猫の宝探し【後編】常保寺「猫のいる大涅槃図」

猫は隠れるのが得意です。

猫と暮らしている方は「いつも居場所を把握していたはずなのに、いつの間にか気配が消えていた」といった経験をしたことあるでしょう。脱走したかと冷や汗をかきながら、いつもいるはずの場所を探していると、思いもよらない隙間に収まってご満悦な姿を見つけるのは「猫あるある」ですね。

猫が見つけにくいのは、野生の脅威から身を隠したり、獲物に気づかれにくくしたりするためです。猫はこのような生存戦略の結果として、周囲から見つかりにくい毛色や行動を手に入れたのです。特にワイルドタイプと呼ばれる毛色のサバトラは、周りの風景に同化しやすく、見つけにくいようです。暗くて狭いところに収まるのが好きなのも身を隠す行動からくるのでしょう。

見つけにくい猫ですから、X(旧Twitter)などでは「この写真のどこかに猫が潜んでいる」なんて投稿がよくバズっています。こんなことを言われたら意地でも見つけたくなるのが猫好きの性。「私でなければ見逃しちゃうね」なんてつぶやきながら、粘ったことなど忘れている都合のいい生き物です。

さて、今回はそんな「猫探し好き」な人にぴったりな宝物を紹介します。

さあ、宝探しに出かけよう。

寺宝「猫のいる大涅槃図」

写真1:大涅槃図

涅槃図とは、お釈迦様の入滅(釈迦が亡くなること)を描いたものです。お寺にとっては一般的な絵図であり、入滅を悲しむさまざまな生き物たちが、涅槃のお釈迦様を取り囲む構図になっています。描かれた動物は、お釈迦様によって救済されると信じられているようです。最近になって、常保寺が保有する涅槃図にはトラやヒョウのほか、猫も描かれていることが判明しました。

写真2:大涅槃図の猫

猫のいる涅槃図が珍しいわけ

ここまで読んで、「猫の描かれた絵なんて一般的すぎて、特別な価値があるように思えない」と思った方もいるかもしれません。しかし、実は猫が涅槃図に描かれるのは珍しいのです。涅槃会に猫がいないことは、江戸時代から有名なトリビアでありました。

では、なぜ描かれていないのでしょうか? 実は、まだはっきりとした理由は分かっていません。現段階では「お釈迦様の時代のインドに猫がいなかったから」という説の信憑性が高いように思います。そのほかにも、宗教的な視点をもつ説話や古文書でさまざまな考察がなされています。書籍を紐解くと、涅槃図に猫が描かれない理由はそれぞれ次のように説明されていました。

『四季物語』「二月」の項(参考文献1)

この文書では、「猫という獣は優しい様子もあるのに、心がねじけ曲がっていて仏の別れも悲しくないため、涅槃会に立ち会わない」と説明されています。

『日本俗信辞典 動物編』(参考文献2)

この文書では、干支の起こりの説話に「お釈迦様の入滅時に猫は馳せ参じなかった」と言及されていました。その理由は説話によってさまざまですが、「仏壇の団子を食べたかったから」といった残念な理由もあります。

『昔話研究資料叢書』収録「飯豊山麓の昔話」(参考文献3)

この文書では、猫が原因でお釈迦様が入滅したと説明されています。お釈迦様が危篤になったときに天竺まで薬を取りにいった鼠を、猫が捕って食べてしまったため、薬が間に合わなかったということです。

どの文書でも、猫について悪しざまに書かれています。このように、仏教では猫を魔物として嫌うことがよくありました。「犬は仏陀が生み出したので聖なる心をもつが、猫は鬼が生み出したから魔の物だ」と比較されたほどです。この猫を嫌う思想が、猫の干支入りの障害となったと言われることもあります。このような背景から、猫の描かれた涅槃図は希少性が高いのです。

猫が涅槃図に描かれるようになったのは、京都の東福寺にある1408年(応永15年)の涅槃図がきっかけでした。東福寺の涅槃図に猫が描かれている理由には、制作時の出来事が関係しています。作者は兆殿司(ちょうでんす)と称された吉山明兆(きっさんみんちょう)。彼が涅槃図を制作しているときに猫が絵の具を持ってきてくれることがあったそうです。これに感謝した明兆は涅槃図に猫が居ないことを憐れみ、描き入れたと伝わっています。

この涅槃図は「京都三大涅槃図」のひとつにも数えられ、手本のひとつとされたため、この絵を手本とした涅槃図に猫が描かれるようになったということです。

興味深いことに、猫が描かれた涅槃図にはある法則が見られます。絵のまんなか辺りに「左に象、右に牛、それを底辺とした三角形の頂点に獅子」という構図が見出だせた場合、90%の確率でその付近に猫が描かれているそうです(参考文献4)。なかには「それほんとに猫なの?」と疑うような姿の猫も見られます。猫の涅槃図を探すときに試してみてください。

常保寺の大涅槃図

写真3:常保寺本堂

猫の涅槃図の貴重さがわかったところで、常保寺の大涅槃図に話を戻しましょう。

常保寺の誇る絵は高さ3メートルを誇る大涅槃図であり、毎年1月15日~2月15日まで特別公開されています。お釈迦様の命日である2月15日にちなんだ日程とのこと。常保寺の公式サイトでも閲覧可能です(https://jyouhoji.jiin.com/)。

果たして先に紹介した法則は当てはまるのでしょうか? 猫のいる涅槃図は今回紹介したお寺だけではなく、いくつか現存しています。絵の中に猫を探すのも、楽しみのひとつになりそうです。

ちなみに京都・東福寺の大涅槃図は、例年では行事に合わせて公開されていましたが、現在は修復作業中につき見られないようです。修復作業が終わり、公開されるのを楽しみに待ちましょう。

猫にまつわる宝物を巡る旅が、皆さんの心に一粒の宝石を残すことを心より願っています。猫を知り、猫に思いを巡らす良い旅を。

瀑布山 常保寺

東京都青梅市滝ノ上町1316

東福寺

京都市東山区本町15-778

[参考文献]
1.鴨長明『鴨長明全集』p.459-461, 2000年(貴重本刊行会)
2. 鈴木棠三『日本俗信辞典 動物編』2020年(角川ソフィア文庫)
3. 武田正編『昔話研究資料叢書』収録「飯豊山麓の昔話」1973年(三弥井書店)
4. 竹林史博『知っておきたい涅槃図絵解きガイド』2013年(青山社)

【執筆】
岩崎永治(いわざき・えいじ)
1983年群馬県生まれ。博士(獣医学)、一般社団法人日本ペット栄養学会代議員。日本ペットフード株式会社研究開発第2部研究学術課所属。同社に就職後、イリノイ大学アニマルサイエンス学科へ2度にわたって留学、日本獣医生命科学大学大学院研究生を経て博士号を取得。専門は猫の栄養学。「かわいいだけじゃない猫」を伝えることを信条に掲げ、日本猫のルーツを探求している。〈和猫研究所〉を立ち上げ、ツイッターなどで各地の猫にまつわる情報を発信している。著書に『和猫のあしあと 東京の猫伝説をたどる』(緑書房)、『猫はなぜごはんに飽きるのか? 猫ごはん博士が教える「おいしさ」の秘密』(集英社)。2023年7月に「和猫研究所~獣医学博士による和猫の食・住・歴史の情報サイト~」(https://www.wanekolab.com/)を開設。
X(旧Twitter):@Jpn_Cat_Lab