大江戸八百野鳥 ~変化した? していない? 江戸・東京の鳥たち~【第4回】ムクドリ

椋の木とは無関係

ムクドリは「椋鳥」と漢字表記されます。安土桃山時代に刊行された辞書にはムクドリという名前があることから、この時代にはすでにムクドリの名で呼ばれていたのはたしかなようです。

「ムクノキの実を好んで食べる鳥」、「常にムクノキにいる」といったことからその名がついたという説は、江戸以前からまことしやかに伝えられていたことであり、そして人見必大(ひとみひつだい)の『本朝食鑑』などの江戸時代の本草書にそう記されていたことに由来します。

しかし実際には、ムクドリとムクノキのあいだに強い接点はありませんでした。その実を口にはするものの、たくさんある食料のひとつというイメージで、特別な食材ではないというのが事実です。

名前に関してはむしろ、古語の形容詞「むくつけし」が由来となったとする説のほうが信憑性が高いように感じられます。ムクドリの名の由来となった可能性のある「むくつけき鳥」を現代語に訳すと、「品のない鳥」となります(※「むくつけき」は「むくつけし」の連体形)。

ムクドリは、秋から春先の非繁殖期に大きな群れをつくる鳥で、塒(ねぐら)と決めた場所の周辺で集団となったときのギャアギャアという声は、計測すると明らかに騒音のレベルであり、糞害と合わせて長く社会問題にもなっていました。

「ムクドリの集団はうるさい」という印象は、江戸時代にはすでにあったことがわかっています。そのイメージは安土桃山時代にもおそらくあり、集団になったときの騒々しい声から、「むくつけき鳥」と呼ばれるようになったということは想像に難くありません。

樹上でセンダンの実を食べるムクドリ 写真提供:ふかふか

江戸の町でムクドリは冬の鳥

現在、東京などの都市部では、一年にわたってムクドリの姿を見ます。今でこそ、日本中で季節を問わず見られる鳥となっていますが、江戸時代中期の鳥の飼育書『喚子鳥(よぶこどり)』(蘇生堂主人/1710年)や、百科事典の『和漢三才図会』(寺島良安著/1712年成立)に、「冬多く出る」「冬いずる」とあるように、当時のムクドリは冬鳥で、江戸市中で夏場にその姿を見ることは、ほとんどありませんでした。

ムクドリが都市の中心部まで進出してきたのは1970年代から80年代にかけてで、東京でも、それ以降、完全に定着し、都心を含めて一年中見られる鳥になりました。

「ムクドリといえば、集団になってギャアギャアと騒ぎ立てる存在」と江戸の人々からは認識されていました。つまり、「ムクドリ=集団」、「ムクドリ=うるさい」という認知ができあがっていたわけです。

秋になると集団でやってきて、理解できない声(言葉)で仲間うちで大声で話す。その姿は、農閑期に江戸に出稼ぎにくる地方の農民とイメージが重なります。そこから「ムクドリ」は田舎者を表わす代名詞となり、蔑称にもなりました。

江戸の人々が口にする「このムクドリめ!」という言葉は、「この田舎者め!」という罵倒の言葉でもありました。また、この言葉は、信越方面からの出稼ぎ者に向けられて発することが多かったといわれます。

近くで見ると、オレンジ色の足とクチバシが目立つ

少しだけ恐怖も?

形容詞「むくつけし」には、「品のない」という意味以外に、「気味が悪い」とか「常軌を逸していて恐ろしい」という意味もあり、妖怪変化などの恐さを表現する際にも使われてきました。

夜、塒に集まったムクドリの大集団の一羽一羽は、木の葉や枝の陰に隠れて人の目からはよく見えません。想像力が豊かな昔の人々には、鳥の姿となって分かれて飛んできたものが、その木に取りついて(憑りついて)「ひとつの生き物(妖怪?)」になったように見えたのかもしれません。
そうした木から聞こえてくる人知を超えた騒音の源に対して、「気味が悪い」と評されることもあったことでしょう。まさに、「むくつけし」なわけです。

また、ムクドリは塒に集まる前に、最大で数十万羽もの集団で付近の空を舞います。中央アジアからヨーロッパにかけて分布する近縁のホシムクドリに比べると一桁以上も小さな群れですが、それでも数万羽という数にはなります。そんなムクドリの集団が、少しずつ形を変えながら、空中でひとつの生き物のようにうごめく姿を見て「気持ちが悪い」、「気味が悪い」と感じた人も、おそらくいたことでしょう。そんな姿もまた、「むくつけき鳥」と思えるものだったと推測しています。

益鳥としてのムクドリ

ムクドリはもともと、野から里山の鳥です。江戸の頃は、夏場、都市では見られなかったものの、人間の暮らしに近い森や林で繁殖を行う鳥でした。
畑を荒らす害虫や畑の土の中にひそむミミズは、彼らにとってはごちそうで、子育ての時期はとくに、虫集めに奔走します。それは農地の害虫被害を減らす結果につながっていました。今もムクドリたちは、繁殖期もそれ以降も、大量の虫を捕獲して食べています。

今、声の騒音被害などから駆除を叫ぶ声も聞こえていますが、うるさいだけの鳥ではない、という理解はあらためて必要と感じています。もしも彼らが身近からいなくなってしまったなら、農地の害虫被害は大きく増えることになるからです。

旗本、毛利梅園の図譜『梅園禽譜』より、ムクドリの絵。国立国会図書館収蔵
伊勢長島藩主、増山正賢(ましやままさかた)の図譜『百鳥図』のムクドリ。翼の表裏までていねいに描かれています。国立国会図書館収蔵

【執筆者】
細川博昭(ほそかわ・ひろあき)
作家。サイエンス・ライター。鳥を中心に、歴史と科学の両面から人間と動物の関係をルポルタージュする。おもな著作に、『インコ・オウムの心を知る本』(緑書房)、『大江戸飼い鳥草紙』(吉川弘文館)、『鳥を識る』『人と鳥、交わりの文化誌』『鳥を読む』『人も鳥も好きと嫌いでできている』(春秋社)、『江戸の鳥類図譜』『江戸の植物図譜』(秀和システム)、『知っているようで知らない鳥の話』『江戸時代に描かれた鳥たち』(SBクリエイティブ)、『身近な鳥のすごい辞典』(イースト新書Q)、などがある。