2023年の末に亡くなられた八代亜紀さんは『雨の慕情』で「くもり空なら いつも逢いたい」と歌っています。今回は、「そこにいるなら いつも逢いたい」と興味をそそる「クモにまつわる動物たち」についてご紹介します。
「蜘蛛」の巻
童話としてもよく知られる『青い鳥』は、もともと1908年にベルギーの作家であるモーリス・メーテルリンクが発表した戯曲です。メーテルリンクは他にも『ガラス蜘蛛』という、短い章が連なる随筆的な本を書いています。この「ガラス蜘蛛」とはミズグモのことです。
井の頭自然文化園では、2006年に園からほど近い三鷹の森ジブリ美術館で、宮崎駿監督の『水グモもんもん』という短編映画が上映されたのをきっかけにミズグモが展示され、その後に常設展示されるようになりました。
ミズグモは旧北区に広く分布します。「旧北区」とは、動物地理学(生物の分布や、それらが成す生態系を研究する学問)において、東南アジアや南アジアなどを除くユーラシア大陸と、アフリカ大陸の一部をまとめて呼ぶ言葉です。日本列島も琉球諸島を除いて旧北区に属しますが、ミズグモは北海道以外ではごく断片的な分布が知られているだけとなります。
ミズグモはえらなどの器官は持ちませんが、水草のあいだにつくった巣に空気を蓄えます。また、お尻に空気の泡をつけて酸素ボンベ代わりにすることで、水中での活動を可能にしています。このように水中生活に特化したクモはミズグモだけです。
「蜘蛛(クモ)」の語源には諸説ありますが、そのひとつは「粘った糸で巣を組む虫」というものです(参考文献1)。英語の「Spider」も「糸紡ぎ(Spin)」に由来していますが、水中で巣を組むミズグモの技巧もまた、クモらしさの現われと映ります。
メーテルリンクの『ガラス蜘蛛』では、祖父が庭の池で捕まえたミズグモをガラス瓶で飼育していた様子が、幼少時の記憶として描かれています。メーテルリンクは、有名な昆虫研究者ファーブルも書いていないものとして、いささか誇らしげにミズグモを紹介しています(注1)。しかし彼が真に誇らしく思っていたのは、ガラス瓶のなかで輝きつづける彼の幼年時代だったのかもしれません。
「蜘蛛」にちなんだ動物たち
蜘蛛にちなんで名づけられた動物を紹介します。
中南米の樹上で暮らすクモザル類(Spider monkey)は、類人猿を除く霊長類としては例外的に肩が自由に回り、また「第5の手足」とも呼ばれる尾が枝などに巻きついて体を支えることで、アクロバティックで自在な動きを見せてくれます(注2)。そのありさまが蜘蛛にたとえられたわけです。
江戸川区自然動物園ではこの写真のブラウンケナガクモザルのほかジェフロイクモザルも飼育展示されているため、比較観察が楽しめます。
2.雲の巻
もうひとつの「クモ」である「雲」の話に移ります。
「雲(くも)」は「こもる(籠る・隠る)」と共通の語源を持つのではないかとされています(参考文献1)。つまり、もこもこと何やら中に隠しているものということでしょう。
なお、動物のクモに対しても「家をこしらえてこもる虫」という見なしがあるとのことですが(参考文献2)、語源論としては「信じられない」と評されています(参考文献3)。
「雲」にちなんだ動物たち
こちらの「雲」にも、それにちなんで名づけられた動物たちがいます。
ウスイロホソオクモネズミは、フィリピンのルソン島に生息しています。高い木の上で活動することから「雲鼠(cloud rat)」と名づけられています。樹上生活に適応した鋭い爪、発達した後肢、バランスをとる尾などが注目ポイントです。
ほかに名に雲がつく動物として、ウンピョウ(雲豹)がいます。ネパール東部から中国南部、および東南アジアの高山に分布する動物です(台湾では絶滅したと考えられています)。前述のウスイロホソオクモネズミと同じく樹上を好みますが、ウンピョウの名の由来はその習性ではなく、雲に見立てられる体の模様です。英語では「clouded leopard」と呼ばれます。ここでの「 clouded」は「雲で覆われた」という動詞で、クモネズミの英語名と違い受動態です。
水中で暮らす蜘蛛、その蜘蛛や空を流れる雲のように活動するサル・ネズミ、そして体の上に雲が流れるヒョウ。それらをじっくりと観察しながら、それぞれの環境の中で特徴的な姿や能力を進化させてきた動物たちに籠もる「いのちの力」を味わいましょう。
※写真撮影場所はキャプションに記載(撮影・森由民)
[注]
※1.フランスではミズグモは北半部にのみ分布します。メーテルリンクのふるさとであるベルギーはミズグモの分布域に含まれます。しかし、南フランスのアヴェロン県に生まれ、生涯を南フランスで過ごしたファーブルには、ミズグモを観察する機会はなかったのでしょう。
※2.クモザル類の前肢(手)は親指が退化しており、残り4本の指を枝に引っかけるようにして移動しますが、この移動方法も多くの類人猿と同じ樹上適応のあり方(収斂進化)です。また、クモザル類の尾の内側には毛がなく、滑り止めになる溝(尾紋)があります。いろいろと観察しがいのある特徴を持つ動物です。
[参考文献]
1. 増井金典(2012)『日本語源広辞典[増補版]』ミネルヴァ書房
2. 貝原益軒(1700)『日本釈名』
3. 小松寿雄著・鈴木英夫編(2011)『新明解語源辞典』三省堂
【文・写真】
森 由民(もり・ゆうみん)
動物園ライター。1963年神奈川県生まれ。千葉大学理学部生物学科卒業。各地の動物園・水族館を取材し、書籍などを執筆するとともに、主に映画・小説を対象に動物観に関する批評も行っている。専門学校などで動物園論の講師も務める。著書に『ウソをつく生きものたち』(緑書房)、『動物園のひみつ』(PHP研究所)、『約束しよう、キリンのリンリン いのちを守るハズバンダリー・トレーニング』(フレーベル館)、『春・夏・秋・冬 どうぶつえん』(共著/東洋館出版社)など。最新刊『生きものたちの眠りの国へ』(緑書房)が2023年12月26日に発売。
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