2024年の夏、とあるテレビ番組で東京区部と川崎市の間を流れる多摩川の河口付近に、キツネが巣穴を構えて子育てをする様子が紹介されました。
キツネは昔話にたびたび登場し、神の使いや化け物とみなされることも多い身近な動物のひとつです。
しかし、急激な都市化の影響を受けて、昭和の中期には東京の都心部から姿を消してしまいました。
つまり、多摩川のキツネの家族は、実に40年以上ぶりに彼らが都心に復活したことを意味します。都市住民にとってもキツネが身近な動物へと変わりつつあることを印象づける出来事でした。
都心部に再定着する野生動物たち
近年はキツネに限らず、タヌキ(宮本2014)やカワセミ(柳瀬2024)などの野生動物が都会に再進出して話題となっています。
都市は通常、人の暮らしが優先され、一見すると無機的な環境ばかりで野生動物の生息には不向きと思われがちです。
しかし、都市公園や鎮守の森など、生き物が住める環境は都市のなかにも意外と多く残されており、そのような環境を目ざとく見つけ出した動物たちが、都会へ再定着しています。
そもそも動物たちは、若い世代が親元を離れて分散し、新天地へと旅立つことで、その生息地を広げる努力をし続けています。
そのような動物たちの努力に加え、例えば前述の多摩川の河川敷では、増水などの氾濫が繰り返されることで草原環境が維持され、キツネが定着しやすい環境が整っていたことが、キツネの都会への再進出の背景にあると考えられます。
江戸時代から明治にかけての人とキツネの関わり方
一方で、野生動物が都会に進出している背景には、生き物が本来もつたくましさに加えて、私たち人と動物との関わり方も大きく影響していると考えられます。
イラストレーターの林丈二さんが、『東京を騒がせた動物たち』という著書のなかで、今から百数十年前の東京で、人々がどのように動物たちと接していたのかを、新聞記事をもとに紹介しています(林2004)。
キツネは明治のはじめ頃までは、東京都の中心部である銀座あたりでも出没していました。
新聞記事によると、人前に姿を表したキツネの多くは追い立てられて退治され、その一部は食べられていたようです。
明治九年三月六日、牛込御門外の土手にて、大きな狐が寝ていたのを車夫が見つけて犬をけしかけ、狐が弱ったところを車夫たちが打ち殺して料理。
(明治九年三月九日「読売新聞」)
林さんによると、確認できた29件の記事のうち18件(62%)で、キツネは即、退治されていたとのこと。
このような記事からは、キツネなどの野生動物は人々の暮らしに邪魔な存在、もしくは食べ物として捉えられていたことが伺えます。
一方、お稲荷さんの使いとして、キツネが奉られる場合もあったようです。
例えば、明治13年の11月8日の午後2時ごろに兜町米商会所(後の東京穀物商品取引所で、現在の証券取引所に所在)の稲荷社から飛び出したキツネの場合は、
御神体のお狐様がお立ち退きになっては大変だと、大勢であとを追っかけ、ついに坂本町にて捕まえて社の縁の下へ入れ、これまでのお供物が悪かったのでお立ち退きなさろうとなされたのだから、以来はお怒りのないようにご馳走申せ
(明治十三年十一月十四日「読売新聞」)
と、信心深い人々から油揚げや魚類などがキツネに供えられたとのこと。
キツネが稲荷神の使いで、霊力をもつ動物だと信じる人たちにとっては、信仰の対象として大事に取り扱われる側面もあったと言えます。
これらの事例は、街なかを闊歩する奈良公園のシカとも共通するでしょう。
奈良のシカの場合、同じ神の使いであっても、仕える神が春日神とキツネとは異なっています。
宗教心の中身は異なるにせよ、手厚く保護されてきた歴史から、奈良公園のシカは近隣の地域のシカとは異なる遺伝的特徴をもつ集団として生き残ってきたことも明らかにされています(Takagie et al. 2023)。
このように、ほんの数世代前の人たちが示す野生動物に対する反応は、宗教的価値観に基づく特別なものを除けば、食料や駆除の対象として扱うことがほとんどだったと想像されます。
実際、明治期は日本の野生動物にとって受難の時代と言えます。オオカミが絶滅し(ウォーカー 2009)、カワウソ(安藤2008)やトキ(梁井2006)、コウノトリ(山階・高野1959)、アホウドリ(平岡2015)などもほぼこの時期に急減しており、後に絶滅もしくは絶滅の危機に瀕することになっています。
狩猟対象としてのキツネ
日本人と野生動物との関わりの歴史をひもとくと、一部の動物がアニミズムなどの古代宗教的崇拝から様々な信仰の対象となってきた部分を除いてしまえば、文字史料が残されていない先史時代から古代、中世、近世そして明治時代に至るまで、ほぼ一貫して狩猟の対象として捉えられてきたといっても過言ではありません。
キツネを例にみてみると、縄文時代の遺跡から出土した動物を集計した結果によると、4,666例中の50例(1.1%)でキツネが出土しており、狩猟対象として利用されていたことが明らかにされています(西本1994)。
また、古代の文献である『続日本紀』(797年)には、伊賀の国が黒いキツネを天皇に献上したことが記されています(星野1995)。
さらに、中世にまとめられた『古今著聞集』(1254年)には、大納言泰通の夢にキツネが出てきたので翌日のキツネ狩りを中止したことが記されており、キツネが狩猟の対象であったことが伺えます(星野1995)。
江戸時代の料理本にもキツネは登場しており、食材として利用されていました(江間2013)。
狩猟対象としてのキツネの価値は、明治期以降、毛皮需要の高まりとともになお一層大きく増加することにもなりました。
大正12年(1923年)に始まる狩猟統計によると、キツネの狩猟の大半が北海道で実施されており、そのブームは1970年代の終わりごろにピークを迎えます。
そして、毛皮バブルの崩壊(1982〜1983年頃)とともに減少していくことになりました(塚田2022)。
狩猟獣としてのキツネの価値は、この1980年代を境に暴落したと言えるでしょう。
その後のキツネは、毛皮獣としての狩猟期間の特例措置が外され、依然として狩猟鳥獣にさだめられてはいるものの、捕獲頭数自体は減少し(竹内1999)、今日に至ります。
しかし、北海道だけは本州以南とは少し事情が異なり、毛皮需要がなくなった後も、農業や人への健康被害(とくにエキノコックス症)をもたらす害獣として駆除される状況が続き、今なお数千頭を超える数のキツネが捕殺対象となっています。
狩猟や駆除の対象から保護の対象へ
現在の東京における、都心に再進出したキツネをめぐる人々の態度は、明治の時代と比べて大きく様変わりしています。
捕獲して食料としたり、一方的に駆除したりするのではなく、むしろ積極的に保護すべき姿勢が打ち出されるようになりました。
キツネは2023年度版の東京都のレッドデータブック記載種となり、区部では情報不足、北多摩地域では絶滅危惧IB類に選定され、保全の必要な動物とみなされています(東京都環境局自然環境部2023)。
多摩川に戻ってきたキツネ家族を歓迎し、かれらの行く末を見守る機運が高まっていると言えるでしょう。
とはいえ、東京のキツネが北海道のエキノコックス症のような人獣共通感染症の媒介動物となったり、家庭菜園やペット動物に危害を及ぼしたりする可能性がないわけではありません。
身近な野生動物としてふたたび隣人となったキツネたちと付き合いながら、どのように共存していくかを常に考えていくことが今後必要となってくるでしょう。
[引用文献]
・安藤元一(2008)ニホンカワウソ:絶滅に学ぶ保全生物学.東京大学出版会,東京.233pp.
・江間三恵子(2013)江戸時代における獣鳥肉類および卵類の食文化.日本食生活学会誌23(4): 247-258.
・林丈二(2004)東京を騒がせた動物たち.大和書房, 東京. 117pp.
・平岡昭利(2015)アホウドリを追った日本人―一攫千金の夢と南洋進出.岩波書店,東京.224pp.
・星野五彦(1995)狐の文学史.新典社,東京.214pp.
・宮本拓海(2014)東京タヌキ探検隊!ガイドブック 都会でタヌキに出会ったら.ブックウォーカー, 東京.
・西本豊弘(1994)縄文人と弥生人の動物観.国立民族博物館研究報告61: 73-86.
・Takagi T, Murakami R, Takano A, Torii H, Kaneko S, Tamate HB (2023) A historic religious sanctuary may have preserved ancestral genetics of Japanese sika deer (Cervus nippon). Journal of Mammalogy 104 (2): 303–315. https://doi.org/10.1093/jmammal/gyac1207
・竹内正彦(1999)毛皮獣から普通の狩猟獣になったキツネ・タヌキ.FIELD NOTE 62: 1-5.
・東京都環境局自然環境部(2023)東京都レッドデータブック2023–東京都の保護上重要な野生生物種(本土部)解説版.東京都環境局自然環境部, 東京.879pp.
・塚田英晴(2022)もうひとつのキタキツネ物語.東京大学出版会,東京. 360pp.
・ウォーカー, ブレッド・L(2009)絶滅した日本の狼―その歴史と生態学.北海道大学出版会, 札幌.329pp.
・山階芳麿・高野伸二(1959)日本産のコウノトリCiconia Ciconia boyciana Swinhoeの生息数調査報告.山階鳥類研究報告13: 505-521.
・梁井貴史(2006)農薬散布と鳥の絶滅との因果関係 : トキの絶滅に対する誤解.川口短大紀20: 103-117.
・柳瀬博一(2024)カワセミ都市トーキョー.平凡社, 東京.306pp.
【文・写真】
塚田英晴(つかだ・ひではる)
麻布大学獣医学部動物応用科学科教授、博士(行動科学)。 野生動物学、動物行動学、野生動物保全管理学を専門とする。1968 年岐阜県生まれ。1990 年北海道大学文学部卒業後、北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。学部・大学院時代はキタキツネと人間社会との関わりを研究し、1997~2000年は北海道大学大学院獣医学研究科寄生虫学教室にて、エキノコックス症の終宿主対策に関する研究に従事。2000~2015 年、農林水産省草地試験場および農研機構畜産草地研究所に勤務し、牧場に生息する野生動物に関する研究に取り組む。2015 年より麻布大学に着任、現在に至る。著書に『野生動物学者が教えるキツネのせかい』(緑書房)など。
【編集協力】
柴山淑子