日本在来馬の今~日本の馬のこれまでとこれから~

馬にはさまざまな種類があります。
小柄なポニー、引き締まった身体の軽種馬、巨体をほこる重種馬など。その種類はおおよそ200を超えるといわれています。

これらの多彩な馬の中には、英国のサラブレッド、ベルギーのベルジャン、スペインのアンダルーサなど、おのおのが育まれた土地や国を代表する馬として知られているものも少なくありません。

では、日本にはどのような馬がいるでしょうか? 日本には、古来から生活を共にした、小柄でがっしりとした働き者の「日本在来馬」がいます。

日本に根付いた馬

江戸時代には、20以上の馬の名産地と、伊豆(静岡県伊豆半島)などに小規模な産地があったそうです。それぞれの地域では、馬の専門家である「牧士」や、一般の農家が馬を育てていました。

江戸から明治に変わってすぐの1878年(明治10年)ごろ、日本には約107万頭の馬がいたといわれています。このほとんどは、代々各産地で育てられてきた日本在来馬でした(そのころの日本には123万頭弱の牛と、3,000万人くらいの人間がいたとされています)。しかし、古墳時代から現代までの長い年月を生き延びた日本古来の馬は、近代の欧米化や現代の産業化・機械化とともに減り続け、日本列島の限られた地域に残るだけとなりました。今では北海道・長野県の木曾・愛媛県今治市・長崎県の対馬・宮崎県串間市・鹿児島県のトカラ島・沖縄県の宮古島・与那国島の8グループを残すのみです。

ここからは、その8種の日本在来馬について簡単にご紹介します。

北海道和種馬(別名:どさんこ)

北海道和種馬は、北海道文化遺産に登録されており、北海道の釧路・十勝・根室・渡島などに1,056頭います(2024年時点)*。8種の日本在来馬の中では最も数が多い馬です。
*2024年の日本在来馬の頭数は「公益社団法人日本馬事協会ウェブサイト「日本在来馬の飼養頭数の推移」による(最終閲覧:2025年12月12日)

北海道和種馬

昔から北海道に馬が多かったわけではありません。馬のいなかった北海道に馬をもたらしたのは和人(歴史的にアイヌ民族と区別するために使われ、本州系日本人を指す)であり、主に彼らが連れて渡った東北地方の馬が、現在の北海道和種馬の祖先です。江戸時代初めには北海道に馬がいたという記録があり、それ以降、厳しい環境に耐える頑健な馬として近現代にいたるまで活躍しました。特に、北海道開拓の現場で人間と苦楽を共にし、その働きぶりや賢さは語り草となりました。
身体つきはやや大きめで、毛色はさまざまなバリエーションがあります。

木曽馬(きそうま)

長野県の天然記念物に指定されており、長野県木曾郡開田村などに129頭います(2024年時点)。

木曽馬

木曽馬は、本州に唯一残った日本在来馬です。奈良・平安時代ごろに馬産地として知られた信濃国(現在の長野県)は、河川交通が発達しづらい地勢もあり、馬の背を借りた輸送が多く行われるなど、馬の使役が盛んでした。
信濃の勇猛な武者が都に攻めのぼったときには、こうした馬にまたがっていたのかもしれません。

かつて、馬の世話が女性の仕事だった時代、開田村では「馬屋の手入れをよくしてある家の娘はしっかり者」「嫁のことは馬が一番知っている」という意味を込めて、「嫁をもらうときは馬屋を見ろ」と伝えられていました。

明治時代になると「馬種改良」によって東北地方や海外の馬との交配が促され、古くからの血統は少なくなってしまいました。わずかに遺された個体から保護育成を試みた地域の努力が実り、現在に木曽馬の血統を伝えています。現代の木曽馬は、村の次世代を育む体験学習などで活躍しています。

野間馬(のまうま)

愛媛県今治市の天然記念物に指定されており、愛媛県今治市野間馬ハイランドなどで54頭飼育されています(2024年時点)。

野間馬

かつて愛媛県を治めていた松山藩松平家では、立派な馬を武士が乗る馬としていました。武士が乗らない馬は小さな馬ばかりとなりましたが、それが日本在来馬の中で最も小柄な野間馬の祖先だそうです。
この小柄な馬は、県の特産品であるミカン山での作業などで活躍していました。当時から小回りのきく頼もしい馬だったことでしょう。

1975年(昭和50年)ごろには、わずか5頭を残すのみとなりましたが、保護により数を回復し、学校教育などに取り入れられて親しまれています。

対州馬(たいしゅうば・うま)

長崎県対馬郡美津島町や上県町などで44頭飼養されています(2024年時点)。

対州馬

しんきしんきと山道行けば 笠に木の葉がふりかかる バイノーサヨ

対州(対馬)には、馬の背に乗って樹々の生い茂る対馬の山道を行く女性を歌った民謡があります。宮本常一『忘れられた日本人』には、「馬子唄(まごうた)」を高らかに歌いながら山道をたどる男衆の姿が生き生きと描かれていますが、日頃から馬の世話をしていた女子衆もいました。

対州で古くから使われていた対州馬は、狭い空間でも巧みに体の向きを変え、坂の多い地形での農耕や運搬に力をふるっていました。地元の人々は口の中に入れる金属のハミを使わず、顔につける頭絡(とうらく)とその口元に結んだ一本の手綱で巧みに操っていたそうです。対馬島内だけではなく、坂の多い長崎市内でも、自動車の入れない狭くて急な坂道で物を運ぶために近年まで対州馬が使われていました。

御崎馬(みさきうま)

御崎馬は、国指定の天然記念物です。宮崎県串間市都井岬に100頭生息しています(2024年時点)。

御崎馬

飛鳥時代に「馬ならば日向の駒(ひむかのこま)」と歌われたように、宮崎県は古くから馬にゆかりがありました。御崎馬の先祖は、高鍋藩(現在の宮崎県)秋月家が設けた牧場で育まれた馬で、代々武士が乗る馬として育てられてきました。

秋月家もその跡を継いだ御崎組合も都井岬で馬を放牧しており、その馬たちの行動はオス中心のハーレムを組むなど、野生馬に通ずるものがあります。こうした放牧は馬だけではなく、牧草や虫とのかかわりも学ぶことのできる自然教材として意義のあるものとなりました。
体は大きめで、体高が130センチメートルにおよぶ個体もいます。

トカラ馬

トカラ馬は、鹿児島県で天然記念物に登録されています。鹿児島県にある鹿児島大学附属入来牧場などで92頭飼育されています(2024年時点)。

トカラ馬

鹿児島県の南西海上に位置するトカラ(吐噶喇)列島の宝島で飼育されていましたが、元々は奄美群島の喜界島で古くから飼われていた馬でした。明治時代の半ばに宝島に移され、今は中之島のほか、絶滅を危惧して鹿児島大学の入来牧場などでも飼育されています。身体つきは小さく、前から見るとお腹が三角に見えるという特徴もあります。

宮古馬(みやこうま)

沖縄県で天然記念物に指定されています。沖縄県平良市に48頭飼育されています(2024年)。

宮古馬

かつて、琉球王国は明(当時の中国)に馬を進上していました。古琉球の馬の名残なのか、沖縄県には2種の在来馬がいます。その一種がこの宮古馬です。

地域に根ざした馬として、サトウキビを搾る仕事などで使われていました。明治政府の馬種改良は日本の在来馬を大きく減らしましたが、その国策も南西の島々までは及ばず、20世紀後半の農業の機械化の進行まで島の人々と生活をともにしてきました。

与那国馬(よなぐにうま)

与那国町の天然記念物です。沖縄県八重山郡与那国町に89頭存在しています(2024年)。

与那国馬

沖縄県にいる2種の在来馬の一つである与那国馬は、日本最西端の先島諸島・与那国島の馬です。

与那国島では、農耕は牛もしくは水牛が担っており、馬の仕事はもっぱら運送でした。ここでも時代とともに馬は減っていきましたが、新たに乗馬としての活路を探すなど、地域でユニークな試みが進められています。

なお、琉球王国では、足の速さよりも姿勢や足運びの美しさを競う沖縄独自の人馬の競技「ンマハラシー(琉球競馬)」が行われていました。長らく途絶えていた行事ですが、最近改めて開かれるようになり、与那国馬も注目を集めました。

おわりに

北海道和種馬や木曽馬には、先祖と同じように流鏑馬や騎馬打毬で活躍している馬もいます。野外乗馬などでは、体格の良い外来の馬より、小柄な日本在来馬のほうが日本人と山野に適しているので、積極的に活用しようという意見もあります。また、頑丈で小回りもきき、自動車が入れないようなところにも入って行ける北海道和種馬に乗って河川環境の見回りを行う乗馬クラブもありました。こうした馬のパワーは、災害時にも活かされるかもしれません。性質が温厚な馬には、ホースセラピーという新たな活躍の場もあることでしょう。
この国に根付いた馬たちが、これからも活躍の場を広げていくことを願っています。

[参考文献]
・更科源蔵著、『北方動物記』、北海道出版企画センター、1976年
・澤頭修自著、『御嶽の見える村-木曽開田高原日記-』、実業之日本社、1985年
・『対馬の庶民誌』城田吉六 葦書房 1983年
・宮本常一著、『忘れられた日本人』、岩波書店岩波文庫、1984年
・山下大輔、「わが国畜産研究・技術開発の黎明 第36回 日本の在来馬について」『畜産技術』、公益社団法人畜産技術協会、2014年7月
・中川剛、「わが国畜産研究・技術開発の黎明 第37回 木曽馬の歴史と保存活用」『畜産技術』、公益社団法人畜産技術協会、 2014年8月
・秋田 優、「日本の在来馬について3.御崎馬」『畜産技術』、公益社団法人畜産技術協会、2014年9月
・岡本新、「日本の在来馬について4.トカラ馬」『畜産技術』、公益社団法人畜産技術協会、2014年10月
・白井興一、「日本の在来馬について5.北海道和種馬」『畜産技術』、公益社団法人畜産技術協会、2014年11月
・戸崎晃明、「日本の在来馬について6.在来馬の遺伝的背景」『畜産技術』、公益社団法人畜産技術協会、2014年12月

【執筆】
村井文彦(むらい・ふみひこ)
1957年東京都新宿区生まれ。馬の博物館元学芸部長。公益財団法人馬事文化財団で馬と文化にかかわる活動に従事し、馬の博物館・JRA競馬博物館で学芸員を勤める。専門は「人馬一体の日本史」江戸時代を中心に古今東西、広く人と馬のかかわりの研究を目指す。著書に『スコットランド文化事典』(分担執筆、原書房)、『歴史学事典』(分担執筆、弘文堂)、『日本生活史辞典』(分担執筆、吉川弘文館)がある。特技は紙切。

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