虫が海の中で繁栄しない理由
多種多様な昆虫が様々な場所で生息していますが、唯一苦手な場所が海です。同じ節足動物であるエビやカニなどが、海で繁栄を極めていることを考えると、とても不思議な気がしませんか。なお、最近は昆虫とエビやカニの仲間とを合わせた節足動物は祖先を共有する単系統群を構成するという説が有力で、これらは汎甲殻類(Pancrustacea)などと称されています。そして、彼らは汎甲殻類を特徴付ける外骨格を硬化させるために、酸素を必要としています。
しかし、水中には酸素(溶存酸素として淡水・海水限らず存在するもの)が少なく、吸収のための特別な仕組み(エラなど)も必要で、そもそものハードルが高くなっています。また、海水にはカルシウムが豊富に含まれ、このカルシウムを利用して外骨格をより丈夫にしたエビ・カニの仲間が溢れています。生態学的に劣勢な昆虫が、外骨格という屈強な「装甲」を持つエビ・カニたちと、まともにやりあっては勝負になりません。
昆虫たちの「鎧」は軽いので飛ぶことには適していますが、そのために脆いのです。逆からみると、エビ・カニの重い「装甲」は陸上で足枷になり、陸地への侵出が阻まれるという見方もできます。このようなことが複合的に作用して、海洋環境に順応した昆虫は、ほぼいないという解釈です(以上、Asanno et al., 2023など)。
海に棲む寄生生物の名前と分類のややこしさ
ところが、昆虫の中にもチャレンジャーはいます。たとえば、アザラシやアシカなど鰭脚類(ききゃくるい:アザラシ、アシカ、オットセイ、セイウチなど半水生生活をしている哺乳類を指す)の海獣に寄生するカイジュウジラミ科のシラミです(写真1)。
ここで覚えの良い読者の中には「あれ?海の中にいるシラミと言えば、確か前回クジラのシラミの話をしていなかったかな?」と思い至った方がいらっしゃるかもしれません。しかし、実は同じように「シラミ」という名がついていても、昆虫ではないケースが多いのです。このため、まずはここから少し海の寄生生物の名前と、分類について話をさせてください。
前回出てきた、クジラに寄生していたシラミはクジラジラミ類といい、「シラミ」と付いていても昆虫ではなく、甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱ヨコエビ目にあたります。難しい書き方をしてしまいましたが、要するにヨコエ類です。これらの例としては、熱帯魚の餌などに使われるヨコエビや、海藻に紛れた奇妙な形のワレカラなどが挙げられます。この中には、同様に寄生生活する種としてクラゲノミ類(写真2)も入ります。こちらも「ノミ」という名がついているものの、同じように昆虫ではありません。
なお、クジラジラミ類と名の響きが似ていて、同じく海に棲むものとしてウオジラミ類がいます。サケやマスなどの養殖魚の血を吸い、水産業に大きなダメージを与えている寄生生物です。こちらは、クジラジラミあるいはクラゲノミと同様に甲殻亜門ではありますが、顎脚綱橈脚亜綱(ケンミジンコの仲間)に属しています。
また、ウオジラミと名前が非常によく似たウオシラミ属Rocinelaは、クジラジラミと亜綱まで同じ分類ですがワラジムシ目であり……さすがに混乱させてしまいますね。ここらへんでやめておきましょう。
拙著(浅川, 2021)の123ページに一覧表「寄生性甲殻類」があるので、興味のある方はご覧ください。
海の中で呼吸するための毛むくじゃらな体
さて、カイジュウジラミに話を戻しましょう。繰り返しますが、カイジュウジラミはれっきとした昆虫です。ところで、写真1の姿を再度見てみてください。毛むくじゃらな印象を受けたと思います。剛毛が密集しているのは、毛の間に空気を溜めて海中で呼吸をするためです。海鳥が浮力を得るために、密に生えた腹側羽毛で空気を閉じ込める構造と同じですね。アシカに寄生するカイジュウジラミは、剛毛自体が木の葉状となっていて、空気を貯める部分をより広くした属種もいます。このように形態を激変させ、冒頭に述べた呼吸の問題を解決し、「海の中で生きる昆虫」という、とても珍しい生態的地位を獲得しました。
その結果、カイジュウジラミは鰭脚類の血液を独占できるようになりました。そして、同時に犬糸状虫(フィラリア)がヤブカ(蚊)類を中間宿主として利用したように、カイジュウジラミシラミの生態を利用する属種も誕生しました。それが鰭脚類の皮下や血管に寄生する糸状虫の仲間(Acanthocheilonema属)です(写真3)。
なお、前述の通りに、糸状虫の仲間はアザラシなどの海獣だけではなく、犬などの陸上動物の皮下にも寄生することがあります。そのため、獣医師にとっては、海獣の糸状虫と犬の犬糸状虫を見分けることが重要になります。両者の幼虫(ミクロフィラリア)のサイズを比較することで、この見分けが可能になりますので、参考として写真4に両者の幼虫の顕微鏡写真を掲載しました。獣医療の現場にいらっしゃる方はぜひ参考にしてください。
昆虫ではないダニも海の中で生きることは大変
海洋環境での呼吸が厳しいことは昆虫であるシラミだけではなく、ダニにとっても同じです。しかし、ダニは宿主の肺に寄生することで、呼吸の問題を解決しました。ハイダニ類はその典型です(写真5および6)。
写真5のハイダニは、自然宿主であるアザラシ類のものではなく、水族館で急死したラッコにおける症例です。ラッコはこのハイダニにとって、本来の宿主ではない生物であるために、ラッコの吸気器症状(息を吸う際の異常を示す症状)を引き起こしたのでしょう。
なお、このハイダニはヒトへの感染も知られています。動物と人間の健康を一体的に考える「ワンヘルス」の観点からも、重要なダニ寄生例と言えるでしょう。
[参考文献]
浅川満彦. 2021. 野生動物医学への挑戦, 東京大学出版会. https://www.utp.or.jp/book/b577416.html
Asano, T., Hashimoto, K. and Everroad, R. C. 2023. Eco-evolutionary implications for a possible contribution of cuticle hardening system in insect evolution and terrestrialisation.
https://doi.org/10.1111/phen.12406
城戸美紅・水島 亮・浅川満彦. 2016. 襟裳岬産ゼニガタアザラシから見出されたEchinophthiriidae 科シラミ類の一例. 北獣会誌, 60: 96-98.
https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/5159
名倉理恵・小林万里・浅川満彦.2012. 根室半島近海で混獲されたゼニガタアザラシPhoca vitulinaの線虫Dipetalonema spirocaudaについて.北獣会誌, 56: 509-510.
https://www.hokkaido-juishikai.jp/wp/wp-content/uploads/2014/05/1209-17.pdf
大橋赳実・大田和朋紀・浅川満彦. 2018. 沖縄県産エラブウミヘビ(Laticauda semifasciata)の肺から得られた二種類の内部寄生虫の記録. 酪農大紀, 自然科学, 42: 179-181. https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/5132
太田素良・平田晴之・浅川満彦. 2022. 北海道斜里町で水揚げされたサケ類Onchorynchus spp.における寄生虫保有状況. 知床博研報, 44: 39-41.
https://shiretoko-museum.jpn.org/wp-content/uploads/2022/02/4405-oota-etal.pdf
田中祥菜・伊藤このみ・伊東隆浅川満彦. 2015. 飼育ラッコの肺に濃厚寄生が認められたアザラシハイダニHalarachne halichoeri (ハイダニ科Halarachnidae). JVM, 68: 47-50.
https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/2844
佐々木 梢・北谷佳万・伊藤このみ・伊東隆臣・角川雅俊・浅川満彦. 2018. 水族館展示動物から得られた3種の寄生性甲殻類. 獣寄生虫誌, 17: 14-19. https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/5570
【執筆】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学教授、獣医師、博士(獣医学)。日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。主著(近刊)に『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)など。
【編集協力】
いわさきはるか
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