身近になり過ぎたクマ類
僕が勤務する大学の脇にある野幌森林公園にも、5、6年前からヒグマが出没するようになり(写真1、2)、ライフスタイルがすっかり変わりました。
まず、自宅と勤務先の大学との間は林道を使って通勤していましたが、夜に帰宅する場合は林道を避けるようになりました。
また、大学と森の間に電気牧柵が設置され、衛生動物(人間や家畜に害を及ぼす動物)の現地調査実習などで大人数の学生を連れて行くことがとても不便になりました。仮に僕一人が感電しても、学生にそのような危険な目に遭わせてはいけません。
さらに、僕は学生サークル「野生動物生態研究会」の顧問でしたので、自粛要請を無視して森の中で活動をするヤンチャな部員へ渡すため、いつもクマスプレーを数本持って歩いていました。もし学生に何かあったら、僕にも厳しい社会的制裁があるはずですからね。そう考えるとヒグマより人間の方が恐ろしい気もします。
なお、『ラストカルテ 第10巻』(浅山わかび著、小学館)には、少々デフォルメ気味ですが、大学にヒグマが出てきた様子が描かれていましたので興味のある方はぜひご覧ください。
指定管理鳥獣となったクマ類
幸い、私が勤務する大学の学生も近隣住民も襲われてはいませんが、北海道内の別地域ではヒトや家畜も襲われ、亡くなった方もいらっしゃいます。先ほど軽口をたたきましたが、北海道内の森の中では、本当に気をつけてください。さらに、本州以南(特に東北地方、北海道の人は「内地」といいます)ではツキノワグマが困った存在になっていますね。このようなことから2024年4月、環境省が「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律(鳥獣保護管理法)」で規定する「第二種特定鳥獣管理計画」の指定管理鳥獣として、これらクマ類を指定しました。
このことは、先行的に指定されたニホンジカとイノシシが盛んに捕獲されるように、クマ類にも同様なことが生じ、その結果、クマの死体がこれまでよりも多く現れることを意味します(写真3~5)。
動物を愛する皆さんからすると不謹慎に感じられるかもしれません。しかし、ここは冷静に、貴重なクマの死体を無駄にせず野生動物医学研究やワンヘルス教育に活用させていただくことを考えることが必要ではないでしょうか。
クマ類の寄生虫と人間の健康および自然環境との関係
クマの死体には、研究用途以外に食材(ジビエ)としての利用も考えられます。そのためにも、クマ類が保有すると目される病原体の情報も整理しておくべきでしょう。僕の専門は寄生虫(病)ですので、その情報を地元獣医師会の依頼でまとめました。この中から、皆さんにも少し紹介しますね。
原虫とダニ
道内のヒグマからは、赤血球に寄生するマラリアに近い仲間の原虫であるバベシアと、肝臓に寄生するヘパトゾーンが相次いで見つかりました。これらの原虫は飼い犬によく寄生して貧血の原因になることがあります。こうした原虫はマダニ類の刺咬によって感染しますから、当然、ヒグマにはマダニもたくさん寄生していることでしょう。
他のダニ類関連の例としては、動物園で飼育されているクマ類で、禿げたタヌキやキツネで知られる疥癬(かいせん)が確認されています。シラミやノミは類などの報告はありませんが、エゾジカを摂食したヒグマ胃内容物の検査時に、シカシラミバエというシカにだけ寄生するハエの仲間が出てきました。このハエは第9回でも紹介しています。クマを解剖する機会が増えれば、このような偽寄生といった紛らわしい事例も増えるでしょう。
線虫
シラミやノミなどがいないからといって、クマ類が吸血昆虫から嫌われているというわけではありません。蚊の仲間は彼らの血液が好きなようで、その証拠にクマからは蚊によって媒介されるフィラリアという線虫が出てきます。結構、長い虫なので、少なくとも僕は高揚します。
少し注意しなければならないのは、クマの体内(小腸)にはヒトやイヌにも寄生することが知られる鉤虫の仲間がいることです(写真6)。それらの鉤虫の口を見ると、ギザギザとした凶悪そうな歯がある種と(写真7上)、出刃包丁のような板がある種がおり(写真7下)、この口で腸の血液をすすります。これらの感染経路もやっかいで、幼虫が皮膚に穴をあけて感染します。クマがいそうなところで裸足にはならないでしょうから、ヒトへの感染はないとしても、イヌには危険ですね。猟犬が心配です。
同様に問題になるのがクマ回虫です(写真8、9)。
動物園で飼育されるクマ類にも高頻度で寄生し、本州の施設にてニホンザルでこの回虫の幼虫が体内を動き回って病気を起こした例が知られます(幼虫移行症)。現状、ヒトでもそのようなことがあるのかどうかは不明です。また、ヒグマの冷凍肉の刺身(ルイベ)による旋毛虫症の集団発生例が知られており、公衆衛生的にかなり問題視されています。旋毛虫は低温に耐性がありますので、しっかり火を通しましょう。
条虫
ヒグマには日本海裂頭条虫という条虫(サナダ虫)がいることがあります(写真10、11)
これはサケ・マス類に幼虫が寄生している虫ですので、どのヒグマにもいるわけではなく、こういった魚を捕食できる場所のクマにしかいません。逆に、これがいるということは、そういった地域から来た証拠になります。たとえば、札幌市内で人的な被害を与えた後、捕殺された個体からこの条虫が出てきて、市内への侵入経路の推定が可能になったこともあります。この条虫は数メートルと長いので、後ろの部分が引き伸ばされることがあり(写真12)、肛門から出た状態の個体が目撃されており、猟師の方は「熊の褌」と呼んでいました。
クマ類で知られる他の条虫としては、アメリカクロクマの例ですが、胞状条虫が見つかったことがあります。この条虫の幼虫はシカの肝臓にいます。第9回でも紹介した袋状の虫です。
今後について
2023年から春先の残雪期にヒグマを駆除する「春期管理捕獲」と呼ばれる制度が始まりました。これによりヒグマが冬眠穴(写真13)から出たばかりの春先に積極的に捕獲が行われるようになりました。
このような捕獲は30年ぶりで、手探り状態の部分もありますが、人身被害を予防するためには重要です。一方で、捕獲作業に従事されるハンターも既に限界にきているように感じます。また、いき過ぎた捕獲などでクマ類の生息が脅かされる恐れもあります。
クマ類が指定管理鳥獣となったことで、考えなければならないことが山積しています。クマ問題に関して、皆さんも注視してみませんか。なお、今回紹介した内容の一部は下記の論文にて公開される予定です。引用文献などは、そちらをご覧下さい。
[引用文献]
・浅川満彦. 2024.指定管理鳥獣とされたヒグマの寄生虫について. 北獣会誌, 68: 印刷中.
【執筆】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学教授、獣医師、博士(獣医学)。日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。主著(近刊)に『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)など。
[編集協力]
いわさきはるか
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