野生動物の法獣医学と野生動物医学の現状【第37回】明治の法獣医学は平成・令和でどう変わった?(後編)

前編では、日本における法獣医学の誕生について紹介しました。
後編では、法獣医学の歴史を獣医療/獣医学全体の歴史から見ていきましょう。

獣医療が誕生した背景

人類が発展してきた背景には、戦争が大きくかかわっています。戦いに勝利するには優秀な武器が必要で、馬は武器の一つでした。言い換えれば、馬の健康管理は一国の運命を握っていたわけです。そうなれば、馬の医療術が誕生します。
中世から近代にかけ、馬の医療術は蓄積・整理・体系・理論化され、臨床獣医学の萌芽となります。

戦乱状態が落ち着き、欧州各地域に統一国家が誕生します。国が安定すると人口が増え、生きる(生かす)ために食資源の安定が求められました。これにより、牛などの家畜の健康維持・衛生管理としての獣医療術が発展します。
その直接的な契機は、18~19世紀に流行した「牛疫(ぎゅうえき)」です。多くの牛が死に、多数餓死者を出しました。
幸いにも、人の医療に直結する細菌学や免疫学などの技術・理論が獣医療に取り込まれ、応用・予防系獣医学の先駆けとなりました。

このような背景で産まれた家畜の健康維持・衛生管理と応用・予防の2つの理論と、基礎系の解剖・生理等が加わり、1761年にフランスのリヨン獣医科大学が誕生しました。これを皮切りに、大陸欧州各地に同様の大学が創立されました。
私が留学した王立獣医科大学Royal Veterinary College (RVC)は、1791年に設置されました。設置当時は、英語圏初の獣医科大学でした。

野生動物激減・自然破壊から野生動物医学の誕生

獣医科大学創出期を挟んだ大航海時代から20世紀初頭にかけて、人類社会は全世界に版図をひろげ、結果としてチャールズ・ダーウィンのような巨大な博物学者を輩出したロンドン動物学会Zoological Society of London(ZSL)が誕生します。
この学会は、人類の影響で、地域あるいは種単位で野生動物の個体数が激減していることを発表しました。これに危機感を感じた欧米の人々は、保護施策(保護区・国立公園設置等)を試みました。この施策はwildlife(あるいはwild animal)medicineの発端となり、ZSLは1994年に、RVC(前述)と共同で野生動物医学専門職大学院MSc Wild Animal Health (MSc WAH)課程を設置しました。
当時、MSc WAH課程のような試みは前代未聞で、野生動物医学に憧れる獣医師や若者を惹きつけました。私もその一人でしたが、入学時は40歳だったので、若者というには老齢でしたが……。

MSc WAH課程には法獣医学も含まれ、その授業模様を以下で紹介をしつつ「野生動物の法獣医学」の必要性を説きました。
ちなみに、MSc WAH課程の法獣医学は、前回で述べたような平成・令和の愛護動物関連の動愛法違反を証明するForensic veterinary medicineではありません。

浅川満彦、我が国の獣医学にも法医学に相当するような分野が絶対に必要!-鳥騒動の現場から、野生動物医学会ニュースレターZoo and Wildlife News、(22): 46ー53、 https://cir.nii.ac.jp/crid/1572824500306875392

とりわけ必要だと感じたのは、高度変質した(人の法医学では晩期死体現象に準ずる)死体の死因解析でした。病理学では対象外の腐敗死体に対しても死因解析をする、法医学の理論・技術を積極的に獣医学へ取り入れるべきでしょう。ちなみに、このような試みを比較法医学と称するらしいです(以下文献)。
このような腐った死体が多数現出すると社会不安の元になります。「野生動物の法獣医学」の目的とは、この事態を迅速に鎮静化させることにあります。

石塚真由美、法獣医学の現在と未来-北海道大学における教育・研究・社会実装、北獣会誌、70: 341、2026年

明治時代に生まれた日本の法獣医学のルーツは聖徳太子?

ここまでは主に欧米の話でしたが、日本ではどのような流れになったのでしょうか。まず、聖徳太子こと厩戸の皇子が、高句麗馬医法(療馬の法)をひろめたとされるのがその先駆けと考えられます。その後、大宝律令の馬医師、延喜式の馬医療、徳川綱吉の病馬用の病理厩(びょうりきゅう:江戸市中の病気の馬を収容して治療するための施設)などができていったそうです。

また、1717年(享保2年)の『武馬必要』に初めて「獣医」という単語が現れ、1851年(嘉求4年)には本格的な馬の解剖書『解馬新書』が上梓されています。江戸時代のことなのに驚きです。

明治時代となり、欧州で猛威をふるった牛疫が1873年に朝鮮半島から侵入しました。当時、この家畜伝染病が人にも感染すると考えられたこともあったそうです。もっとも、この時の苦い経験を踏まえて、獣疫予防法(家畜伝染病)制定契機となりました。その運用では強制力が要されましたので警察署(都内で警視庁)が主体となりました。

以上のように、まず、明治の「法獣医学」では家畜(動物)衛生に強く関わることになりました。
次いで、明治の「法獣医学」は公衆(食品)衛生の側面を帯びることにもなりました。前編で触れたように、乳肉品質に問題のあるモノを提供する業者があまりにも多かったことにくわえて、粗悪な食品は人々の健康に悪影響を及ぼしたからです(堀越、2004)。これを抑えるため、1891年に屠場法が制定され、その執行上、家畜衛生同様、強力な罰則を伴う刑事法根拠とする警察が関わりました。

堀越孝良、明治期における食品安全制度の概要―食肉政策を中心として、農林水産省官報、2004年、https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/project/attach/pdf/040730_16kiki1_1_07.pdf

「法獣医学」が明治期に誕生した契機は、家畜(動物)衛生と公衆(食品)衛生を守るためです。特に後者、屈強な兵士を育てるために、安定的に健全な乳肉の生産・供給する必要がありました。
兵士の次は武器です。冒頭で述べたように、馬は戦争において優れた武器でした。明治時代の日本であっても、第二次世界大戦まで通常兵器あるいはそれを補完する形として使用されていました。そのため、軍馬専門獣医師も召集されるほどでした。

陸軍獣医武官の任官令文書一例

牛馬等家畜(動物)衛生強化の流れは、本記事にて欧米とほぼ同じと確認できました。しかし、連載主題の保全医学(ワンヘルス)を含む野生動物医学は、ここで概観した限りでは日本の獣医療範囲内には認められませんでした。

野生動物と人間社会の関係を考えるワンヘルスの誕生

2000年代以降、獣医学教育全体の理念がワンヘルスへ軸足を移しつつあります。『獣医学概論 第2版』(緑書房、2025年)でもこのワードが溢れています!

獣医学の一領域である野生動物医学も、世界各地で立ち上がりつつあるその専門教育機関から理論・技術体系を吸収しました(浅川、2008a、b)。
そして約30年前、日本野生動物医学会が創立され、熟語「野生動物医学」がすっかり定着したように思えます。北海道新聞2026年1月25日14面によると、この学問名称を提唱したのは、当時北海道大学教授・坪田敏男氏とあります。この語源にFowler and Miller (1978)のWild Animal Medicineの漢語化であったと想像されます。

野生動物医学の名称を冠した専門施設の誕生と消滅

2004年、私が運用することになった酪農学園大学附属動物病院野生動物管理棟(仮)を野生動物医学センターという運用名にしたのも、誕生して10年が経過し、日本で定着しつつあった「野生動物医学」を冠しました。

しかし、2023年運用停止となり、約20年間の歴史にピリオドを打ちました。もちろん、建屋は残ります。現在、犬猫愛護施設に改修されたようです。
なお、「野生動物医学」名を冠した国内専用施設は「奄美野生動物医学センター」があり、当サイトでも紹介されています。

獣医学の力で奄美の野生動物を救う~奄美群島初の野生動物専門治療施設~ – いきもののわ

こちらのセンター長である新屋 惣先生は日本野生動物医学会認定専門医でもあり(詳細は以下URL)、御活躍が期待されます。
https://sites.google.com/view/jczwm/

平成・令和の法獣医学へ

私が運用した施設で行った活動は、以下のようなに可能な限り公表し、記録に残しました(その一覧pdfは以下URL)。
https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/2000041

その中の拙著『野生動物の法獣医学』で示した内容に関連する内容のごく一部を、本連載で紹介しています。

獣医学/獣医療全般の中の「法獣医学」を振り返りると、次のような流れになります。
家畜/公衆衛生上の悪質事案を取り締まるため、刑事法(犯罪と刑罰に関する法規範)を伴った形で明治期に誕生し、警察獣医(前編にて紹介)という職域が活躍しました。後年、これらは農林系と厚生系でそれぞれの法規に分化・特化し、明治の警察獣医と法獣医学は消えました。
ちなみに、明治期の法獣医学の主動的な領域は、今日の家畜(動物)/公衆(食品)衛生学の理論・技術が多用されていました。そこで従事するのは警察獣医ではなく、公共獣医事を担う公務員獣医です。

平成・令和となり、世界的な動物福祉の潮流に迎合する形で、環境系の動愛法(動物の愛護及び管理に関する法律等の一部を改正する法律)が刑罰法を伴った形で強化され、法獣医学の再興となりました。この法には虐待では体(生・死体)に与えられた損傷を客観的に証明する必要性があり、そこで活躍する科学が病理学でした。この病理学が変質した死体の前では応用できず、死因解明が困難になるという点は前述しました。
愛護動物に対する虐待の社会的関心度が高いため見落とされがちですが、動物福祉やアニマルウェフェア事案とは異なる違法取引の物品鑑定でも、法獣医学は応用されます。また、不適切な野生動物の駆除や密猟等も、同じく環境系の法律である鳥獣保護管理法(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)等に違反します。
これも、誰もが納得する形に証明しなければなりません。この場合も法獣医学が応用されています。その際、具体的な検査では、分子生物学や毒性学導入等が重要です。なお、今回言及した毒物や愛護動物等は本連載で触れております。この機会にバックナンバーを探ってください。

おわりに

獣医療術と獣医学・獣医科大学の歴史と野生動物医学(保全医学)、ならびに法獣医学の関連性を概観しました。法獣医学は、明治時代に動物(家畜)/公衆衛生面から必要に迫られ産み出され、平成・令和となり愛護動物虐待の解析に生まれ変わりました。その背景を獣医療史から見ていきました。

次回は、具体的で身近な事例(たとえば、建造物へのバードストライクや迷惑行為など)を扱い、身の回りで起き得る法獣医学を感じていただこうと思います。

[参考文献]
浅川満彦、保全医学に関する専門教育の現状と今後、酪農学園大学紀要、自然科学、32 (2): 169-178、2008年a、https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282813678973824
浅川満彦、国内外における保全医学およびこれに関連する分野の専門職大学院最新情報、野生動物医学会ニュースレターZoo and Wildlife News、(26): 10-13、2008b、https://rakuno.repo.nii.ac.jp/records/3586
日本実験動物学会、日本獣医学発展史年表(2001)
https://conf.adthree.com/exanim/50nen/data/jui.htm(2026年7月24日閲覧)

【執筆者】
浅川満彦(あさかわ・みつひこ)
1959年山梨県生まれ。酪農学園大学名誉教授、獣医師、野生動物医学専門職修士(UK)、博士(獣医学)、日本野生動物医学会認定専門医。野生動物の死と向き合うF・VETSの会代表として執筆・講演活動を行う。おもな研究テーマは、獣医学領域における寄生虫病と他感染症、野生動物医学。2026年5月に環境省自然環境局長賞受賞。主著『野生動物医学への挑戦 ―寄生虫・感染症・ワンヘルス』(東京大学出版会)、『野生動物の法獣医学』(地人書館)、『図説 世界の吸血動物』(監修、グラフィック社)、『野生動物のロードキル』(分担執筆、東京大学出版会)、『獣医さんがゆく―15歳からの獣医学』(東京大学出版会)、分担執筆分として『新獣医学辞典』、『犬の内科臨床Part2』、『神の鳥ライチョウの生態と保全』、『獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠寄生虫病第3版』(以上、いずれも緑書房)、近刊として『君たちの保全医学―地球環境を守るために知り・学び・変わる』(文永堂)

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