwitchやPS4などで購入して遊べるインディーゲームも多くあります。Steam(パソコン用のゲーム販売プラットフォーム)を探せば、さらに多くのインディーゲームとめぐりあえます。

大きな会社で作られるゲームと比べて、「作りたいゲームを作ることができる」のがインディーゲームの特徴です。大きな会社であれば「これは売れないかも」と制作をためらってしまうようなニッチなゲームでも、思う存分こだわって制作できます。

「虫がテーマのビデオゲーム」の翻訳は気を付けることがいっぱい!

そんなインディーゲームのひとつである『Empires of the Undergrowth』は、アリの生態に主眼を置いた戦略ゲームです。プレイヤーはリアルタイムでアリたちに指示を出して、狩り、外敵との戦い、同種や他種のアリとの縄張り争いなどを乗り越えて、自分が導くアリの巣の拡大を目指します。

写真:プレイヤーはアリの巣の拡大を目指す(『Empires of the Undergrowth』のプレイ画面)

プレイヤーが指示を出せるのは、道端でよく見かけるヤマアリ、収穫した葉で菌類を栽培することで有名なハキリアリ、侵略的外来種として知られるヒアリなど、さまざまです。開発チームによるフォーラムで世界中のアリ愛好家たちから意見を募って作られた3Dモデルは、触覚の節の数や長さにまでこだわられています。

写真:リアルな造形の3Dモデルも見どころのひとつ(『Empires of the Undergrowth』のプレイ画面)

ゲームのシステムには、アリの生態が数多く取り入れられています。たとえば、ヤマアリの「腹部からギ酸を噴射する」という習性は、ゲーム内では遠距離攻撃の手段として登場します。ハキリアリのステージではクリア条件が変化し、いかに獲物を狩るかではなく、素早く葉を収穫して効率よく菌類を栽培するかが重要になります。ヒアリのステージでは、体を絡み合わせて「いかだ」や「橋」を作る生態を活かして水辺を乗り越えることで、通常ならたどり着けない場所にも行けます。

写真:ヒアリの生態をもとに水辺を乗り越えるシーン(『Empires of the Undergrowth』のプレイ画面)

そのような特色をもつ本ゲームの翻訳では、気をつけるべきポイントが3つありました。

1. 生物の学名が登場する
2. 和名のない種が登場する
3. ゲームの制限内で訳す必要がある

それぞれのポイントについて、解説していきます。

1. 生物の学名が登場する

本ゲームの最大の特徴は、一部の特殊な生物を除いて、どの生物種にも学名が割り当てられていることです。学名とは、世界のどこでも同じ生物を表せる固有の名称です。これが、翻訳における最大の障壁となりました。

生物を学名まで使って指定するゲームは多くありません。たとえば、同ゲームの開発会社(Slug Disco)が販売を担当した、生態系の構築をテーマにした庭造りゲーム『Horticular』(開発:inDirection Games)では、Dragonflyがトンボのどの種を指すのかはさして重要ではないため、翻訳もシンプルに「トンボ」としてあります。

写真:細かな種類が求められていない場合は「トンボ」と訳するのが一般的(『Horticular』のプレイ画面)

一方で、『Empires of the Undergrowth』に登場するトンボはどうでしょうか。

写真:ゲーム内の字幕では、英名と学名が併記されている(『Empires of the Undergrowth』のプレイ画面)

写実的な3Dモデルも目を引きますが、上の画像で注目すべきは、ナレーションのテキストです。英名Great blue skimmerに学名(Libellula vibrans)が並んでいます。同じ虫が登場するゲームでも、まったく虫の扱いが違うのです。

2. 和名のない種が登場する

本ゲームの開発会社「Slug Disco」は、イギリス・リバプールを本拠地としています。したがって、ゲーム内に登場するのは欧米などでポピュラーな種……つまり、日本ではあまり知られていない種です。

先述したGreat blue skimmer(Libellula vibrans)もそのひとつ。体長5~6センチほどにもなる青い体色の美しいトンボですが、北米固有種であり和名が存在しません。

そこで筆者は、本種の属名であるLibellulaが「ヨツボシトンボ属」を指すことを確認し、生息地と属名を組み合わせて「北米産ヨツボシトンボ」としました。同じく北米固有種のハエトリグモであるMagnolia green jumping spider(Lyssomanes viridis)や、南米ステージに登場する、英名すら存在しないハエトリグモやハネカクシについても、同じ手法を取っています。

一方で、図鑑に載っているにもかかわらず、図鑑の和名を採用しなかった種もあります。それがDevil’s coach horse beetle(Ocypus olens)、ヨーロッパから北アフリカに広く分布するほか、現在では北米の一部でもみられるハネカクシの一種です。

写真:ステージ1のラスボスとして登場するハネカクシの一種(『Empires of the Undergrowth』のプレイ画面)

本種は、図鑑で「オレンスオオクロハネカクシ」と訳されていることが確認できた一方、「アクマサビイロハネカクシ」と記載された辞典**もありました。
*『地球自然ハンドブック 完璧版 昆虫の写真図鑑―オールカラー世界の昆虫、クモ、その他の虫300科』(日本ヴォーグ社)
**『プログレッシブ英和中辞典〔第5版〕』(小学館)

図鑑の「オレンスオオクロハネカクシ」と、辞典の「アクマサビイロハネカクシ」。正確を期して前者を選びたくなるところですが、本ゲームでは後者を採用しました。
第一の理由は、英名Devil’s coach horse beetleの直訳「悪魔の馬車馬たる甲虫」からもわかる通り、この昆虫はヨーロッパでは古くから悪魔と結び付けられてきた昆虫だからです。
第二の理由は、ゲームのステージ1においてプレイヤー率いるクロアリの前に立ちはだかるラスボスとして登場することです。つまりゲームの開発者は本種を「かっこいい敵」として見てもらいたいはずなので、「悪魔」の名を冠する「アクマサビイロハネカクシ」のほうが適切なのです。

とはいえ、図鑑と異なる和名を無闇に採用するわけにはいきません。そこで、ハネカクシの分類学者であり、前述の図鑑の翻訳者の1人でもある岸本年郎さん(ふじのくに地球環境史ミュージアム)に電話・メールで取材し、問題ないとの回答をいただいたうえで、「アクマサビイロハネカクシ」を訳語としました。

3. ゲームの制限内で訳す必要がある

ゲーム翻訳は、ボタンやメッセージ枠などの文字を入れ込むスペースが固定されているため、字数や表記、文字の大きさなどへの制限がつきまといます。

加えて本ゲームでは、プレイの進行にあわせてドキュメンタリー番組のようなナレーションが入るのが、厳しい制限となりました。ナレーションに合わせて字幕が表示されるのですが、短い表示時間に翻訳文を詰め込みすぎると、プレイヤーが字幕を読み切れず、必要な情報が伝わらないのです。

映画やドラマなどの「字幕翻訳」では、「1秒=4文字」と計算して翻訳するのが原則です。この制限に従うと、ときには「重要性の低い情報を短縮したり省いたりする」など、思いきった処理をしなくてはいけません。

写真:ゲームに登場するヨーロッパアカヤマアリ(『Empires of the Undergrowth』のプレイ画面)

こうした制限を踏まえて、このゲームではFormica rufaの訳語を標準和名のヨーロッパアカヤマアリ(11文字)ではなく、属名のヤマアリ(4文字)にしました。前者は読むのに2~3秒かかりますが、後者は1秒です。画面上でもスペースを取らないため、プレイヤーに負担をかけません。すこしだけ正確さが犠牲になりますが、ゲーム翻訳においては、翻訳の正確性と同じくらい、プレイヤーが負担を感じずに遊べることが重要なのです。

翻訳されたゲームをプレイしてみて!

以上が、「虫がテーマのビデオゲーム」を翻訳するにあたって、筆者が気をつけたポイントでした。いかがでしたか? 辞書とにらみあって訳語を選ぶだけではなく、より広範囲な調査をしたり、専門家に取材したりしていたことに驚かれたかもしれませんね。

『Empires of the Undergrowth』のようなゲームを翻訳することはめったにありませんが、同じように生物にまつわる専門知識が必要なゲームの翻訳では、辞書を引く時間よりも日本語の情報にあたる時間のほうが長くなります。インターネットの情報にとどまらず、専門書とにらみ合いながら訳文を考えることもしばしばです。

そして、このような調査は翻訳の前準備でしかありません。翻訳の本番は、原文の内容を理解したあとからはじまります。例えば『Empires of the Undergrowth』のようなゲームを翻訳する場合は、昆虫図鑑や生態ドキュメンタリーのような文体で翻訳文を書き起こさなくてはいけません。

筆者の考える「翻訳」とは、原文にある単語を辞書にある訳語に置き換えるだけではなく、「原文を書いた人間が、何を思い、どんな効果を狙って書いたかを読み取り、違う言語において同じ効果をもつ文章にする」ことです。これはきっと、翻訳元の言語や翻訳対象にかかわらず同じはずです。

本記事で紹介した作業はほんの一例にすぎませんが、「虫がテーマのビデオゲーム」を翻訳する上で何が行われているのか、翻訳者の視点を垣間見ていただけたなら幸いです。そして、もし興味が出てきたときは、たくさんあるゲームの中から、好みのゲームを探して遊んでみてくださいね。

©SLUG DISCO STUDIOS/ Empires of the Undergrowth
※スクリーンショット撮影:しろひろし

【執筆者】
サラチ@EmptyLot
千葉県生まれ、宮城県育ち。英日ゲーム翻訳者。インディーゲームの翻訳を主に手がける。実在の生物を扱ったゲーム作品の翻訳実績多数。主な翻訳作品に、『Stardew Valley』、『バグ・フェイブルズ ~ムシたちとえいえんの若木~』、『Empires of the Undergrowth』、『Horticular』、『Ecosystem』など。