九州における日蓮宗の中心地である本妙寺。ここは、戦国武将の加藤清正が建立した由緒ある社寺です。今回は、ネコ科つながりで虎の話題を紹介します。

加藤清正といえば、豊臣秀吉の重臣にして「賤ヶ岳の七本槍」の一人として名高く、熊本藩(肥後)の初代藩主として知られています。熊本城を築城したことでも知られ、周囲の治水や土木にも貢献しました。熊本では、いまでも清正公を「セイショコ」さんと呼び、県民に親しまれているようです。
そんな清正は、秀吉の朝鮮出兵にも積極的に参加し、戦果をあげています。その折に、虎狩りをした逸話も数多く語られています。秀吉は、虎の肉に滋養強壮・不老長寿の薬効があることを信じていたようで、献上させるために武将たちに虎狩りを命じていたようです。文禄3年12月(1594年)には、吉川広家が生け捕りにした虎を秀吉のもとに送っており、清正が退治したといわれるトラの頭骨が、徳川美術館(愛知県)に収蔵されています。
このような逸話から、本妙寺も虎のモチーフが目立ちます。狛犬もどこか虎のような顔立ちをしています。前の狛犬は戦時中に金物の回収に会い、収容されてしまいました。戦後、新たに現在の狛犬が用意され、今の形になりました。
また、本妙寺には歌川国綱の「佐藤清正虎狩之図」も所蔵されています。
清正をまつる浄池廟(じょうちびょう)のまわりには、茶トラの猫がすみ着いていました。



ちなみに、同じく朝鮮出兵で活躍した島津義弘は、猫の瞳孔の大きさが光によって変わることを利用して、時計代わりにしていた逸話も残されています。出兵に参加した猫7匹のうち、2匹が生き残ったようです。この逸話をもとに、鹿児島市時計貴金属眼鏡商組合が明治百周年を記念して、鹿児島県にある猫神社(仙巌園)へ「猫神の由来」石碑を寄贈したそうです。秀吉の朝鮮出兵とネコ科動物の縁は深いようです。
本妙寺
天正13年(1585年)に加藤清正が父・清忠の菩提寺(ぼだいじ)として摂津(大阪)に建立した。天正16年に肥後入国に合わせて熊本城内に移したが、清正の遺言により、慶長19年(1612年)に現在地の中尾山中腹へ移された。清正を埋葬する浄池廟の上方に、天に槍を抱える加藤清正像が建つ。



住所:熊本県熊本市西区花園4-13-1
【参考文献】
・平岩米吉、『猫の歴史と奇話』、築地書館、1992年
・本妙寺内看板
【執筆】
岩崎永治(いわざき・えいじ)
1983年群馬県生まれ。博士(獣医学)、一般社団法人日本ペット栄養学会代議員。日本ペットフード株式会社研究開発第2部研究学術課所属。同社に就職後、イリノイ大学アニマルサイエンス学科へ2度にわたって留学、日本獣医生命科学大学大学院研究生を経て博士号を取得。専門は猫の栄養学。「かわいいだけじゃない猫」を伝えることを信条に掲げ、日本猫のルーツを探求している。〈和猫研究所〉を立ち上げ、SNSなどで各地の猫にまつわる情報を発信している。著書に『和猫のあしあと 東京の猫伝説をたどる』(緑書房)、『猫はなぜごはんに飽きるのか? 猫ごはん博士が教える「おいしさ」の秘密』(集英社)。2023年7月に「和猫研究所~獣医学博士による和猫の食・住・歴史の情報サイト~」を開設。
X:@Jpn_Cat_Lab
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