阿蘇五岳の一つに連なる根子岳。別名を猫岳と呼びます。山の形が猫の耳のような形であるため、このような名前が付いたと考えられています。しかし、この山と猫の関係は、形だけにとどまりません。地元に残る言い伝えでは、古くからこの山に「猫の王」が棲むと言われています。今回は、この猫伝承についてご紹介しましょう。

根子岳の猫の王
阿蘇を囲む様々な地域で猫の王についての記述が残されており、この伝承がいかに広く伝わっていたか垣間見ることができます。根子岳の猫の王に関して最も古い記述は、『肥後国誌』(1772)の阿蘇郡内牧手永、黒川村の項にあります。そのほか、猫の王に関する記述と考察について、小島瓔禮氏の『猫の王』(1999)が詳しいです。この書籍の情報をまとめると、以下のようになります。
「根子岳には大きな猫の王が棲んでいて、節分や除夜の晩に猫を集め、挨拶をさせたり御前会議を行ったりしている。猫が根子岳に登ると出世して、怪異や神通力を得る。人家で年老いた猫が居なくなるのは、根子岳に登ったためである。根子岳から戻った猫は口が耳まで裂けたり尾が2本となったりしており、村の頭領になる。」

猫の王の大きさはヒョウやシカと同じくらいのサイズとも言われ、山を登ってきた猫に三日三晩の稽古をつけ、裂けた耳は免許皆伝のあかしともされることもあるそうです。あるいは、王の宮仕えをすると言われることもあるのだとか。
山に登るのは7歳など年を経た古猫や1貫(約3.75キログラム)を超えるなど大きくなった猫、踊るようになった猫と限定されることもあります。
山に登る途中で人間に会うと、山に入る資格も、人里にも戻れなくなると言われています。あえて人里に戻らないのか、それとも戻れないのか、そのまま山猫になって残る猫もいるとそうです。
人里に戻った猫は、陽気な者は手ぬぐいを咥えて踊りだし、大人しい者は障子をそろりと開け閉めするようになるとか、ならないとか。
猫に感じる二面性
どうやら山に登るのはオス猫に限定されることがあり、メス猫は麓で怪異を成すと語られることが多いようです。これはデニス・C・ターナー ほか編「ドメスティック・キャット」でも記述されているように、オス猫はメス猫に比べて行動圏が3倍も広く、家に帰る頻度が少ないことが起因してこの伝承を生み出したのかもしれません。
人は理解できないものに不安を覚えます。昔の人々は、この愛くるしい動物に愛着を感じながらも、その捉えがたい不思議な行動に怪異を覚え、愛憎のはざまで出した答えがこの伝承に残っているような気がします。
私も幼少期はたくさんの外猫と暮らしていました。その中に、風来坊な猫もおり、「ジェル」と呼んでいました。子供ながら、なんとなく音の響きがよいので決めました。若々しく、筋骨たくましいハチワレのオス猫でした。初めのころ、1ヶ月に1度は帰ってきて猫まんまを平らげ、風の吹くまま姿を消すのです。そのような生活を続けていましたが、次第に顔を見る頻度が減り、そしていつしか姿を見せなくなりました。そういえば、最後に見た時、耳が裂けていたような……。
皆様にも思い当たる節はありませんか? 皆様のエピソードも教えてください。
[参考文献]
小島瓔禮著、『猫の王 猫はなぜ突然姿を消すのか』、小学館、東京、1999年
デニス・C・ターナー、パトリック・ベイトソン編、『ドメスティック・キャット』、チクサン出版、東京、2006年
【執筆】
岩崎永治(いわざき・えいじ)
1983年群馬県生まれ。博士(獣医学)、一般社団法人日本ペット栄養学会代議員。日本ペットフード株式会社研究開発第2部研究学術課所属。同社に就職後、イリノイ大学アニマルサイエンス学科へ2度にわたって留学、日本獣医生命科学大学大学院研究生を経て博士号を取得。専門は猫の栄養学。「かわいいだけじゃない猫」を伝えることを信条に掲げ、日本猫のルーツを探求している。〈和猫研究所〉を立ち上げ、SNSなどで各地の猫にまつわる情報を発信している。著書に『和猫のあしあと 東京の猫伝説をたどる』(緑書房)、『猫はなぜごはんに飽きるのか? 猫ごはん博士が教える「おいしさ」の秘密』(集英社)。2023年7月に「和猫研究所~獣医学博士による和猫の食・住・歴史の情報サイト~」を開設。
X:@Jpn_Cat_Lab
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