第33回では、強盗犯が所持していた包丁を包んだ布に付着獣毛の鑑定例を紹介しました。今回も、まず道内某所で発生した同様事件と、次いで動物死体を利用した保険金詐欺が疑われる案件において、当方の野生動物医学専門施設で実施した獣毛鑑定が活躍した事例を紹介します。
強盗犯が残した靴の底から獣毛を採集した事案
強盗事件解決のために鑑定依頼された証拠品は、凶器ではなく犯人が履いていたとされた靴でした。その中に獣毛のようなモノが見えたそうで、それを犯人特定の手掛かりにしたいということでした。要するに、容疑者が被害者宅に押し入ったという客観的な証拠を得たかったということです。
凶器ではないのでこちらの心的負担は軽いとしても、別の緊張感が漂いました。なぜなら、野生動物医学センターにその靴が丸ごと運ばれ、私が獣毛を採材することになったからです(図1)。刑事さんの衆人環視のもと、ピンセットを持つ指先が震えた記憶は今でも蘇ります。



獣毛には、試料として検査では使えないものもあるので、可能な限りたくさん採らないといけませんが、目を凝らしてもそれらしいのは8つだけ。また、今回はスンプ法と透過法を施した後、人の髪が含まれていたことも判明しました(図2と図3の左)。肉眼では、髪の毛か獣毛なのかの判断は不可能なのです。わずかにあった獣毛は、猫と判明。被害者宅には猫がいたので、その家の中を容疑者が歩いた根拠の一つとなるとして、刑事さんに感謝され鑑定は終了となりました。
保険金詐欺事案でも野生動物医学が活躍
鑑定が成功して爽快な気分にさせましたが、一転して、動物の死体を保険金詐欺に利用した事例を紹介します。このケースは第5回で少しだけ触れましたが、獣毛画像は載せませんでした。
ここでその画像の一部を紹介します(図4)。第5回で登場した保険会社は、会社が所持しているデバイスで鑑定を試みるもお手あげ(図4左)。その後、当方へ委託することになったわけです。本連載で示した適切な処理を行うと、図4中央と右のようにクリアとなり、あっさりとシカ体毛と鑑定できました。

もし、読者の中に保険会社などに勤めている方がおり、このような検査をする場面に直面した場合、適切な処理を施さないと何もわからないということは知っておいてください。全国的に野生シカの個体数が急増しているので、こういった対応に遭遇することは十分に考えられます。本連載を開始した3年前と比べても、その増加の激しさは目に余ります。
とりわけ、北海道では車両衝突事故が急増しています。そのため、複数の損害保険会社が連携し、ポスターを作成して注意喚起をしています(図5)。それ程までに現場は深刻なのです。

おわりに
このような事故・事件に対して、不適に高額な補償金を支払ってしまったケースもあったでしょう。今後、「野生動物の法獣医学」がこのような事故・事件に関わることが増えるのではと思っています。
少し前までは、このような側面で獣医学が社会に関わることなど、誰も予想していませんでした。しかし、激変する野生動物と人の関り方による事案を予想し、可能な限り柔軟に対応することも、法獣医学を含む野生動物医学の使命です。想定外で逃げてはいけません。そして、未来の姿を描くには、過去の事例が参考になります。つまり、温故知新。次回は法獣医学の歴史について一緒に見てみましょう。
[参考文献]
・阿部春乃、徳宮和音、浅川満彦、「獣毛鑑定の続報」、森林保護、356、5-7、2022年
https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/7055
・近本翔太・浅川満彦、「酪農学園大学野生動物医学センターWAMCに依頼された車輌付着の獣類体毛鑑定と示唆された野生動物交通事故に関わる問題点」、第16回「野生動物と交通」研究発表会発表論文集、エコ・ネットワーク、41-44、2017年
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I028096335
【執筆者】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学名誉教授、獣医師、野生動物医学専門職修士(UK)、博士(獣医学)、日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表として執筆・講演活動を行う。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。2026年5月に環境省自然環境局長賞受賞。主著『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)、『獣医さんがゆく―15歳からの獣医学』(東京大学出版会)、分担執筆分として『新獣医学辞典』、『犬の内科臨床Part2』、『神の鳥ライチョウの生態と保全』、『獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠寄生虫病第3版』(以上、いずれも緑書房)、近刊として『 君たちの保全医学―地球環境を守るために知り・学び・変わる』(文永堂)
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