猫好きさんにおすすめスポット【第1回】
新潟:普光寺「2つの猫伝説 その1」

日本三大奇祭の1つ「裸押合大祭」

「サンヨー! サンヨッ!」

掛け声とともに、はかま姿の男たちが高らかに押し合いへし合う「裸押合大祭」。日本三大奇祭の1つとして知られています。旧暦1月3日にあたる3月3日の夜、普光寺に祀られた毘沙門天に誰よりも早く近くで参拝しようと押し合います。

写真:普光寺寺内

この大祭は1200年も続くとされ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。しかし、その起源はよくわかっておらず、説がいくつか存在します。そのなかのひとつ、化け猫退治が起源となった説を紹介しましょう。

写真:普光寺双龍の図

化け猫退治が起源?

ある晩、浦佐に住んでいた杢市(もくいち)という按摩(あんま:マッサージ師)は、毘沙門堂の納所坊主であった珍念に体を揉むよう頼まれました。しかし、体つきが明らかに人間の骨格ではありません。杢市は青ざめ、ぶるぶると震えだしました。

気づかれた珍念は、その正体を現しました。大きく輝く目、耳まで裂ける口、その口から生える大きな牙……。その姿は何百年も年を経た大山猫でありました!

「杢市、このことを他言すれば直ちに喰い殺す」

そう言い残し、妖しい風を身にまとい、姿を消したのでした。

恐ろしさに駆られた杢市は、村中にふれ回りました。
翌朝、山狩りが行われることになりましたが、化け猫はまったくみつかりません。あきらめた村人たちは、件の毘沙門堂をとり囲むことにしました。大勢の村人が猫を探し、狭い堂内は押し合いへし合いの大騒ぎ。

すると、そこに天井裏から山猫が飛び出してきたのです!
山猫は雑踏のなかにもぐりこみましたが、そこは熱気に血走る男たちの大騒乱。逃げ場を失った山猫は、あえなく退治されたということでした。この騒動は旧暦1月3日でありました。

それからというもの、毎年1月3日に裸押合大祭が開かれるようになったと伝えられています。現在でも「ねこしき」という祭事が織り込まれています。当時は退治した山猫の皮を敷いていたそうですが、現在は藁で編んだ「ねこしき」と呼ばれる敷物を用いているようです。

しかし、猫好きの皆さまご安心ください。この大祭の別の起源として、大同2年の建立時、坂上田村麻呂自身が「国家安泰」、「五穀豊穣」、「家内安全」を祈り、村人皆で鼓舞したことが始まりという説もあり、どちらかというとこちらの説が支持されているようです。宝暦6年(西暦1756年)に幕府役人の復命書に堂押しの記録が残っています。

写真:寺内でじゃれる猫

普光寺

新潟県南魚沼市浦佐2495

[参考文献]
伊藤治子. 裸押合い祭りの「ねこしき」–新潟県南魚沼郡大和町浦佐.

【文・写真】
岩崎永治(いわざき・えいじ)
1983年群馬県生まれ。博士(獣医学)、一般社団法人日本ペット栄養学会代議員。日本ペットフード株式会社研究開発第2部研究学術課所属。同社に就職後、イリノイ大学アニマルサイエンス学科へ2度にわたって留学、日本獣医生命科学大学大学院研究生を経て博士号を取得。専門は猫の栄養学。「かわいいだけじゃない猫」を伝えることを信条に掲げ、日本猫のルーツを探求している。〈和猫研究所〉を立ち上げ、ツイッターなどで各地の猫にまつわる情報を発信している。著書に『和猫のあしあと 東京の猫伝説をたどる』(緑書房)、『猫はなぜごはんに飽きるのか? 猫ごはん博士が教える「おいしさ」の秘密』(集英社)。2023年7月に「和猫研究所~獣医学博士による和猫の食・住・歴史の情報サイト~」(https://www.wanekolab.com/)を開設。