人はなぜ、はたらく動物として馬を選んだのか

私たちにとって、馬は決して身近な動物ではありませんが、馬を想起させる事物や情報は少なくありません。たとえば、競馬場を疾走するサラブレッド、西部劇でお馴染みのカウボーイが乗りこなすクォーターホースや幌馬車隊(ほろばしゃたい)、時代劇では正義の味方「鞍馬天狗」が跨がる白馬などが思い起こされます。私たちは、潜在的に馬を「人を乗せて速く遠くまで走れる動物」、あるいは馬力という単位でも象徴されるように「力持ちで、重たい荷物を背中に乗せたり、馬車や荷車を引いたりして運搬に役立つ動物」として認識しています。そして、いまでは馬を「走りのエキスパート」または「走る芸術品」などと、その走能力を高く評価しているように思われます。しかし、その能力は本当でしょうか?

双蹄と単蹄の違い

まずは、馬の能力を、現在も世界中に200種類以上の野生種が生き残っている同じ大型草食動物の牛の仲間、偶蹄類と比較します。
牛の仲間や山羊あるいは鹿の仲間たちは、アシ先に2個の蹄を持っており双蹄類とも呼ばれています。一方、馬はアシ先に蹄が1個の単蹄類であり、この蹄の数の違いは機能的にも大きな差となって現れています。
たとえば、双蹄類である牛や山羊の仲間は、草原はもちろん、人が登れない岩山の絶壁を住処にしている仲間のほか、湿地帯や川のなかに住む水牛や鹿の仲間もいます。
つまり双蹄類は、どんな場所でも生活できる適応性に優れているといえます。

岩山で暮らす山羊
水辺で活動する水牛

一方、単蹄類の馬は岩場では捻挫しやすく、湿地帯ではアシ抜けが悪く、生活域は平坦な草原に限られていました。
そのうえ、野生時代の馬の先祖達よりも速く走れる牛の仲間は少なくありませんでした。

なぜ人は使役動物として牛ではなく馬を選んだのか?

牛や鹿より運動能力が劣る馬ですが、馬や牛を家畜化した古代の人たちは使役用の家畜としてあえて馬を選んでいます。世界を見渡せば、牛やラクダ、象などの家畜が働く動物として知られていますが、それらはごく一部の地域に限られます。一方、馬は世界中の至るところで運搬や力仕事で活躍していますが、なぜでしょうか?

おそらく、他の家畜に比べて、馬の仲間達は人にとって扱いやすかったからだと考えられます。

歩行運動の原則と使役動物

動物は、アシで体を支えながら移動します。自分自身で試してみてください。まず、右脚を前に出して着地したら、その右脚に体重心を移動して体を支え、次に左脚を前に振り出して着地した左脚に体重心を移し、再び右脚を前に出す。この動作を繰り返して、歩いたり走ったりが可能になります。この原則は四足動物でも同じです。つまり、歩行や走行は、体を支えるアシに体重心をスムーズに移動させることで成り立つので、人が家畜動物を自在に操るためには、その動物の体重心の位置を適度にコントロールすることが必要だといえます。大型の草食性家畜を人が自由に扱うときは、家畜の頭部に引き綱を着けてその家畜を誘導します。

騎乗時のイメージ

このとき、首が短い牛の仲間に比べて、首が適度に長い馬のほうが人にとって扱いやすかったのでしょう。とはいえ、ラクダのように首が長すぎても人が自在に扱うには効率が悪いです。つまり、馬は、体全体の重さに占める頭と首の重さの比率、言い換えれば全身のプロポーションが人にとって絶妙だったといえます。このような事情があり、馬は中央アジアの一部で家畜化された後、瞬く間に使役動物として世界中に拡散していきました。

今は人を乗せてアスリートとして活躍する馬たち

古くから、馬は軍用馬を含み、運搬用や乗用として人の生活に多大な貢献をしてきました。しかし、近年のモータリゼーションの台頭と共に、現在では競馬や馬術競技用のスポーツホースとして新たな地位を築きつつあります。たとえば、競走馬として品種改良された英国原産のサラブレッドは、2,000メートルの距離を平均時速60キロメートルを超える速度で疾走し、最大速度は時速70キロメートルを超えるといいます。安静時の平均心拍数は毎分34回程度ですが、疾走時の最大心拍数は毎秒200回を優に超えるそうです。また、オリンピックや世界選手権では人馬がコンビを組み、高さ165センチメートル、奥行き200センチメートルを超える障害物を連続して10個以上飛越する能力が競われます。フィギュアスケートのように、華麗な歩きや走りを披露する馬場馬術という種目もあります。なぜ馬は背中に人を乗せて、こんなにも優れた能力を発揮できるのでしょうか。

人が乗りやすい馬の背骨の特性

馬の骨格やそれを動かす骨格筋には、人を乗せるのに適した様々な利点があります。

まず、背骨の特性を紹介します。背骨は頭蓋骨の後ろから始まり、7個の頸椎、18個の胸椎、5~7個の腰椎、さらに仙骨へとつながり、その後ろは20個以上の尾椎で終わります。それぞれの椎骨(背骨を構成する一つひとつの骨)は円柱状の短い骨であり、一列に並ぶ前後の椎骨が互いに連結しています。

馬の骨格標本

これらの背骨のうち、頸椎と尾椎は、隣り合う椎骨の連結部が凹状と凸状の球面であることから、比較的自由に曲げることができます。この頸椎の柔軟性を利用して、馬の頭部の重さを利用し、体重心の位置を変化させることができるのです。

一方、胸椎~仙椎は、隣り合う連結部がほぼ平面であることから、まるで一本の堅い棒のようになっています。この特性があるからこそ、人が背中に乗ることができます。
この背骨の堅さは、彼らが大型の草食動物であることに由来します。草食である馬の消化管は複雑で長大なので、消化管を含めた内臓の総計は相当な重量になります。この重さを支えて活発に行動するために、背骨は柔軟さを放棄して一本の堅い棒状の構造になったと考えられます。
また、裸馬の背中に跨がると、奇妙なことに馬の腹部の横幅が狭く、人の座骨と左右の脚が絶妙にフィットします。単に偶然の産物ではあると思いますが、こんな絶妙な構造は人を乗せるために神様がデザインしたのでは? と思わざるを得ない不思議さです。

四肢に存在する走るための合理的な仕組み

四肢の関節や筋肉は、着地時の衝撃を緩和しながら、同時にその衝撃と荷重を利用して、前へ進む力を生むための構造になっています。とくに四肢の末端部の複数の関節を支える腱と靱帯は、バネの弾性を利用して跳ね飛ぶ子どもの玩具「ホッピング」によく似た機能により、衝撃緩和をすると同時に推進力を生みだしています。

これらの四肢に存在する衝撃緩和や推進力を生み出す機構のお陰で、馬は疲れにくく、活発に走ることが可能であり、だからこそアスリートとして人を乗せて、速く、高く跳び、華麗に演技することができるのです。

馬に快適な環境を……

すでに野生では絶滅した馬たちですが、人は長い年月をかけて馬の長所を伸ばし、その労働力を巧みに活用して家畜や伴侶動物として大切に育んできました。そして、今では競馬や馬術競技など、スポーツ競技におけるアスリートとして貢献しています。しかしながら、不得意な動作や無理な演技を強いることでたやすく故障してしまう例も少なくありません。どんな競技でもスポーツ傷害は付き物ですが、馬は自らスポーツ傷害の危険性を訴えることはできません。だからこそ、私たちは馬の長所よりむしろ弱点に配慮する必要があります。

そして、約5,000年以上前から続く馬との関係をより良くしていくために、馬にとって快適な環境を整備できるように努力していかなければならないのです。

【執筆】
青木 修(あおき・おさむ)
1950年群馬県渋川市生まれ。1979年麻布獣医科大学(現・麻布大学)大学院博士課程修了。獣医学博士。公益社団法人日本装削蹄協会に奉職後、バイオメカニクスの視点から馬の歩行運動の研究に従事し、その成果を装蹄理論の確立に活かして装蹄師の養成教育に携わる。2004年アジアから初めて、国際馬専門獣医師の殿堂入り。2013年日本ウマ科学会第5代会長に就任。2015年より公益社団法人日本装削蹄協会理事。著書に、『馬のバイオメカニクス』(監訳、緑書房)、『メカニズムから理解する馬の動き』(監訳、緑書房)、『日本の馬の仕事図鑑』(監修、緑書房)『競走馬ハンドブック』(共著、丸善出版)、『新・装蹄学』(監修、共著、公益社団法人日本装削蹄協会)など。

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