「対ヒト社会的認知能力」ってなに?
私たちにとってもっとも身近なヒト以外の動物といえば、ネコとイヌでしょう(図1)。日本では15歳未満の子どもの数より、飼われているネコとイヌの数の方が多いそうです。
ネコやイヌを飼っている人には、時にはヒトよりも心を通わせられると感じる方もいるかもしれません。心が通わせられると感じるのはなぜでしょうか。私たちのような言葉をしゃべらない彼らですが、私たちの気持ちや、伝えようとしていることを(時には、これから病院に行くなどのあえて隠そうとしていることも)読み取り、それに応じて行動しているように感じる、つまりある程度のコミュニケーションが成り立っていると感じるからではないでしょうか。
私たちヒトが意図的あるいは非意図的に発している情報を読み取る能力は「対ヒト社会的認知能力」と呼ばれます。この能力には、個体(個人)を区別すること、視線、身振り、表情、言葉などを認識することや、相手の意図を理解することなどが含まれます。
ネコやイヌを飼っている飼い主さんには、「ごはんと言ったら飛んでくる」「こちらの気持ちをわかっている」などと感じ、彼らの対ヒト社会的認知能力の高さを実感している方は多いでしょう。しかし、ネコやイヌの対ヒト社会的認知能力を客観的に示すのはなかなか難しいのです。
例えば「お手」と言って手を出したときや、「おすわり」と言って座ったときにごほうびを与えるトレーニングをすることで、「イヌはヒトの言葉を区別できる」ことは確認できます。ただし、「お手」という言葉と一緒に日常的に生じる情報である、おやつの音やにおい、飼い主さんの表情やしぐさを取り除いたらどうなるのか、また飼い主さん以外の人が発した音声で似た行動が見られるのかなどを実験しなければ、イヌが厳密に「お手」という言葉(音声刺激)だけを手がかりにしているのだとは示せません。
■イヌの対ヒト社会的認知能力の研究
イヌの対ヒト社会的認知能力の研究は、20年以上前から盛んに行われており、世間一般の人が抱く印象通りの賢さが、科学的に証明されていると言えます。
イヌは、群れで行動するオオカミを祖先種とし、ヒトと一緒に仕事をしてきた最古の家畜とされています。その歴史的背景から、積極的な選抜育種がなされ、ヒトとコミュニケーションをとるように進化してきたといわれます。ヒトによる指差しを手がかりにしてエサの場所を探す能力は、進化的にヒトに最も近いチンパンジーよりも、イヌのほうが高いともいわれます。
イヌは他にも、ヒトの視線からエサの場所を探したり、ヒトの表情を認識できたりします。また、訓練によって1000を超える物の名前を区別できたという話もあります。ここまでイヌの研究が進んでいる理由は、エサをごほうびにしたトレーニングが比較的簡単にできることに加え、初対面の研究者がいる場面や初めて訪れた場所でも、飼い主がそばにいれば多くの場合において自然な行動を見せてくれるため、実験がしやすいからだと考えられます。
■ネコの対ヒト社会的認知能力の研究
一方でネコの対ヒト社会的認知能力については、10年ほど前から盛んに研究されはじめたものの、イヌほどは研究が進んでいません。研究が進まない背景には、ネコはエサをごほうびとしてトレーニングするのが難しいこと、家をなわばりとするために研究室に連れてくると自然な行動をとってくれないこと、研究者が近づくと逃げてしまうような人見知りの激しい個体が多いことなど、研究上の困難が挙げられます。
ネコの祖先種であるリビアヤマネコは単独性であり、イヌの祖先種のオオカミのように社会性が高くはありませんでした。またヒトとネコの共存は、1万年前にヒトが農耕牧畜をはじめて穀物を蓄えるようになったところ、その穀物にネズミが集まり、そのネズミをエサとするネコがヒトの周りに集まるようになってはじまったと言われています。ヒトにとっては、害獣のネズミを食べる益獣であるネコは野性味あふれるままの方が良いため、イヌのようには積極的な選抜育種がなされてこなかったという歴史的な違いもあるのです。
これらの理由から、「ネコの対ヒト社会的認知能力は高くないのだろうから、イヌのように研究が増えないのは当然」と思う方もいるかもしれません。しかし、「ネコはヒトのことをわかっていない」という結論は、ネコを飼っている人からすると納得がいかないのではないでしょうか。
研究者は上述の困難がありながらも、ネコを飼育する一般の家庭やネコカフェを訪れ、トレーニングによらない自然な行動を観察するなどの工夫により、ネコもヒトからの情報を理解していることを研究として示しつつあります。
ネコは名前を区別できている!
ネコの対ヒト社会的認知能力の1つである「自分の名前と他の言葉を区別できているか」を調べた研究について、詳しく紹介します。
この研究では「馴化脱馴化法(じゅんかだつじゅんかほう)」という、ヒトの赤ちゃんの研究でも使われる方法が用いられました。
ヒトもヒト以外の動物も、大きな音がするとその方向を向く行動が見られます。しかし、同じ音や似たような音(馴化刺激)が繰り返し提示されることで、音に注意を向ける反応が慣れによって弱まります。これを「馴化」といいます。馴化が見られた後に、新しい種類の刺激(テスト刺激)が提示されることで反応が戻ります。これを「脱馴化」といいます。この現象を利用して、馴化刺激とテスト刺激の区別ができていることを確認するのが「馴化脱馴化法」です。
ネコの飼い主さんに協力していただき、ネコの名前と同じ長さの4つの単語(馴化刺激)と名前の呼びかけの声(テスト刺激)を実験前に録音します。実験では、録音した単語を15秒間隔で聞かせます。最初の単語を再生すると、突然音がどこかから聞こえるため、音のした方を向くなどの強い反応を多くのネコが示します。2番目、3番目、4番目と単語を聞かせていくと、ネコにより差はあるものの、単語への反応が弱くなる、つまり馴化します。その後にネコの名前を聞かせるとネコの反応が戻りました。つまり、脱馴化したのです(図2、3)。
このことから、ヒトが音声コミュニケーションで用いている言葉の1つである「自分の名前」を、ネコは他の単語と区別していることがわかりました。これまでに、イヌ、チンパンジーなどの大型類人猿、イルカやヨウムなどがヒトの言葉を理解していることを示した研究はありましたが、ネコにもヒトの音声を認識・区別する能力があることが客観的に示されたといえます。
つまり、名前を「わかっている」の?
この研究の結果から、「ネコは“自分”の名前をわかっている」と解釈される方もいるかもしれません。しかし、私たちヒトが自分の名前をわかっているのと同じように、ネコが自分の名前をわかっている、とは言えません。
ヒトは「その単語が自分のことを指す」とわかっていますが、「ネコには自分のことがわかる、自己意識がある」ことを示す研究結果はありません。ですので、ネコが「自分」という概念をもち「自分」が呼ばれたのだと認識しているかどうかはわからないのです。
この研究結果から言えるのは、ネコがおそらくもっともよく聞き、かつエサやなでられるといったごほうびと結びついた、ヒトが発する「名前」の音を、それ以外の人が発する単語の音と区別ができている、ということだけです。
なんとも味気ない、と感じる方もいるかもしれませんが、証明できることを厳密に突き詰めていくのが研究なので、多くのことは言えないのが現実です。
しかしながら他にも、「ネコが音声から飼い主の顔をイメージしている」、「別の同居ネコの名前と顔写真を結びつけていそうだ」、「ヒトの表情を認識していそうだ」という研究結果が蓄積しつつあります。これらの研究結果の多くは、ネコの飼い主さんからすれば当然と思われることかもしれませんが、地道な研究を積み重ねることで、ネコの対ヒト社会的認知能力の詳細が今後も明らかになっていくのではないかと期待されます。
【執筆者】
齋藤慈子(さいとう・あつこ)
上智大学総合人間科学部准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科助教、講師、武蔵野大学教育学部講師等を経て、2018年より現職。ネコとヒトの関係に関する研究や、ヒトやマーモセットにおける養育行動に関する研究を行っている。Camp Nyan Tokyoメンバー。
Camp Nyan Tokyo :https://sites.google.com/view/campnyantokyo
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