野生動物の法獣医学と野生動物医学の現状【第13回】野生動物医学とワンヘルス-海獣には魔物が潜む(その1)

生きていたら感動、死んでいると困惑……海獣との遭遇

たとえば、当サイト連載記事である『日本で出会ったイルカとクジラ』の見事な写真のように、クジラ類の優美な姿には、魅了される方が多いでしょう。私の身の回りの獣医大生も同じです。夏休みなどに大海原でクジラ類に間近に接し、「人生、変わっちゃいました」と遠くを見ながら口にする者がなんと多かったことでしょうか。観察するだけに留まらず、「一刻も早くクジラ・アザラシの保護をしなければならない」との啓示を受けて、中退する学生までいました。

そこまでではなくとも、海岸に打ち上がったイルカを現場に居合わせたサーファーたちが、一所懸命、海に戻している姿をニュースで見たことがあるという方は少なくないでしょう。海獣は人をひきつけ、人生を変えてしまうほどの魅力を持つ、ある種の「魔物」といえそうです。

しかし一方で、もし打ち上がった個体が死んでいたら、残念ながらこういった感動的な展開にはならないと思います。昔ならば人々が競ってその死体から肉を切り取って持ち帰るのでしょうが、今では、その海岸を管轄する自治体担当者が高額な死体処理費用捻出に悩みつつ、その場をしきります。すでに強烈な臭いを放ち、ガスが充満して膨れた腹部には大爆発の危険があります。「いいね!」狙いの野次馬の接近を遮りながら、心中「なんでうちに流れ着いたんだ!」と呟き、思わず天を仰ぐ人がほとんどでしょう。

しかし、そこに現れる救いの手ともいえる存在が、クジラ類の研究者たちです。研究の好機と捉え全国から集まって来て、調査という名目で処理を進めていきます。

体長11メートル、コククジラ調査の舞台裏

特に希少な種であれば、座礁した原因追及は不可欠です。たとえばコククジラは北半球の広く生息していたヒゲクジラの仲間で、18世紀以降、北大西洋個体群と北太平洋西個体群は絶滅したとされていましたが、最近になって日本周辺で目撃されました。東個体群からの移入か、それとも絶滅を免れた個体だったのか……。いずれにせよ、正真正銘の希少種です

2007年8月1日、そのうちの1頭(死体)が北海道苫小牧市の海岸で見つかりました。そのわずか3日後、国立科学博物館(以下、科博)を中心とした研究班が材料採集(サンプリング)を行うこととなりました。

私が所属する野生動物医学センター(WAMC)には海獣が好きなスタッフも所属しておりましたので、これは絶好の機会でした。もちろん私も参加しています。しかし、正直申し上げますと間近で接するヒゲクジラ類の大きさ(体長約11メートル)にただただ圧倒されるばかりでした(写真1)。

写真1 2007年8月1日、北海道苫小牧市の海岸に打ち上がったツチクジラ死体と国立科学博物館を中心とした研究者たち、撮影は石川 創先生(大阪海洋研究所、元日本鯨類研究所)

クジラを挟んで左側で右手を掲げ、てきぱきと現場の指揮をしている田島木綿子先生(科博)に対し、右側にいる白いシャツを着た私は呆然自失で立ち尽くしています。

そして、田島先生の左にいる方が持っている棒状のものをご覧ください。クジラほど大きいと死体を処理する際にこのような特殊なメス(大刀)が必要になります。このあと、我々WAMCも標準装備としましたが(写真2)、この時にはまだ持ち合わせていませんでしたので、手持ち無沙汰でした。

写真2 野生動物医学センターを視察にきた海外獣医師の皆さんに大刀を手に取ってもらった様子

体が大きければ腸も長い

しかし、その巨大な死体から腸が引き出された途端、寄生虫が専門の私は忙しくなります。クジラの腸は、全長約100メートルもあり、きちんと折りたたまれていても写真3のようなスケールです。

写真3:コククジラから取り出された腸全景

さらに、激しい異臭を放っていました。私は、この巨大な腸から内容物を取り出し、ポリ容器に絞り出す作業を任されたのです(写真4)。

写真4:クジラの腸から内容物を絞り出す著者(右)

この気の遠くなるような作業を、私はたった一人で延々と続けなければなりませんでした……。

未処理の腸に海水がかかって、いつしか潮が満ちていることに気が付きました。慌てて移動し、手元が見えなくなるまで作業を続けました。他の研究者も、それぞれが必要な試料を夢中で集めておりました。日がとっぷり暮れ解散となりましたが、道外の研究者たちは宿泊しなければなりません。全身異臭を放つ客を迎える民宿の御主人には、正直同情しました。このあたりの詳しいエピソードは田島先生の著作『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と渓谷社、2021年)を読んでいただければと思います。

私は腸内容物の詰まったポリ容器数本を勤務先の公用車でWAMCに運び込むだけなので、他人様には迷惑をかけずに済みました。しかし、これを調べる我々にはさらなる試練が待っています。宿主動物のサイズがいつもより大きいからといって、寄生虫の大きさも大きくなってくれるわけではありません。実体顕微鏡を使って細かく丹念に調べます。宿主動物のサイズがいつもより大きくても、寄生虫の大きさは変わらないので、微細な観察が必要となります。

ところで、私はこれまで日本産寄生虫の由来を生物地理学という視点から眺めることをライフワークとし、その宿主モデルとして野ネズミ類を対象にしていました。今回のクジラのように巨大な動物と対峙すると、「ああ、研究対象が野ネズミでよかった」と実感します。

なお、他の生き物がそうであるようにクジラの寄生虫は腸だけにいるものではなく、本来は腸以外の内臓も調査する必要があります。しかし、今回は他の内臓の腐敗が進んでいたことと、調査員の数が足りなかったことから、腸以外の内臓の調査は泣く泣く諦めざるを得ませんでした。

クジラの皮膚の中に棲むフジツボ類

こんなに頑張って調べたにもかかわらず、腸内容物からは何も得られず、この作業は徒労に終わりました。この経験から、「やはり宿主は検査がすぐに終わる小さな動物に限る」と実感しました。しかし、幸いなことにクジラの体表には、寄生性フジツボ類やそれを足掛かりに生息するクジラジラミ類(写真5)が見つかりました。これらの発見は担当学生の卒論の一部となり、Murase et al. (2014) として発表されています。

写真5:コククジラ体表に認められた寄生性フジツボ類(上)。およびそれを足掛かりに生息するクジラジラミ類(下)。詳細はMurase et al.(2014)参照
写真6:寄生性フジツボ類(右)がコククジラ皮膚組織内に寄生する様子(HE染色)。詳細はMurase et al.(2014)参照

フジツボと聞くと、多くの人は岩などの表面にくっついているだけのものを想像するでしょう。しかし、クジラに寄生するフジツボは違います。これらは実際にクジラの皮膚の中に入り込んでいます。さらに驚くべきことに、フジツボは「セメント腺」という特殊な器官から分泌物を出して、クジラの体内に強固な足場を作っていることが、顕微鏡での観察で明らかになりました(Murase et al., 2014;写真6)。

フジツボの仲間には「エボシガイ」という変わった姿の生き物もおり、これもクジラやイルカに寄生します。私自身、野生のシャチに寄生しているエボシガイを見たことがあります(Sakai et al., 2009:写真7)。

写真7:野生のシャチに寄生していたエボシガイの仲間。詳細はSakai et al.(2009)参照

エボシガイの奇妙な形に、私は強く惹きつけられました。この興味深い生き物については浅川(2006)で詳しく言及しています。

さて、冒頭で海獣類に魅了され獣医大を中退した学生のお話をしましたが、本文で紹介した石川・田島両先生はいずれも獣医師です。両先生の活躍を知っていれば、そのような性急な決断はしなかったかもしれませんね。

なお、クジラ類の詳細については田島先生が監修であり、本サイト運営元の緑書房から2021年に出版された『海棲哺乳類大全 彼らの体と生き方に迫る』が参考になります。興味のある方はぜひご一読ください。

[参考文献]
浅川満彦. クジラ類に住み着く「ふじつぼ」と「しらみ」はどのような悪さをするのだろうか. うみうし通信. 2006;53:10-12.
https://www.rimi.or.jp/publication/tsushinbn
Murase M, et al. An ectoparasite and epizoite from a western gray whale (Eschrichtius robustus) stranded on Tomakomai, Hokkaido, Japan. Res. One Heal. 2014;38:149-152.
https://s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/gra.rakuno.ac.jp/wp-content/uploads/2018/01/23055728/roh_201402.pdf
Sakai Y, et al. Records of barnacle, Xenobalanus globicipitis Steenstrup, 1851 and whale lice, Cyamus sp. from a wild killer whale captured in the Western North Pacific, off Kii Peninsula, Japan. Jpn. J. Zoo Wildl. Med. 2009;14:81-84.
https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/2404

【執筆者】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学教授、獣医師、博士(獣医学)。日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。主著(近刊)に『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)など。

【編集協力】
いわさきはるか