画眉鳥
早朝、画眉鳥(がびちょう)の声で目が覚める。と、こう書けば、鳥の囀りで目覚める素敵生活、となりそうだが、ものは書きよう。
画眉鳥の声はすごく大きい。中国や東南アジア原産の外来種だというから、狭い日本でちまちま鳴くようにはできていないのかもしれない。美声は銀のヘアピンのように細く鋭く、節回しの華やかさに、中国では鳴き合わせもされてきたというのも腑に落ちる。
この春初めて、画眉鳥が来た朝のことが忘れがたい。
突然に響いたゴージャスな鳥の鳴き声、でも聞きなれない声に叩き起こされ、なんだなんだ? と、窓を開けてみると、庭のハクモクレンの枝に知らない小鳥が2羽いた。
…キーウィ? まさかね。…メジロ?
体長約20センチ。地味な茶色で、目の回りの白い縁取りが頭の後ろまでのびている。2羽は物怖じするふうもなく、軽々と枝を渡ってまた、鳴きかわす。この時ちょうど、木のてっぺんに日が射した。新しく清潔な光のなかで、小鳥はまるでスポットライトを浴びたよう。いよいよ声を張り上げる。
そのボリュームにクラっときたところで、映画『インサイドヘッド』(ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、ピクサー・アニメーション・スタジオ)の最初の場面を思い出した。生まれたての赤ちゃんに初めて訪れる感情―ヨロコビ。
小鳥は小さなからだ全体でヨロコビを発散させているようだった。飛ぶこと日を浴びること歌うこと、生きていることのヨロコビ。
なんだなんだ? と、窓辺に集った猫たちも予期せぬショーの開幕を喜んでいる。
喜怒哀楽の感情は鳥も猫も人も同じだ。
ヨロコビ、ムカムカ、イカリ、ビビリ、カナシミ。
実際、猫についていえば、情動を司る大脳辺縁系は人より発達しているぐらいなんだそうだ。とはいえ、誰の話だったか、「猫のカナシミは淡い」と聞いたことがある。それは「今」を危うくするから。カナシミに胸ふさぎ眠れず食べられず、注意散漫になると様々な脅威にさらされる―大脳辺縁系が発達しているからこそ、生存を害するものは排除されるというわけだ。
でもほんとうにそうなのか?
カナシイは「愛しい」とも書く。
猫はみんなとっても愛情深い。
はじめてのおるすばん
昨年、膝の高位脛骨骨切り術という手術を受けた。2月に右膝の、12月にその抜釘と左膝の手術のために、それぞれ2週間ずつ入院した。母の介助をしている時に半月板断裂のケガをして、以来、痛み止めとステロイド注射でどうにかやってきたのが、とうとうどうにもならなくなったのだった。
すでに父母を見送り憂いもなく、と言いたいところだが、憂いはあった。
猫たちだ。
8匹そろって高齢(13~18才)で、持病あり投薬あり療法食あり歯磨きあり時々病院通いあり。歯磨きチューブやペットキャリーを見れば姿をくらますし、食べるべきごはんは食べず食べちゃならないごはんを食べるしで、薬一つ飲ませるのにも苦労する、お世話はなかなか大変だ。
しかしそこは、第二世話人(夫)が奮闘する。リモートワークと有給休暇をめいっぱいやりくりして2週間+2週間、第一世話人(私)不在の穴を埋め、猫たちを率いた。ひとりの落伍者も出さなかった。というか、みんな、ちょっとふとった―夫を除いて。
おかげで猫も私もつつがなく、めでたく退院の日を迎えられたのだった。
あれ? 思っていたのと違う…
当日、帰宅して勇んで玄関ドアを開ける。
猫たち、どんなに喜ぶだろう。
私がいなくてどんなに寂しかったか。
ごめんね、もう大丈夫だよ。
セリフも用意して出迎えを待つ。
…が、誰も出てこない。
「ただいま!」と、声をかけてみる。
するとキッチンドアのすきまから覗く顔。
不審げな白い顔。
ユキ(白猫のオス)だ。
「ユキ! ただいま!」ともう一度。
大喜びで走ってくるかと思いきや。
あろうことか、ぱっときびすを返した。
え? どうして? 松葉杖が怖いの?
松葉杖をほっぽりだし部屋に入ってみたが、猫たちはひっそり遠巻きに見ている。
想定外の反応に戸惑う。
まさか、私を忘れた? でも見知らぬ人に怯えるというよりは「驚きをもって注視している」。政府見解の決めゼリフみたいな言葉がぴったりくる状況なのだ。
マシロ(白に黒ブチ柄、18才のオス)にいたっては息荒く震えだすありさま、背中をさすってやりながら、
「なんだか幽霊を見たみたいだねえ」
と、私はなにげなく言った。
無意識に言ったことなのに、言ってから、あ、そうか、とわかる感覚があった。
善きものへの祝福
マシロにとったら、私はなるほど、幽霊みたいなものだったかもしれない。
マシロは少し前に兄弟のコタロを亡くし、2年前に親友クーちゃん(黒トラのオス)を亡くし、ごく小さい時に母親を亡くした。
愛し愛され大好きな相手が突然いなくなる。カナシイ。熱心に探すのだけど、まもなくするうちふと、もういないのだとわかる。どこかへいってしまった。それでも眠い時とか目が覚めた時、毛布の中やベッドの下を見てみる。
そこへ「ただいま!」と帰ってきた私。
あ、そうか、とマシロは思っただろうか。突然いなくなったものはまた、こんなふうに突然、帰ってくるんだな、と。―ほらね、ここで待っていればいい。そんな思いを強くしただろうか。
カナシミの濃淡というより、猫は死の概念を持たないから、まっすぐ信じて待つことができるのではないかと思う。それは善きものに与えられた祝福かもしれない。
今朝も猫たちは窓辺で鳥を待っている。
待つのは得意だ。
その先にはほら、ヨロコビが待っているんだから。
【執筆】
岡田貴久子(おかだ・きくこ)
1954年生まれ。同志社大学英文学科卒業。『ブンさんの海』で毎日童話新人賞優秀賞を受賞。『うみうります』と改題し、白泉社より刊行。作品に『ベビーシッターはアヒル!?』(ポプラ社)『怪盗クロネコ団』シリーズ、『宇宙スパイウサギ大作戦』シリーズ(以上理論社)『バーバー・ルーナのお客さま』シリーズ(偕成社)など多数。『飛ぶ教室』(光村図書出版)でヤングアダルト書評を隔号で担当。神奈川県在住。