ウマにニンジン
サインとは、簡単に言えば「看板類」です。しかし、動物園のサインには、いくつもの独自の効用があると考えられます。
長野県松本市の郊外の丘陵にある「アルプス公園・小鳥と小動物の森」。緑豊かな中でポニーのいどころを告げるサインです(写真1)。
そして、ポニーの展示場には、こんなサインが(写真2)。
「ウマにニンジン」は当たり前のように思われますが、ウマはもともと草原に棲み、イネ科を中心とした草を主食として進化してきた動物です。いまや、ウマの好物の代表と言えるニンジンは、人がウマの野生の原種を家畜化する中で育まれてきた関係ということになります。詳しくは現地でご覧いただきたいのですが、こうして1枚のサインがわたしたちの動物に対する思い込みに新鮮な揺さぶりをかけてくれることもあります。
異なる名を掲げられたヤマネコたち
都立動物園のひとつとして、日本の在来種など、身近な生きものを中心とした飼育展示を行う井の頭自然文化園。異なる名を掲げられたヤマネコたち(写真3)。
しかし、動物そのものを見る限りはそっくりです。もう少し、細かくサインを見てみましょう。そこにはアルファベットで学名が記されていて、どちらも“Prionailurus bengalensis euptilurus”となっています。学名の基本は「属名+種小名」です。属(種のひとつ上のまとまり)に種を示す名を付しているのです。Prionailurus bengalensisは、アジアの大陸部に広く分布するベンガルヤマネコを示します。分布域が広いベンガルヤマネコには12の亜種(種のひとつ下のレベルの区分)が知られています。
この写真にもあるように、アムールヤマネコは中国東北部~朝鮮半島に分布するベンガルヤマネコの亜種です。約10万年前まで対馬は朝鮮半島とつながっていたため、対馬にもアムールヤマネコが棲んでいます。
つまり、ここでの学名の“euptilurus”はベンガルヤマネコの亜種アムールヤマネコを示し、対馬に分布するアムールヤマネコの個体群がツシマヤマネコと呼ばれているのです。ツシマヤマネコは長い地球の歴史の一端を物語る貴重な存在ということになります*。
すでに終了していますが、ヤマネコたちの展示場や園内の資料館では、さらに詳しい解説や標本観察が行えるように工夫がされていました(写真4)**。
動物園のサインは、単なる方向案内や決められた情報の表示を超えて、わたしたち来園者を導き、わたしたち自身がサインを読み解くことで動物たちへのまなざしが深められます。サインは展示の一部なのです。
*日本に棲むもう1種類のヤマネコ、イリオモテヤマネコの学名はPrionailurus bengalensis iriomotensisです。約20万年前に大陸と切り離された西表島のベンガルヤマネコは独立した亜種へと進化しているのです。
**この展示の様子は以下のサイトで見られるようになっています。
[展示の紹介記事]
https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=event&inst=ino&link_num=27259
[展示のVR映像]
https://my.matterport.com/show/?m=BJL7kdGYVFq
※ここで紹介した写真の一部は「ZOOたん~全国の動物園・水族館紹介~」内記事の取材時に撮影したものを使用しています。
【文・写真】
森 由民(もり・ゆうみん)
動物園ライター。1963年神奈川県生まれ。千葉大学理学部生物学科卒業。各地の動物園・水族館を取材し、書籍などを執筆するとともに、主に映画・小説を対象に動物観に関する批評も行っている。専門学校などで動物園論の講師も務める。著書に『ウソをつく生きものたち』(緑書房)、『動物園のひみつ』(PHP研究所)、『約束しよう、キリンのリンリン いのちを守るハズバンダリー・トレーニング』(フレーベル館)、『春・夏・秋・冬 どうぶつえん』(共著/東洋館出版社)など。 動物園エッセイ http://kosodatecafe.jp/zoo/