虫の目線で季節を見る【第2回】カブトムシの夏

梅雨が明けて、賑やかなセミの声が響きはじめると、いよいよ夏がやってきます。そう、カブトムシの季節です。

恵みの場「里山」のカブトムシ

写真1:カブトムシのメス(左)とオス(右)

カブトムシが多く見られるのは、里山に広がる雑木林。人の手によって管理されている環境です。

里山は、人間の生活と自然が調和した風景であり、古くから日本の文化と深く結びついてきました。里山には田んぼや畑、そして雑木林や草地が広がっており、その多様な環境はカブトムシだけでなく多くの生物にとっての恵みの場です。

なかでも、クヌギやコナラなどの広葉樹が多く混在する林を指す「雑木林」は、多様な生物が共存する豊かな生態系をもっています。これらの木々は、カブトムシの幼虫が成長するために必要な腐葉土や朽ち木を提供し、成虫が栄養を摂取するための樹液も豊富に出します。なかでも特にクヌギやコナラは、カブトムシにとって重要な食料源であり、活動の中心となる場所でもあります。

樹液に集まる多様な生き物

カブトムシの成虫はおもに夜、クヌギやコナラなどの広葉樹から滲み出る樹液を求めて活動します。樹液とは、その名の通り「樹木の中を流れる液体」です。ボクトウガ、コウモリガといったガの仲間やカミキリムシなどの幼虫が木に入り込んだときの傷口から滲み出した樹液が、カブトムシをはじめ多くの昆虫とって栄養価の高い食料となっています。彼らが好む樹液の出ている木は甘酸っぱい独特の発酵臭がするので、近くに行くと匂いでわかります。

写真2:樹液(白っぽく見える物質)を吸うカブトムシ。メスのように見えるが、角が小さな小型のオス

夕暮れが近づくとカブトムシは地面から這い出し、目当ての木を樹液の匂いを頼りに探し求めて飛び回ります。大きな体をしているだけあって、周囲にはブオォォンと迫力のある羽音が響き渡ります。一度経験すると、次からはその羽音だけでカブトムシが飛んでいることが分かるでしょう。

やがて樹液にたどりついたカブトムシは、ブラシ状の口器で甘い樹液を吸います。樹液の出が悪いときは、硬いアゴを使って木の幹に自ら傷をつけ、その出を良くしてから吸うこともあります。

雑木林には樹液を出す木々が多く見られ、カブトムシの生活を支えています。これらの木々の周りにはカブトムシだけでなく、チョウや甲虫、それらを捕食しようとやってくる他の昆虫や野鳥など、多くの生き物たちで賑わいます。樹液の出る木は、それ自体がひとつの生態系を形成していると言えるでしょう。

写真3:樹液の出る気に集まった虫たち。右上からカブトムシ、サトキマダラヒカゲ(チョウ)、カナブン

「出会いの場」かつ「戦いの場」

樹液の出る場所は、カブトムシのオスたちにとっての戦場でもあります。樹液だけでなく、繁殖相手となるメスを巡って他のオスと戦わなければなりません。カブトムシのオスは、その立派な角を使ってライバルを押しのけ、樹液の場所を確保しようとします。この戦いは、カブトムシの力と技の見せ所です。角を使って相手を持ち上げて投げ飛ばす姿は、自然界の力強さと美しさを象徴しているようにも見えます。

写真4:戦うカブトムシ。相手の体の下に角を差し込み、てこの原理で投げ飛ばす

戦いに勝ったオスは、樹液を独占し、メスを引き寄せるチャンスを得ます。負けたオスは樹液を得ることができず、他の場所を探さなければなりません。カブトムシの戦いは、ただの力比べではなく、生存と繁殖のための重要な儀式なのです。

そして戦いに勝利したオスは、樹液でメスを待ち受けます。メスもまた、樹液を求めてやってきます。オスはメスに出会うとしきりに匂いをかぎ、やがてその背中に乗って交尾します。このときオスは、羽と腹部を擦り合わせてギュッギュッと音を出すことがあります。一種の求愛行動でしょうか。

写真5:交尾するカブトムシ。このときオスはギュッギュッと音を出すことがある

交尾を終えたオスとメスは、再びその場で食事を続けることもありますが、驚いたことにオスが交尾相手だったメスを投げ飛ばすなどして追い出すことがあります。これは次にやってくる別のメスと交尾するためと考えられており、多くの子孫を残そうとするオスの本能的な行動なのでしょう。実際に見るとその態度の豹変にびっくりしますが、当たり前のように行われている行動のようです。

メスはやがて、腐葉土や腐食の進んだ朽木の周囲に潜り込み、小さなピンポン玉のような卵をいくつも産みつけます。夏に産卵された卵は秋には孵化して幼虫となり、腐葉土などを食べながらすくすくと育ちます。そして翌年の初夏にサナギになって、夏を迎える頃には次の世代のカブトムシが誕生するのです。

写真6:カブトムシの幼虫。秋に孵化した幼虫は、翌年の初夏にサナギになる

カブトムシを探してみよう!

こうして見ると里山の雑木林は、カブトムシにとって、食べ物、出会いの場、幼虫の育つ場所とすべてを兼ね備えた場所であることがわかります。人間にとっては、かつて人間と自然が共生していた風景を今に伝える場所でもあります。

昨今は都市化や農業の変化により、これらの環境が急速に減少しつつあります。近年では雑木林を切り開いてメガソーラーが建設されることも増えてきました。しかしこうした里山の環境はカブトムシだけでなく、多くの生物にとっての生命の源であり、多様な生物が共存する生態系の縮図と言えるもので、一度失われると復元にはたいへんな時間と労力が必要になります。カブトムシのいる里山、雑木林を保護することは、生物多様性を守ることでもあり、それは人間の生活をも豊かにすることです。カブトムシの生活を理解し、その保全に取り組むことは、私たちと自然とのつながりを深め、持続可能な未来を築くための第一歩となるかもしれません。

少し難しい話になりましたが、カブトムシは山奥ではなく、意外に身近な所にいる昆虫です。小さくても雑木林のある里山や緑地公園が近くにあったら、カブトムシのいる可能性が十分にあります。よほど暑い日でなければ、明るい時間帯に活動していることもよくあります。この夏は彼らの暮らしを観察しに、少し出掛けてみませんか。

【写真・文】
尾園 暁(おぞの・あきら)
昆虫写真家。
1976年大阪府生まれ。近畿大学農学部、琉球大学大学院で昆虫学を学んだのち、昆虫写真家に。日本写真家協会(JPS)、日本自然科学写真協会(SSP)、日本トンボ学会に所属。著書に『くらべてわかる トンボ』(山と渓谷社)『ぜんぶわかる! トンボ』(ポプラ社)『ハムシハンドブック』(文一総合出版)『ネイチャーガイド 日本のトンボ』(同上・共著)など。