ある夏の夕方、自宅からほど近い里山を歩いていたときのことです。日が傾き始め、木漏れ日が差し込む林で、ふと一本の枝の動きに目を奪われました。枝にしては、少し妙な揺れ方をしていたので目を凝らしてよく見ると、それはナナフシでした。細くて長い、節のある体。まるで木の枝がそのまま歩き出したような姿に、私はすっかり魅了されてしまいました。

ナナフシは漢字で「七節」または「竹節虫」と書きます。「七」は「たくさん」という程度の意味で、実際に体の節が7つというわけではありません(実はもっと多いようです)。「竹節虫」は中国語由来の表記ですが、その特徴をよく表しています。また、英語では「スティック・インセクト(stick insect)」と呼びます。
日本にはナナフシモドキ、ニホントビナナフシやトゲナナフシなど15~20種類ほどのナナフシが生息しており、主に温暖な地域を中心に広く分布しています。それだけを見ると、特徴のない細長い虫ですが、自然界においてはその形や色、動きまでもが植物の中に見事に溶け込んでいて、もはや芸術的に感じることさえあります。


ナナフシの生息環境
意外に思われるかもしれませんが、ナナフシは人里近くでもよく見られる昆虫です。個人的な印象としては、自然豊かな森林よりも、人の手の入った雑木林や都市近郊の緑豊かな公園で出会う機会が多いです。ナナフシは草食性なので、植物が豊富な場所を好みます。特に桜やエノキ、クヌギといった樹木やクズのようなつる植物の群落でよく見つかります。彼らはこうした植物に擬態しながら、その葉を食べて生活しています。

ナナフシは基本的に夜行性のようで、昼間はじっと静止していることが多いのですが、これは捕食者に見つからないようにするためです。それには「動かない」ことが最も重要です。だからこそ、日中の観察には注意が必要で、目を凝らさないとその存在に気がつけないことがほとんどです。そうかと思えば、無防備に葉の上に乗っかっていたり、目立つ木の幹に張り付いていたりと、意外な一面もあります。


卵を運ぶのは誰?
ナナフシの多くの種はメスによる単為生殖なので、交尾をせずに卵を産むことができます。たとえば、もっとも身近なナナフシモドキのオスはほとんど見つからず、メスばかりが見つかります。成熟したメスはあまり動かずに卵をポロポロと産み落とすため、その卵はメスの棲んでいる木の下に集中して落下すると考えられます。
ナナフシの卵は小さく硬い殻に覆われています。種類によって異なる形をしていますが、いずれも植物の種のような姿をしています。興味深いのは、この卵の「拡散方法」に関する最新の研究成果です。以前から、一部のナナフシ類の卵には「キャピチュラ」と呼ばれる取手のような小さな突起があり、これにアリが誘引されて巣に運ぶ現象が確認されていました。ただし、このキャピチュラだけが切り離され、アリが巣に向かう途中で卵を放置することもあるようです。こうして、ナナフシの卵がメスのいる木の下から広く拡散されることが示唆されていました。

そして、2022年に日本の研究者グループが発表した研究によって、ナナフシの卵が鳥に食べられても消化されずに排泄されることが確認されました。これは非常に驚くべき発見です。
研究によれば、ナナフシの卵は非常に硬く、鳥がナナフシを丸ごと捕食しても、卵だけがそのまま糞と一緒に排出されることがあるそうです。また、驚くべきことに排泄された卵の一部は、その後も正常に孵化することが確認されました。
これは、植物の種子が動物の体内を通って遠くに運ばれる「被食動物散布」と同じようなメカニズムです。つまり、ナナフシは「食べられることによって卵が遠くへ運ばれる」という、昆虫としては非常に稀な戦略を持っている可能性があります。
このような鳥による卵の移動は、山を越えるような長距離移動も可能にします。実際に、ナナフシの多くは飛べる翅を持たないにも関わらず、分布が広範囲に及びます。この理由を説明できるものとして、今回発見されたメカニズムは大きな注目を集めています。
成長
夏から秋にかけて産み落とされたナナフシの卵には休眠性があり、そのまま冬を越し、翌年の春になってようやく孵化します。ナナフシの幼虫は卵の中で長い体や脚を器用に畳んだ状態で収まっています。孵化の際にはそれらをゆっくりと伸ばしながら出てくるため、孵化直後の幼虫は意外なほど大きく(細長く)、その姿を見ると「どうやってこの小さな卵から出てきたの?」と驚かされます。

こうして孵化した幼虫は、やがて餌となる若葉を求めて歩きはじめます。時々立ち止まっては体を揺らし、風にたなびく枝のふりをしているのでしょうか。早くもこのころから擬態名人の本領を発揮しているようです。
ナナフシは不完全変態の昆虫であり、蛹の期間がありません。葉を食べながら脱皮を繰り返して成長し、徐々に大きくなっていきます。私の住んでいる神奈川県の南部では、例年4月中旬ごろから小さな幼虫の姿が観察できるようになり、どんどん成長していきます。そして7月の半ばになると、すっかり大きく育った成虫が姿を見せるようになります。
やがて秋が終わる頃、多くのナナフシはその一生を終えます。種類によっては年末ごろまで生きていることもありますが、年を越すことはほとんどありません。
擬態と自切
ナナフシの最も特徴的な能力は「擬態」です。枝や葉にそっくりな形状・色・模様に加え、風が吹けば体をゆらゆらと揺らすなど、動きまでもが自然に溶け込んでいます。これは形態だけでなく、行動的にも枝に似せた高度な擬態と言えるでしょう。

こうした擬態の力によって、彼らは捕食者の目から逃れています。鳥やカマキリ、クモなど、ナナフシの天敵は少なくありません。だからこそ「見つからない」ことは、武器をもたない彼らにとって最大の防御手段となります。
さらに、ナナフシは「自切(じせつ)」と呼ばれる防衛行動をとります。いかに擬態の名人といえども、天敵に見つかるときはあります。そうして危険を感じたとき、自分の脚を切り離して逃げることができるのです。脚がなくなると歩きにくくはなりますが、幼虫の段階であれば、失った脚は脱皮によって徐々に再生可能です。実際に、野外では脚を1~2本失ったナナフシを見かけることがよくありますが、いたって元気なようです。華奢な見かけによらず、なかなかたくましい虫です。
彼らは枝にそっくりな姿をしているため、人目に触れることはあまり多くありませんが、その生き方には数々の工夫と驚くべき知恵が詰まっています。彼らは鳴くこともなく、群れも作らず、ただひたすらに「目立たずに生きる」という戦略を貫いてきました。その姿には、長きにわたる厳しい生存競争を勝ち抜いてきた、生きる力を感じずにはいられません。
おわりに
私は森を歩くとき、無意識にナナフシを探すようになりました。目が慣れてくると「あそこにも」「あ、ここにも」と、意外なほどに多くのナナフシが身近に生きていることに気がつきます。
次の夏は、枝葉の影にそっと佇むその姿を探してみてはいかがでしょうか? きっと簡単には見つかりませんが、だからこそ見つけたときの喜びはひとしおです。彼らは「私は枝です」と言わんばかりにじっとして動かず、あるいは風に吹かれるように揺れてみせ、観察する私たちの目を楽しませてくれることでしょう。

【写真・文】
尾園 暁(おぞの・あきら)
昆虫写真家。
1976年大阪府生まれ。近畿大学農学部、琉球大学大学院で昆虫学を学んだのち、昆虫写真家に。日本自然科学写真協会(SSP)、日本トンボ学会に所属。著書に『くらべてわかる トンボ』(山と渓谷社)『ぜんぶわかる! トンボ』(ポプラ社)『ハムシハンドブック』(文一総合出版)『ネイチャーガイド 日本のトンボ』(同上・共著)など。