猫好きさんにおすすめスポット【第11回】新潟:名立寺「大蛇から奥方を守った朱猫」

日本海を眺める場所にある名立寺(みょうりゅうじ)は、別名「猫龍寺(びょうりゅうじ)」とも呼ばれ、猫と人の深いつながりを今に伝えています。その名立寺には、奉公者の朱猫の伝承が残されていました。

写真:名立寺

命を賭した猫の加護

その昔、たくさんの船と土地をもち大層栄えていた長者夫婦が、名立に住んでいました。夫婦は1匹の年老いた大きな朱猫を飼っていました。この猫は奥方に大変懐いており、奥方が井戸へ向かうたびに飛びつくようについていきました。その様子を見た奥方も、朱猫を大変かわいがっておりました。使用人たちが「奥様と猫は情を通じている」と噂するほどだったそうです。
この噂を聞いた嫉妬深い主人は激怒し、奥方の脇で丸くなっていた朱猫を、一太刀に切り伏せました。朱猫はよろよろとした足取りで井戸へ近づき、中へ落ちていきました。すると突然、井戸の中から轟音が響きわたりました。何事かと覗いてみると、一丈もある大蛇がのたうち回っているではありませんか。その蛇の喉には朱猫が必死に食らいついていました。朱猫は最後の力を振り絞って、井戸に住む大蛇を退治したのでした。
朱猫が大蛇から奥方を守っていたことに気付いた主人は大変に悔み、屋敷内に堂宇(どうう:お堂のこと)を建てて猫を祀り、ねんごろに供養することにしました。

長者の家はすでに途絶えていますが、名立寺には代々尼僧が住んでおり、朱猫の霊を弔っています。しかし、この伝承を伝える堂宇や井戸は1762年(宝暦12年)11月1日、1933年(昭和8年)9月30日の2回にわたる火災によりすべて失われました。猫の歴史を伝える物も、加賀百万石前田家ゆかりの赤門のみとなってしまいました。

名立寺

名立寺の歴史は古く、今から約600年前に月桂立乗和尚によって開山されました。本寺は長野県更級郡牧田中村にある興禅寺です。一時は廃寺となり荒れていましたが、1520年(永正17年)4月17日に本寺五世の仲翁順興和尚によって再興されました。

名立寺の赤門は、この寺と加賀百万石前田家とのつながりを今に伝えています。この赤門は、東京大学(前田家上屋敷より移築)、仙台大崎八幡宮(伊達政宗造営)に並ぶ前田家ゆかりの三大門の一つで、参勤交代の折に名立寺が本陣とされた際に建立されたと伝えられています。

[参考文献]
・小山直嗣著『新潟県伝説集成上越編』,1995年(恒文社)

名立寺

住所:新潟県西頸城郡名立町大字名立大町270

【執筆】
岩崎永治(いわざき・えいじ)
1983年群馬県生まれ。博士(獣医学)、一般社団法人日本ペット栄養学会代議員。日本ペットフード株式会社研究開発第2部研究学術課所属。同社に就職後、イリノイ大学アニマルサイエンス学科へ2度にわたって留学、日本獣医生命科学大学大学院研究生を経て博士号を取得。専門は猫の栄養学。「かわいいだけじゃない猫」を伝えることを信条に掲げ、日本猫のルーツを探求している。〈和猫研究所〉を立ち上げ、ツイッターなどで各地の猫にまつわる情報を発信している。著書に『和猫のあしあと 東京の猫伝説をたどる』(緑書房)、『猫はなぜごはんに飽きるのか? 猫ごはん博士が教える「おいしさ」の秘密』(集英社)。2023年7月に「和猫研究所~獣医学博士による和猫の食・住・歴史の情報サイト~」(https://www.wanekolab.com/)を開設。
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