カラス博士の研究余話【第3回】
ハードルが高いカラスの巣立ち

動物が誕生して育つには、病気や事故などいろんなハードルを乗り越えなければなりません。私たち人間も、60年ほど前までは、感染症や低出生体重などで生後間もなく死亡する乳児が少なからずいました。そして現在では、医療の進歩によってかつては助からなかった命もつなぐことができるようになっています。反面、幼児が誤って高層マンションのベランダから落下する事故や、虐待により命を失う子どものニュースが報じられます。時代が進んでも、若い命の危険は形が変わりながら潜んでいるようです。

野生動物も自然界の過酷な環境を乗り越えて、命をつながなければなりませんが、今回はカラスの巣立ちをテーマに、幼い命の「危機との遭遇」を紹介します。

早くから巣の外を動き回る子ガラスたち

カラスの雛は貪食です。よく食べますから、早く育ちます。なんと、孵化後40日前後でおとなと変わらないくらいの大きさになります。しかしその割に、カラスは巣立ちをできないまま命を落とすことが多いのです。

カラスの雛の数は2~4羽が一般的ですが、孵化後2~3週間くらいまでは、きょうだい仲よく巣の中で寄り添う、微笑ましい光景が見られます(写真1)。

写真1:巣の中でみんな仲良くすごす雛。ちなみに雛の口の中は赤い(成鳥は黒)

しかし、5週目くらいになると、子ガラスたちは30×20センチメートルくらいの巣の中で押し合い圧し合いを始めます(写真2)。さらに巣立ちに近い時期になると、所狭しと巣の縁を歩いたり(写真3)、巣の外の小枝に危なっかしくとまる姿が見られるようになります。

写真2:体が大きくなり、巣が窮屈になりだした

写真3:巣から出て、周辺を歩く子ガラスたち

ときには片足を巣の縁や小枝から踏み外し、あわや落下の危機に遭遇する子ガラスもみかけます。実は「あわや」にとどまらず、落下してしまう子ガラスも少なくありません。私がいた大学の研究室には、そんなふうにして、巣立ちできなかった子ガラスたちが保護されて運び込まれていましたが、多い年では10数件に上りました。

駅に営巣した親子の顛末

冒頭で幼児の落下事故にふれましたが、カラスでも同じような悲劇が起こります。

あるハシボソガラスは、なんとJR東北線・某駅内の作業用側路に営巣していました*。巣の外枠になる枝が通路の鉄格子にうまく編み込まれ、しっかりと固定されていました(写真4)。巣の中には4羽の雛がいました。私が初めて観察できたのは、孵化の推定1週間後です。巣立ちを期待し、数日おきに様子を見に行きました。しかし、結論を先に言うと、4羽とも巣立ちができませんでした。

*ハシボソガラスは、電柱や鉄塔、落葉樹など、遠くからでも視認できる場所によく巣をつくります。

写真4:営巣の様子。カラスたちは入手できる材料を用いて、とても器用に巣をつくる

育ちは順調でした。雛たちは成長するにつれ、巣から出て、歩き回るようになりました。そこで悲劇は起こります。子ガラスたちは動いているうちに足を踏み外し、線路脇の草むらに落下してしまったのです。そして、そのまま衰弱して死に至ったという顛末です(写真5)。巣のまわりを活発に歩き回り、下を覗き見る子ガラスたちの様子(写真6)から、落下事故、あるいは飛翔の練習後に巣に戻れなくなるのでは、と危惧していましたが、最悪の予感が当たりました。このような悲しい出来事は、自然界では日常なのかもしれません。

写真5:落下し、線路脇の草むらで餓死した子ガラス

写真6:眼下を見下ろす子ガラス

カラス類は毎年、同じ地域、同じ樹木・電柱に営巣することが知られています。そのため、私は次の年、同じ場所に何度も足を運びました。しかし、営巣は見られませんでした。前年の落下事故の経験から、育児には適さない環境であることを学んでくれてのことなら「ナイスジャッジ!」と、親ガラスを褒めたくなります。

ちなみに、松田道生さんの著書『カラス、なぜ襲う』には、カラスの巣立ち率は約58パーセントと記載されています。巣立ちの後には、越冬などさらなる困難が待ち受けていることを考えれば、育ちきったカラスはやはり「選ばれしもの」と言えるでしょう。

【執筆】
杉田昭栄(すぎた・しょうえい)
1952年岩手県生まれ。宇都宮大学名誉教授、一般社団法人鳥獣管理技術協会理事。医学博士、農学博士、専門は動物形態学、神経解剖学。実験用に飼育していたニワトリがハシブトガラスに襲われたことなどをきっかけにカラスの脳研究を始める。解剖学にとどまらず、動物行動学にもまたがる研究を行い、「カラス博士」と呼ばれている。著書に『カラス学のすすめ』『カラス博士と学生たちのどうぶつ研究奮闘記』『もっとディープに! カラス学 体と心の不思議にせまる』『道具を使うカラスの物語 生物界随一の頭脳をもつ鳥 カレドニアガラス(監訳)』(いずれも緑書房)など。