カラス博士の研究余話【第2回】
カラスの爆睡

枕を高くして眠ることは至難の業

睡眠時は動物が最も不用心になる状況の1つです。野生の世界はちょっとの油断もなりません。そのため、動物たちは睡眠のとり方にもいろんな工夫をしています。

動物たちの寝姿を考えると、ウマやゾウは危険が近づいてきたらすぐ駈け出せるように立ったまま寝ています。鳥のように、木につかまり高いところで寝る動物もいます。あるいは、イルカやクジラのように、水中に身を浮かべて寝るものなど、寝姿も生活の様子と合わせて多種多様です。

生理的な眠りのかたちとしては、人のように左右の脳が同時に眠りに入る「全球睡眠」と片側ずつ交代で眠る「半球睡眠」があります。なぜ、脳の左右半分ずつを交代で休ませる仕組みの半球睡眠があるかというと、危険回避のためであることはもちろんですが、クジラやイルカのように完全に眠ったら溺れてしまう危険性がある動物にとっては、それが欠かせないからです。一見、起きながらにして眠っているということになり、首を捻りたくなりますが、命をつなぐ巧妙な睡眠の仕組みなのです。飛翔を長時間続ける渡り鳥も、脳の片方ずつ眠る半球睡眠と考えられています。

また、多くの動物は1日の睡眠を短い時間間隔に分割する「多相性睡眠」とよばれる睡眠パターンをとっています。動物たちはいつ襲来するかわからない天敵や危険に備え、神経を尖らせて眠っているとされ、結果的には「少しの間眠り、少しの間覚醒する」という眠りの相を繰り返しているのです。

いずれにせよ、自然界で生き抜くには「枕を高くしてしっかり眠りにつく」ことは至難の業なのです。しかし筆者は、驚くことに枕を高くして眠るカラスに出会いました。

無防備丸出しの爆睡カラス

自然界では存在しないであろう、無防備丸出しの爆睡カラスは研究の過程で誕生しました。このカラスは、巣立ちに失敗し保護されたハシブトガラスです。筆者は、宇都宮大学農学部で教鞭をとり、カラス研究を進めていたのですが、なにぶん動物が好きで入ってくる学生たちが多い学科です。さらに研究室に配置された学生はカラス好きです。世話にも力が入ります。

そのカラスは、保護されてから1年以上、学生たちの寵愛を当たり前のように一身に受けて、何不自由なく日々を送っていました。安全が保障された環境で、上げ膳据え膳の生活です。そんなカラス(通称カ~くん)は、想像すらしなかった振る舞いの「爆睡」をするようになったのです。

ある日のこと、解放飼育域(研究用ケージがいくつか設置されている大学某棟)の中庭で日向ぼっこをしていたカ~くんでしたが、その様子を観察していると、頭を垂れ、次第に身体を反りだし、ゆっくりと船を漕ぎ始めたではないですか(図)。

図:カ~くんの爆睡

学生たちによって大切に育てられてきたカラスといえども、立派な野生動物です。夜は止まり木で緊張しながらも多相性睡眠するものと思っていた著者にとって驚きの光景でした。鳥類は危険回避のため、やはり木々の枝など高いところにとまって眠るのが一般的です。しかし、カ~くんは庭の石テーブルの真上で堂々と眠っているのです。ネコやイヌがいたら命取りです。

眠りと緊張のバランスについては、一線を引いて説明できる科学的な定点はないのですが、枕を高くして眠れない野生の性(さが)も、安全な環境に慣れると、自然の呪縛から解き放たれていくものなのだと思った出来事です。この「カ~くん豹変」によって、野生動物との付き合いは、野生の本質をきちんと維持するという視点を失ってはならないと思い知らされました。人間が自らの価値観だけで、野生動物の本能を削ぐような向き合い方をすると、彼らの自然界で生きる能力を奪うことになるのです。

【執筆】
杉田昭栄(すぎた・しょうえい)
1952年岩手県生まれ。宇都宮大学名誉教授、一般社団法人鳥獣管理技術協会理事。医学博士、農学博士、専門は動物形態学、神経解剖学。実験用に飼育していたニワトリがハシブトガラスに襲われたことなどをきっかけにカラスの脳研究を始める。解剖学にとどまらず、動物行動学にもまたがる研究を行い、「カラス博士」と呼ばれている。 著書に『カラス学のすすめ』『カラス博士と学生たちのどうぶつ研究奮闘記』『もっとディープに! カラス学 体と心の不思議にせまる』『道具を使うカラスの物語 生物界随一の頭脳をもつ鳥 カレドニアガラス(監訳)』(いずれも緑書房)など。