今回は、水族館にいる生きものたちの「脳」についてお話します。
「人と似ているから……」の罠
イルカなどの鯨類は、脳の容積が大きく、大脳皮質の表面積の拡大につながる大脳のしわも多いことが知られています。この性質だけを見ると、人の脳とよく似ているように思えます。
しかし、鯨類の脳の容積には、神経細胞以外の細胞(グリア細胞)の量の多さが大きく影響しています。脳の見ためや大きさから受けた印象だけで「鯨類は人と同質の賢さをもつ」と推定しないようにしなければならないのです。
そもそも「人と似ている性質をもつから、人と同様に賢い」というもの言いをするだけでは、「人は賢い」と繰り返しているのと変わりませんね。
一見、脳が無いように見えても……
一見しただけでは脳が無いように見える、クラゲやヒトデについても考えてみましょう。
クラゲの神経系は網目状の広がりをもち、一見しただけでは「ここが中心だろう」と指せる場所(中枢)はありません。しかし、私たちにおける口と肛門の役割を兼ねている、餌の出入口の周りには、ある程度の神経の集中が確認されています。
また、ある種のクラゲ(上の写真のシロクラゲと同じ、軟クラゲ目など)では、神経のつながりがピザを切り分けたようにモジュール化されていることが判明しています。たとえば、触手が餌の小動物を探り当てたときに、その触手が属する神経のモジュールで反応が見られるのです。
ヒトデについてはどうでしょうか。上記の写真のコブヒトデモドキとは種類が違いますが、イトマキヒトデ類を対象とした研究では、ヒトデの「腕」と呼びたくなる器官のそれぞれが、他の生きものにおいて「頭」をつくっている遺伝子と同じ遺伝子に由来していることが判明しています。よって、「ヒトデは5つの頭だけをもつ生きもの」と解釈することもできるのです。
寝ているタコは色を変える
軟体動物についても考えてみましょう。
タコやイカなどの頭足類は、眼の奥あたりに発達した神経節をもちます。この神経節を一種の「脳(中枢)」と解釈できます(つまり、胴体・頭・足の順につながった体と言えます)。一方で頭足類は、足の一本一本にまとまった神経系をもっています。足はそれぞれの神経系を用いて、脳からある程度独立して周囲の環境に反応したり、動くときには脳を介さずに足の神経系同士で信号を交わして連携したりしていることがわかっています。
頭足類の脳について、着目すべき点はこれだけではありません。頭足類は、筋肉を用いて体内の色素胞を収縮させることで体色を変えられます。そして起きているときだけでなく、睡眠中のタコが上の写真のように色を変化させることもあるのです。
睡眠という行動は、「神経系のメンテナンス」という機能を担って進化してきたと考えられています。マダコは色覚が発達していないので「色鮮やかな夢」を見ているわけではないでしょうが、頭足類の脳について考える上で、興味深い現象ですね。
駆け足ながら、さまざまな系統の海の生きものたちの神経系の多様性や、それに基づいた能力について紹介しました。いろいろな生きものを見て、「脳ってなんだろう、賢いってなんだろう」と人の本質にも関わる問いに首をひねるのも、動物園・水族館ならではの知的な楽しみのひとつですね。
※写真はすべてしながわ水族館 https://www.aquarium.gr.jp/(撮影・森由民)
[参考文献]
・森由民 著、関口雄祐 監修(2023年)『生きものたちの眠りの国へ』緑書房
・渡辺茂(2020年)『あなたの中の動物たち』教育評論社
・「遺伝子操作したクラゲから、動物の「脳」の進化の謎が見えてくる」『WIRED』
・「ヒトデの腕は5つに分かれた頭だったと判明!」『ナゾロジ―』
・「タコは地球上で出会えるエイリアン……脳を介さず8本の足が意思決定できる」『Newsweek』
【文・写真】
森 由民(もり・ゆうみん)
動物園ライター。1963年神奈川県生まれ。千葉大学理学部生物学科卒業。各地の動物園・水族館を取材し、書籍などを執筆するとともに、主に映画・小説を対象に動物観に関する批評も行っている。専門学校などで動物園論の講師も務める。著書に『ウソをつく生きものたち』(緑書房)、『動物園のひみつ』(PHP研究所)、『約束しよう、キリンのリンリン いのちを守るハズバンダリー・トレーニング』(フレーベル館)、『春・夏・秋・冬 どうぶつえん』(共著/東洋館出版社)など。最新刊『生きものたちの眠りの国へ』(緑書房)が2023年12月26日に発売。
動物園エッセイ http://kosodatecafe.jp/zoo/