猫と暮らし、文を書く【第8回】あれが好き、これは嫌い

偏食は理屈じゃない

近頃なんでも、ものの値段の上がっていることといったら、買い物に行くたびにため息が出る。猫のごはんも例外じゃない。というか、はっきり言って、とっても高い。ドライフードも缶詰もおやつも、この2年ほどでもれなく倍にはなった―気がする。
いっそ、デモでもストライキでもしたいところではあるけれど、節約に日々励み勤勉に働いている人間のみなさんをさしおいて声をあげるのは気が引ける。それを見越してか、値上がりはまだまだ続く―気がする。
そこでうちの7匹の猫に、家計の窮状を訴え、リーズナブルな(=より安い、健康的で医者いらずの)食生活を提案するのだが、これがちっともうまくいかない。
そもそも、そんなの関係ないもんね、というスタンスだし、猫はたいがい偏食だ。
食べたいものしか食べたくない。
同じカツオ味のフードでも、A社のものは食べるのにB社のものは食べない。で、安売りの時にA社のものを箱買いしたとたん、B社のものが好きになる。A社にもB社にも飽きて、今度はC社のものにして、と言ったりする。かと思うと、A社のこれしか食べないという強者もいて、廃番になろうがA社そのものがなくなろうが頑固一徹問答無用。
舌や軟口蓋にあって食べ物の味を感じる味蕾の数が人間では約1万個、犬では約2千個あり、それに対して、猫は1千個以下だから味音痴、というのが通説になっているが、ほんとうだろうか。
クーちゃん(黒トラ・♂)はマグロのお刺身はキハダマグロ一択で、ビンチョウもメバチもホンマグロも食べなかった。ユキ(白・♂)はアイスクリームの、みーみ(三毛・♀)はヨーグルトの蓋を舐めるのに執着しているし、台所でカレイなど煮ている時には全員が足下にテレポートしてくる。
猫の偏食は理屈じゃないのかもしれない。
これといったわかりやすい正解がない。―たとえば、チョウの幼虫の食草は種ごとに異なるというような。たとえばまた、サバンナの草食動物が体の大きさや口の形によって草の部位を食べ分けるのは、草を食べ尽くさない共存のための知恵なのだ、というような。
コジロ(赤茶トラ・♂)はブロッコリが好きだった。流しにこっそり上がって、茹でたての小房を失敬するほど。そんなものが好物だったから、小柄で貧相だったけれど、そんなものが好物だったからか、病気らしい病気もせず、猫生は総じて穏やかに過ぎた。
そのコジロが唯一、見舞われた災難の話をしよう。

コジロ

コジロの受難

それはコジロ5才の春、3月。
うちが空き巣に入られた。
盗られて困るものなんてないからと、窓の補助錠もかけずにいたのがいけなかった。
出先から次女と帰宅した午後6時頃、玄関ドアを開けて異変に気づき、足が止まった。猫の出迎えがない(当時、うちにいた3匹はまだ若くやる気満々で、家人が帰宅すれば、誰かしら駆けつけるのが常だった)。リビングの大きく開いたドアが風に揺れている。―風? 戸締りをしてでかけたのに?
二人して用心しいしい部屋へ入って驚いた。抽斗は引っ張り出され床にはモノが散乱、掃き出し窓のガラスが割られ窓は全開。すでに人の気配はなかったが、一目瞭然のありさまに、腰が抜けそうになる。
ともかく窓を閉めて110番通報した。そして姿の見えない猫たちを探した。盗られて困るものはあったのだった。
2匹(ハナとピンちゃん)はこたつの中にいて無傷で怯えてもおらず、伸びをしながら出てきたから、賊が侵入した時も寝ていたかもしれない。ところが、コジロがいない。
まもなく警察が到着して、事情聴取だの足跡鑑定だのと慌ただしく捜査が始まるも、私たちは気もそぞろ。だってコジロがいないのだ。動転して窓から飛びだしたか? めちゃくちゃに走って迷子になっていたら? コジロは怖がりだから。だから闇雲に道に飛び出し、車に轢かれたりしたら……。悪い想像ばかりふくらんで背中がチリチリした。
コジロは4か月齢ぐらいの頃、会社の寮にいた長女に拾われてうちに来た。寮の隣りの公園で、ひどくお腹をこわし寄生虫もいて瀕死の状態だった。まともにごはんが食べられるようになるのに半年かかった。だからブロッコリをほしがっても、私は食べさせなかった。「コジロ強い子元気な子」を合言葉に、消化の良い栄養価の高いマグロペーストや高カロリーレトルトなんかをなだめすかして食べさせた。それだからコジロは、盗み食いをしたのだ、こんなことになるなら、ブロッコリぐらい好きなだけ食べさせてやればよかったのに―そう思うと胸が痛んだ。
夫が帰宅し、手分けして近隣をくまなく探したが、コジロは見つからなかった。
やがて現場検証が終わった午後9時過ぎ。
夫と娘と私と三人、警察の人たちを見送って呆然と玄関に座り込んでいた時だ。
どれぐらいそうしていただろう。
2階から階段を下りてくる足音がした。
……泥棒?
三人の間にサッと緊張が走る。
が、すぐにそんなはずないと思い直す。
足音はホトリホトリ、か細く頼りない。
私たちは金縛りにあったようにじっとして、階段を見つめた。すると、階段の踊り場に赤茶トラの不安げな猫の顔が覗いた。
コジロだった。

ブロッコリの思い出

コジロは2階の本棚と壁の間に隠れていたらしい。10センチもないそのすきまに、無理矢理からだを押し込んだせいだろう、そこにはコジロ色の毛がたくさん散らばっていた。
以来、コジロは好きなだけブロッコリを食べられるようになった。台所に忍び込むまでもなく、コジロのお皿には、冷ました茹でブロッコリの小房が取り分けられた。やがてそれほど執着しなくなってからも、思い出したように時々ほしがった。
他の猫は見向きもしないブロッコリ。
猫の偏食は理屈じゃないとしても、記憶に結びついている部分はあるかとは思う。保護された時、すでに人慣れしていたコジロは、公園で、誰かのお弁当からブロッコリをもらったかもしれない。あるいは残り物にありついたかもしれない。濃い緑の彩りはたいていのお弁当に添えられてあるし、もしもどこかで誰かと暮らした時があったのだとしたら、やはり、その誰かのお弁当のブロッコリをコジロは一緒に食べたかもしれない。
推測に過ぎないが、ひととき、おなかをみたした幸せな記憶。
そんな記憶がコジロにあったとしたら、どんなにかいいだろうと思う。
泥棒は未だ捕まらず、盗まれたもの―ノートパソコンと娘のお年玉(現金2万円ほど)とささやかなアクセサリー類―も戻らない。
盗まれて困るものがあったと気づいた2024年現在、セキュリティだけはしっかりと強化している。

筆者に甘えるコジロ
くつろぐコジロ

【執筆】
岡田貴久子(おかだ・きくこ)
1954年生まれ。同志社大学英文学科卒業。『ブンさんの海』で毎日童話新人賞優秀賞を受賞。『うみうります』と改題し、白泉社より刊行。作品に『ベビーシッターはアヒル!?』(ポプラ社)『怪盗クロネコ団』シリーズ、『宇宙スパイウサギ大作戦』シリーズ(以上理論社)『バーバー・ルーナのお客さま』シリーズ(偕成社)など多数。『飛ぶ教室』(光村図書出版)でヤングアダルト書評を隔号で担当。神奈川県在住。