動物園は出逢いの場【第10回】黒い豚、薄紅の花、白い虎

動物園にはさまざまな動物たちとの出逢いがあります。この記事では、人が品種改良したり、意図的に繁殖させて保ったりしてきた動物たちの姿を紹介します。それが「人が動物と暮らすとはどういうことか」という問いを考えるきっかけになればと思います。

島ウヮーに隠された歴史

「ウヮー」は沖縄のことばでブタを指し、「島ウヮー」は沖縄在来豚を指します。沖縄では、ブタは正月の伝統的なごちそうであり、「黒いブタには魔除けの力がある」という信仰もあります。

写真1:島ウヮー(沖縄こどもの国にて2016年6月17日撮影)

近代化に伴い、島ウヮーもイギリス産のバークシャー種などと交配されてきました。しかし、人々が長い歴史をかけて独自に作出して、ともに過ごしてきた存在である「在来家畜」の見直しにより、「伝統的な島ウヮーの形質をもつ豚を品種の掛け合わせで復元しよう」「わずかながらに保たれてきた純粋な系統を飼育繁殖しよう」という試みが進められています。

「沖縄在来の豚」というひとつのテーマにも、さまざまな歴史が織り込まれています。単に「ブタはブタでしょ」と捉えると、こぼれ落ちてしまう歴史です。動物園はこのように、私たちにしみ込んでいる「あたりまえ」を揺さぶり、視野を広げてくれます。

西行が思い描いたのはどの桜だったのか

写真2:ソメイヨシノ(武蔵野市にて2024年4月3日撮影)

暑さはいまだ疎ましい限りですが、カレンダーの日付は既に八月の終わりになろうとしています。そんな中、過ぎ去った春を惜しむわけではありませんが、ここで少しばかり桜のお話をしてみます。動物ではありませんが、桜にも、品種に隠された歴史の綾があります。

願はくは 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころ

こちらは歌人・西行の歌です。西行は、平安時代末から鎌倉時代初期を生きた、武士出身の僧侶でした。1190年3月23日(文治6年2月16日)に亡くなっています。

この歌からは「満開の桜」や「降りしきる花吹雪の中」が想起されます。葉が伸びておらず花だけが強調された状態で、地域全体で一斉に開花して10日ほどで散ってしまう桜といえば、ソメイヨシノです。

ソメイヨシノは現在の日本各地でまとめ植えされている品種です。江戸時代の末から明治初期にかけて人々の意識にのぼるようになり、関東から全国に広がったとされています

*ソメイヨシノが作出された経緯や場所には、定説がないようです。ここでは、参考文献1を参考にした説を紹介しています。

西行は現在の和歌山県の生まれであり、没したのも現在の大阪府なので、この歌に詠まれている桜も「ソメイヨシノの全国区化」以前の別の桜だと思われます。そして、それがどのような品種のどのようなありさまを詠んだものかは一概に決められないのです

*この歌は、当時にあった特定の桜ではなく、後世にソメイヨシノが実現するような「桜の森の満開の下」を夢見て詠まれたのかもしれません。また、「花の下」を「もと」「した」のどちらで読むかは所説あり、文芸評論家の山本健吉(参考文献2)は、「西行は桜のもとで花を愛でるようにではなく、桜の下で花に埋もれて亡くなることを夢見ていたのだ」と解釈しています。なお、西行は日本各地の遊行の折々に桜を歌に詠んでおり、それぞれについて「この品種だろう」という推測がされています。

この歌は、「美しい桜とともに往生したい」というだけのものではありません。この下の句は、釈迦の入滅の時期を指しているのです。実際に西行は、釈迦が入滅したと伝えられている日付の翌日に亡くなっています。その一方で、桜の風景があるのは、仏教の起源とされるインドではなく日本です。次の春がめぐってきたら、歌の中で、ここ(いま自分がいる日本)と遠い場(過去のインド)をつなぎながら、その交差に自分を位置づけた西行に想いを馳せながら花見をしてみてください。

ホワイトタイガーは種ではない

写真3:ホワイトタイガーのホワイティ(大牟田市動物園にて2018年撮影)

白い体が印象的なホワイトタイガーは、美しい桜と同様に、私たちを魅了する存在です。2001年1月22日生まれのホワイトタイガーのメスであるホワイティは、老衰で2022年5月31日に死亡しました。トラとしては高齢であり、晩年には腎臓障害を発症しています。大牟田市動物園は病気に対するケアを含めて、ホワイティの日常を充実させるさまざまな試みを重ねてきました。

その大牟田市動物園は、2018年に「ホワイティが死亡した後にはホワイトタイガーを飼育しない」という方針を出していました。この決断の裏には、ホワイトタイガーが抱える「人間につくられた動物」としての問題があります。

写真4:展示場で遊ぶホワイティ(大牟田市動物園にて2009年撮影)

動物学的には、トラは世界で1種のみとされています(亜種としては現存で5つにわけられると考えられています)。

ホワイトタイガーは、インドやネパールなどに分布する亜種であるベンガルトラの白変個体を繁殖させたものであり、「種」ではありません(大牟田市動物園ではホワイティの展示でも「ホワイトタイガー」ではなく「トラ」と種名を表記していました)。この白変の遺伝子は潜性遺伝であり、基本的には両親から同時に受け継いだときのみ発現します。
そのため、ホワイトタイガーは飼育下で白変個体を得るために近親同士での繁殖が重ねられてきました。ホワイトタイガーは人間が意図的に作り出した「品種」ではありませんが、その維持には人間の意志がはたらいてきたのです。
結果として、ホワイトタイガーでは斜視や関節の形成不全などの近親交配に伴いやすい遺伝的障害が多発しています。ホワイティも遺伝性の斜視でした。
また、ホワイトタイガーには繁殖能力の低下も見られ、これも近親交配の影響と考えられますが、飼育下では人の介入によって個体変異としてのホワイトタイガーが維持されてきたのは既に述べました。
大牟田市動物園は、この現状と向き合い、ホワイティ以降はホワイトタイガーの飼育を行わない方針を明確にしたのです。

大牟田市動物園の考えには説得力があります。しかし、ただ「解答を学ぶ(まねる)」だけではなく、私たち自身が「ホワイトタイガーとは何か」という問いについて考えることが重要です。

ホワイトタイガーや島ウヮーの話は、「人が動物と暮らすとはどういうことか」という大きな問いにつながっていきます。この問いは、家畜や飼育個体の問題に留まりません。

たとえば、「野生動物のための保護区をつくる」という活動について考えてみましょう。この保護区は人里から隔離されているかもしれませんが、地球レベルの人間活動の影響からは自由ではありません。また、保護区を設けることで、資源利用を制限される地元の国や地域、そこで暮らす人々がいるかもしれません。保護区を作ったとしても、人と動物の関係については考え続ける必要があるのです。

都市生活における動物園は、動物と向き合うことのできるかけがえのない場所です。そして、動物に対してもっているイメージを再確認するだけでなく、自分を変えてくれる「出逢い」を求めて、人と動物との関わりについて考え続けることが、動物園をさらに価値あるものにしてくれるのです。

[参考文献]
1.佐藤俊樹(2005)『桜が創った「日本」ソメイヨシノ 起源への旅』岩波書店
2.高澤秀次・編(2005)『中上健次[未収録]対論集成』作品社

【文・写真】
森 由民(もり・ゆうみん)
動物園ライター。1963年神奈川県生まれ。千葉大学理学部生物学科卒業。各地の動物園・水族館を取材し、書籍などを執筆するとともに、主に映画・小説を対象に動物観に関する批評も行っている。専門学校などで動物園論の講師も務める。著書に『生きものたちの眠りの国へ』(緑書房)、『ウソをつく生きものたち』(緑書房)、『動物園のひみつ』(PHP研究所)、『約束しよう、キリンのリンリン いのちを守るハズバンダリー・トレーニング』(フレーベル館)、『春・夏・秋・冬 どうぶつえん』(共著/東洋館出版社)など。
動物園エッセイhttp://kosodatecafe.jp/zoo/