みんなに知ってほしい牛のおはなし【第7回】人と動物の健康のために

人と動物、そしてそれを取り巻く環境は、相互に密接につながっています。そのため、人と動物の健康と環境の健全性を包括的にとらえ、守っていくことが大切です。これを“One Health”(ワンヘルス)といい、世界中でワンヘルスのためのさまざまな課題に対する取り組みが進められています。

画像1. One Healthのイメージ

この中でも、抗菌剤が効かない細菌(薬剤耐性菌)の出現が、国際社会で大きな課題となっています。
実は、この薬剤耐性問題は畜産分野と大きく関わりがあります。そこで今回は、その概要についてご紹介します。

薬剤耐性問題とは?

細菌による感染症は、人や動物にとって大きな問題です。約100年前、細菌を殺したり生育を止めたりする作用をもつ「抗生物質」が発見され、感染症を治療できるようになりました。しかし、抗生物質を含む抗菌剤の使い過ぎや不適切な使用は、薬剤耐性菌の出現につながってしまいます。

近年、薬剤耐性菌が世界中で増加しています。この薬剤耐性菌が感染症を引き起こすと、治療のために抗菌剤を使っても効かないので治りません。2019年には、薬剤耐性菌が原因で死亡した人は世界で127万人と推計され、何も対策を講じない場合、2050年には世界で1,000万人の死亡が想定され、がんによる死亡者数を超えるとも言われています。このように、薬剤耐性問題は人の医療における重要な課題となっています。

畜産分野との関わり

それでは、なぜ人の医療の問題が畜産分野と関わりがあるのでしょうか。

畜産分野でも、家畜の病気を治療したり健康に育てるために、動物用医薬品や飼料添加物として多くの抗菌剤が使われています。抗菌剤は、家畜の健康を守り、安全な畜産物を安定的に生産するために必要不可欠なものです。しかし、畜産分野で増加した薬剤耐性菌は家畜の治療を困難にするだけでなく、畜産物や環境を介して人に伝播(でんぱ)した場合、人の健康も脅かします。そのため、人の医療分野だけでなく、畜産分野においても薬剤耐性問題に対する積極的な取り組みが強く求められているのです。

農場での取り組み

日本では、WHO(世界保健機関)のグローバルアクションプランを踏まえ、下記6つの大きな柱からなる対策と目標が掲げられています。

1.抗菌剤の使用者である獣医師や生産者が意識を高めること
2.薬剤耐性菌の出現状況や、抗菌剤の使用量がどのようになっているのかをモニタリングすること
3.感染症の発生を予防するために、農場の衛生管理水準を向上させること
4.抗菌剤を適切に使用すること
5.感染症予防のためのワクチン開発
6.国際協力の推進

生産現場において最も重要なことは、農場の衛生管理の徹底やワクチンの使用により感染症を防ぎ、抗菌剤の使用量を減らすことです。そして、抗菌剤を使用する必要がある場合には、有効なものを選択し必要最小限の使用量にすることです。
乳牛や肉用牛を飼養している農場では、乳房炎や子牛の下痢、肺炎などの治療のために抗菌剤を使用する場面が多くあります。しかし、これらの感染症を起こす原因菌には様々な種類があり、抗菌剤の効き方も異なります。したがって、原因菌を特定(同定)し、どの薬剤が効果的か(薬剤感受性)を調べることで適切な抗菌剤を選択することができます。乳房炎に罹患した牛の乳汁や、呼吸器感染症に罹患した牛の鼻の中をぬぐった綿棒を培地に塗って培養すると、細菌を分離することができます。

画像2. 寒天培地の表面にある白い円形のものが、菌が分裂増殖して肉眼で目に見えるようになった集落(コロニー)

薬剤感受性試験は、原因菌に対してどの抗菌剤が有効かを培地上で検査します。菌をまんべんなく塗った培地に抗菌剤を含んだディスクを置いて培養すると、ディスクの周囲(薬剤が染み出た部分)で菌の発育が阻止されるため、この阻止円の大きさを測って抗菌剤の有効性を判定する方法などがあります。

画像3. 矢印の部分が阻止円

この薬剤感受性試験によって、菌の耐性状況もモニタリングしています。

おわりに

動物や環境が健康・健全でなければ人も健康に生きられません。同じ環境で暮らすいきものとして、お互いのことを少しでも思いやることがワンヘルス実現への第1歩だと思います。
この記事がワンヘルスについて考えるきっかけになれば嬉しいです。

[参考文献]
・Murray, Christopher JL, et al. (2022). Global burden of bacterial antimicrobial resistance in 2019: a systematic analysis. The lancet, 399(10325), 629-655.
・O’neill, J. I. M. (2014). Antimicrobial resistance: tackling a crisis for the health and wealth of nations. Rev. Antimicrob. Resist.
・農林水産省 webページ 、動物に使用する抗菌性物質について、https://www.maff.go.jp/j/syouan/tikusui/yakuzi/torikumi.html
・AMR臨床リファレンスセンターwebページ、https://amr.ncgm.go.jp/medics/2-4.html
・独立行政法人 農畜産業振興機構 webページ、薬剤耐性(AMR)対策 アクションプランについて 畜産の情報 2016年11月号、https://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2016/nov/spe-01.htm

[画像出典]
・[画像1] 厚生労働省webページ
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000172990.html
・[画像2] 農林水産省、「牛乳房炎抗菌剤治療ガイドブック」第1.1版、p.13
https://www.maff.go.jp/j/syouan/tikusui/yakuzi/attach/pdf/240328_7-15.pdf
・[画像3] 農林水産省パンフレット、「動物⽤抗菌剤の『責任ある慎重使⽤』を進めるために」、平成25年12月、p.14
https://www.maff.go.jp/j/syouan/tikusui/yakuzi/pdf/vet_panf_prudent_use.pdf

【執筆】
岩崎まりか(いわざき・まりか)
獣医師、博士(獣医学)。2010年に日本獣医生命科学大学獣医学部獣医学科を卒業後、山形県農業共済組合にて9年間、乳牛・肉牛の診療に従事。その後、同大学にて博士号を取得。同校でのポストドクターを経て、2022年より東京農業大学農学部動物科学科で、主に牛の生産性や疾病、飼養管理についての研究および学生教育に従事している。