鳥を愛した日本画家・田中一村の描いた野鳥を見る

日本の絵画芸術で、鳥はどのように描かれてきたでしょうか。

かなりざっくりとまとめると、日本の絵画芸術は平安時代から本格的にはじまり、その当初から鳥が描かれていました。それは国外から輸入された仏画で、明王を乗せたクジャクが最古例の1つです。平安時代末~鎌倉時代にかけては「鳥獣人物戯画」や「信貴山縁起」などの絵巻物が日本国内で作られ、その風景の中にさまざまな鳥が登場します。さらに室町時代になると中国から花鳥画が輸入され、日本文化である茶の湯に代表される総合芸術の発展と共に、鳥の絵が一気に増えました。中国で修業した画聖・雪舟が、本場の花鳥画や水墨画の概念や技法を日本に持ち帰ったことも強く影響したでしょう。これらの影響により、鳥の絵が日本の絵画芸術のかなりの部分を400年もの間、占めることになりました。

江戸時代の初期には、俵屋宗達が国宝「蓮池水禽図」を、剣豪・宮本武蔵が重要文化財「枯木鳴鵙図」を生み出し、江戸時代後期には伊藤若冲、円山応挙、長沢蘆雪、岡本秋暉、酒井抱一などの多彩な絵師が登場して、百花繚乱の最盛期を迎えました。

明治時代には、西洋絵画に影響を受けた渡辺省亭や木島櫻谷が活躍したほか、伝統を重んじて旧派と呼ばれた荒木十畝や池上秀畝なども、新しい日本画を目指した菱田春草や竹内栖鳳なども、こぞって鳥を描き続けました。

そして、その後の昭和を代表する花鳥画家が、今回紹介する田中一村です。

昭和を代表する花鳥画家:田中一村

図:「白い花」/昭和22年(1947)9月/紙本着色 2曲1隻/田中一村記念美術館蔵/Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

1908年に栃木県で生まれた田中一村は、幼少から絵に長けていて神童と呼ばれていたそうです。はじめは南画(デフォルメした山水の風景を描いた水墨画に、解説などの漢詩を合わせて記したもの)を描いていましたが、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を中退した後に花鳥画に転向し、生涯にわたって数々の名品を生み出しました。彼の画家人生は前半生の千葉時代と後半生の奄美時代に大きく二分されますが、彼の画業が生前に世に認められることはなく、1977年にひっそりと亡くなります。ようやく評価されはじめたのは、死後しばらくしてNHKのテレビ番組で紹介されてからでした。

田中一村の絵画に出会える場所

私は彼の鳥の絵に昔から強く惹かれ、作品との出会いを長く心待ちにしていました。念願叶った初対面は、2007年4月に岩手県立美術館で開催された「名品と映像でたどる、とっておきの美術館案内 NHK日曜美術館30年展」です。田中一村の絵画があるとは知らずに訪れた会場の最後に現れた2枚の絵画に強い衝撃を受けたことを、今でも鮮やかに覚えています。次は2010年8月に千葉市美術館で開催された「田中一村 新たなる全貌」で、初めて見た千葉時代の作品の数々に感激しました。しかし今までで最高の出会いは何といっても、2024年1月に初めて訪れた、鹿児島県・奄美大島の田中一村記念美術館です。他に誰もいない静かな展示室で、ずらりと並んだ奄美時代の名作を鑑賞したのは、何物にも代えがたい感動の体験でした。

そして、2024年9月19日~12月1日に東京都美術館で大回顧展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が開催されます。今から楽しみで楽しみで、ワクワクが止まりません。

図:「榕樹に虎みゝづく」/昭和48年(1973)以前/絹本墨画着色/田中一村記念美術館蔵/Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

鳥好きが伝わる独創的なラインナップ

私が田中一村の作品に惹かれる理由は、その芸術性はもちろんですが、画題に選ばれている鳥の種類にあります。彼は実に多くの鳥を描いていますが、他の花鳥画家とはかなり違う、独創的なラインナップです。

関東地方で描かれた鳥

千葉時代には関東地方の郊外や農村で見られる身近な鳥を選んでいますが、スズメ、ツバメ、カラス類、サギ類などの日本の絵画芸術でよく描かれた種類はまったく見当たりません。その代わりに、トラツグミ、オナガ、ミソサザイなど、それまでほとんど注目されなかった鳥を、写実的かつ生々しく描いています。確かに関東地方の郊外で一般的に見られるものの、特に愛鳥家が喜ぶようなマニアックな種類です。それをあえて選ぶところに、彼がとにかく鳥が好きだったことが強く伝わってきます。もしかしたら、日本の絵画芸術史上、最も鳥好きだったのではないでしょうか。

図:「忍冬に尾長」/昭和31年(1956)頃/絹本着色/個人蔵/Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

奄美大島で描かれた鳥

1958年に、50歳の田中一村は後半生の活路を求めて奄美大島へ移住します。ここで代表作となる極上の大作を20作品ほど描き、69歳で無念の生涯を終えました。この奄美時代に彼はどんな鳥を描いたのでしょうか。大作からざっと集計してみたところ、ルリカケス(2作品)・オオアカゲラ(亜種オーストンオオアカゲラ)(1作品)・アカヒゲ(2作品)・アカショウビン(亜種リュウキュウアカショウビン)(4作品)・イソヒヨドリ(1作品)・トラフズク(1作品)が見つかりました。特にルリカケス・オーストンオオアカゲラ・アカヒゲは世界でも奄美諸島とその周辺しか生息しない固有種・固有亜種で、まさに奄美大島の代表です。リュウキュウアカショウビンは琉球列島を象徴する夏鳥で、愛鳥家からとてつもない人気があります。そして、アカヒゲとトラフズク以外は日本の絵画芸術で広く描かれることがなかった種類で、やはり玄人評価の高い独創的なラインナップになっています。

図:「初夏の海に赤翡翠」/昭和37年(1962)頃/絹本墨画着色/田中一村記念美術館蔵/Ⓒ2024 Hiroshi Niiyama

写真:ルリカケス(奄美大島にて筆者撮影)

写真:アカヒゲ(奄美大島にて筆者撮影)

ただし、同じような条件でも不思議と描かれなかった鳥もいます。同じく奄美諸島とその周辺しか生息しないアマミヤマシギやオオトラツグミ(千葉時代によく描いたトラツグミの近縁種)は描かれていませんし、南西諸島の夏の海を象徴するベニアジサシやエリグロアジサシもありません。水田や水辺で見られるリュウキュウヨシゴイや、サトウキビ畑で見られるミフウズラ、冬の里山に多いサシバも描かれていません。これら、描かれた鳥と描かれなかった鳥の違いをどう考えればいいでしょうか。

写真:アマミヤマシギ(奄美大島にて筆者撮影)

描かれた鳥から読み取れること

一村が題材として選んだ鳥は、人里近くで見られる身近な種類の中でも、特に派手なものです。ルリカケスは里近くの森林に生息し、人里へもよく現れます。オーストンオオアカゲラは深い照葉樹林で暮らしますが、海辺のマングローブ林など開けた林にも出てきます。アカヒゲは暗い林床に潜む小鳥ですが、人里の裏山からも大きな囀りがよく聞こえます。アカショウビンは人里を含むさまざまな環境で多く見られ、イソヒヨドリは海辺の岩場に生息しますが人里でもよく見られます。いずれも赤・青・紫などの原色に飾られた派手な外見をしています。

一方で、描かなかった鳥は地味さも影響したかもしれませんが、観察する機会に恵まれなかったことが強く影響したと思います。アマミヤマシギは夜行性ですし、オオトラツグミは山奥に少数が生息するだけなので、どちらもほとんど見る機会はなかったでしょう(奄美諸島を代表する哺乳類であるアマミノクロウサギも夜行性なので同様です)。ベニアジサシやエリグロアジサシは海上を素早く飛び回るため、観察やスケッチが難しかったのではないでしょうか。また、奄美大島では田畑がある地域が限られていて、一村が生活した辺りにはほとんどありませんでした。

私の願いが叶うなら、これら「描かれなかった鳥」の作品もぜひとも見てみたかったです。アマミヤマシギは全身茶色で確かに地味ですが、暗い森の情景に浮かび上がる姿はかなり魅力的な作品となったでしょうし、千葉時代に描いたトラツグミと対となるようなオオトラツグミは、一村の画業を評価する上で必須の作品になったでしょう。夏の青く眩しい海に飛ぶ白いアジサシ類は、これまでにない明るい画面で一村の芸術性をさらに広めたはずです。彼がもう少し長生きしていたら、いずれかは実現していたかもしれません。

未来の花鳥画に想いを馳せる

近年の美術や芸術は様式やテーマが際限なく多様化し、日本画に絞っても何でもありの様相を呈しています。花鳥画はあまりにも古い画題なのか、今では日本の絵画芸術の主役から落とされてしまって、かつてに比べると最近の画家やアーティストは鳥をほとんど描かなくなりました。日本美術史という大きな流れの中で、花鳥画で代表作を持つ最上の芸術家は、田中一村と加山又造(1927~2004)が最後です。

しかし、日本人は花鳥風月を愛する文化や心情を今でも確かに持っていますし、流行り廃りはいつの時代も大きく揺れ動いています。現在の反動で、花鳥画が表舞台に呼び戻される時代がいつか来るはずです。そのときに登場するであろう、田中一村に続く花鳥画家を、私は待ち続けています。

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【執筆者】
高橋雅雄(たかはし・まさお)
岩手県立博物館 専門学芸調査員。1982年、青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科博士課程後期課程修了。博士(理学)。新潟大学朱鷺・自然再生学研究センター特任助手、弘前大学農学生命科学部研究機関研究員、日本学術振興会特別研究員PD等を経て2021年より現職。専門分野は鳥類学・行動生態学・保全生態学で、湿性草原や水田に生息する絶滅危惧鳥類(オオセッカ・ケリなど)の分布・環境利用・繁殖生態・行動について研究している。趣味が高じて、アートテラー・とに~と組み、「鳥とアート」についてのトークショーを美術館やギャラリー等で不定期で開催している。

■開催概要
・名称…「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」
・会場…東京都美術館 企画展示室(東京都台東区上野公園8-36)
・会期…2024年9月19日~12月1日9:30~17:30
 ※金曜日は9:30~20:00
 ※入室は閉室の30分前まで
・休室日…月曜日、9月24日、10月15日、11月5日
 ※9月23日、10月14日、11月4日は開室
・主催…公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館、NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社
・協賛…DNP大日本印刷、日本典礼
・監修…松尾知子(千葉市美術館 副館長)
・公式サイト… https://isson2024.exhn.jp/