「5畜」ってなんだろう?
考えてもみなかった言葉に出会ってしまいました。
今から27年前の1996年のことです。当時、思いがけなく国際協力機構(JICA)の仕事で、「草の海」モンゴルに専門家として短期で行くことになりました。それに向けてモンゴル事情を調べたり聞いたりしていたときに「5畜」という言葉に出会ったのです。その道の学びを修めていたはずなのに、はじめて聞いたときは恥ずかしながら何のことかわかりませんでした。
モンゴルは、ソビエト連邦が安定していた時代は社会主義経済であり、経済的にはソビエト連邦に依存していました。ところがペルストロイカなどをきっかけにソビエト連邦が崩壊し、モンゴルもソビエト連邦を頼ることができなくなりました。そこで、世界民主化の流れも受けて、モンゴルも市場経済の一員へと大きく舵を切ったのです。
とはいっても当時のモンゴルは、インフラがほとんどソ連製であり、道標から店の看板に至るまでキリル文字で書かれているなど、独立国家として産声を上げたばかりでした。そこで、市場経済圏の主要国である日本やアメリカなどに、モンゴルからの経済支援の依頼がありました。そして、モンゴルの経済支援のニーズ調査の仕事が、なぜか私のモンゴル行きの目的となったのです。
当時は日本からモンゴルへの直行便がなかったため、北京経由でのモンゴル入りとなりました。1996年10月初めに、首都ウランバートルの空港への着陸態勢に入った飛行機の窓からは、緑からセピア色に模様替えしつつある秋の大草原が見えました。
遊牧生活に適した家畜
モンゴルは遊牧民の国です。その遊牧民は、牧畜を主な産業としています。
日本で畜産物の元になる動物(=家畜)と言えば、ウマ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ブタ、ニワトリなどが定番です。ところが、モンゴルでは、ブタ、ニワトリは家畜に入りません。代わりに、ウマ、ウシ(ヤク)、ラクダ、ヒツジ、ヤギを家畜とし、これらを指して「5畜」といいます。この5種が家畜であることは納得できますが、ブタとニワトリが家畜でないことには日本人として「?」と疑問符を浮かべておりました。
しかしながら、1か月ほどの滞在だったものの「百聞は一見にしかず」でした。
遊牧民の生活を知ると、なるほど、遊牧移動にブタやニワトリを同伴するのは無理がありました。
遊牧移動では、100キロメートルも距離がある夏営地(写真1)と冬営地(写真2)を移動しなければなりません。わがままなところのあるブタや、三歩歩けば物を忘れると言われるニワトリたちが、キャラバンの一員として移動できるかを思い浮かべると、彼らを遊牧生活の友として容易に迎え入れられない理由がわかります。
餌の問題もあります。そもそも遊牧移動するのは、家畜の水や餌を確保するためです。しかしながらブタやニワトリは雑食なので、草原には餌が豊富でなく、捜し歩いても見つけるのは難しいのです。
放牧が可能かという問題もあります。いくら賢い牧畜犬でもブタやニワトリの誘導管理は困難です。とくに群れとして管理するのが難しいブタは、放牧などもってのほかでしょう。それらに比べると、ヒツジやヤギは群れとしての管理が容易な動物なのです(写真3)。
最後は糞の問題です。森林の無い草原には一般的な木材燃料がありませんが、草食動物の糞は乾燥させると燃料となります。特に、ウマ、ウシ、ヤギの糞にはたくさんの未消化植物線維が含まれています。よく考えたもので、遊牧民はこの糞を燃料として使っています。食用、カシミヤ生産ばかりではなく家畜の糞もしっかり利用します。徹底したSDGsが行われていたのです。湿度の低い土地なので、草原では乾いた糞をよく見かけるのですが、それを集めて燃料にするのです(写真4、5)。ブタやニワトリの糞では、線維が少ないため、臭いばかりで燃料として使い物にはならないでしょう。
遊牧民の友としての優等生はやはりウマです。自家用車のかわりになったり、遊牧民の栄養となる馬乳酒の原料の馬乳を出したりします(写真6)。
労役を担うヤクやラクダも重要です(写真7、8)。
これらの家畜に、道中の草を食べながら群れをなして遊牧移動し、ときには遊牧民の食料や産業用のカシミヤになるヤギとヒツジを加えて、5畜となるわけです。
モンゴルの遊牧民たちが、5畜と共に生きるための大切な技術と文化を養っていることが分かった旅でした。
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【執筆】
杉田昭栄(すぎた・しょうえい)
1952年岩手県生まれ。宇都宮大学名誉教授、一般社団法人鳥獣管理技術協会理事。医学博士、農学博士、専門は動物形態学、神経解剖学。実験用に飼育していたニワトリがハシブトガラスに襲われたことなどをきっかけにカラスの脳研究を始める。解剖学にとどまらず、動物行動学にもまたがる研究を行い、「カラス博士」と呼ばれている。著書に『カラス学のすすめ』『カラス博士と学生たちのどうぶつ研究奮闘記』『もっとディープに! カラス学 体と心の不思議にせまる』『道具を使うカラスの物語 生物界随一の頭脳をもつ鳥 カレドニアガラス(監訳)』(いずれも緑書房)など。