これまでの本連載では、イギリス各地の牧場や農業ショーを紹介してきました。最終回の今回は視点を日本に移し、熊本県阿蘇地域で行われている「あか牛」の放牧について紹介します。

阿蘇の草原は、日本では珍しい大規模な草地景観として知られていますが、自然に成立したものではなく、人の手によって維持されてきたものです。春の野焼きや放牧によって更新され、森林への遷移を防ぐことで草原が保たれています。野焼きは、焼畑農業のように土地を利用転換するものではなく、草原を維持するための管理作業です。
※野焼きについては下記を参照ください
https://www.env.go.jp/park/aso/effort/aso_1/index.html

この草原で飼育されているのが、褐毛和種、いわゆる「あか牛」です。ここでは、仔牛を産ませるための母牛(繁殖牛)が飼育されており、その飼養方法としてよく知られているのが「夏山冬里方式」です。春から秋にかけては牛を山で放牧し、冬になると里に戻して舎飼いに切り替えます。


また、阿蘇では繁殖牛を牧野に預けて管理する「預託放牧」が広く利用されています。農家が所有する母牛を地域の牧野に預け、牧野組合などがまとめて管理する方式で、個々の農家が広い草地を維持する必要がないという利点があります。このような仕組みによって、広大な草原の維持と牛の放牧が両立されています。実際に、草原では牛が場所を変えながら草を選んで食べ、一定時間ごとに休息や反芻をする姿を見ることができます。舎飼いとは異なり、行動の選択肢が広い環境であることがよくわかります。

一方で、阿蘇のあか牛は繁殖牛だけでなく、肥育牛の飼育(肉用の牛として出荷できる状態に育てること)でも特徴的な取り組みがみられます。たとえば、「阿蘇のあか牛・草原牛プロジェクト」では、放牧を取り入れた肥育が行われています。一般的な和牛肥育のように穀物中心で短期間に仕上げるのではなく、草資源を活用しながら時間をかけて育てる方法で、肉質や生産効率の点では従来の方式とは異なる特徴を持っています。
※阿蘇のあか牛・草原牛プロジェクトについては、下記を参照ください
https://www.sogen-akaushi.com/

また、私が所属している東海大学農学部でも、阿蘇地域であか牛の放牧飼養をしています。草原環境を利用しながら牛を管理し、成長段階に応じて飼養方法を組み合わせるなど、阿蘇地域ならではの飼育が行われています。あわせて、放牧環境下での行動や管理に関する研究も進められており、こうした取り組みが知見の蓄積にもつながっています。
※東海大学農学部でのあか牛研究については、下記を参照ください
https://www.u-tokai.ac.jp/news-campus/1362130/

あか牛の肉質は、黒毛和種と比較すると脂肪交雑が少なく、赤身の割合が高いのが特徴です。霜降り肉とは異なり、適度な脂肪としっかりした筋肉のバランスを持ち、あっさりとした味わいの中にうま味を感じるタイプの肉です。私個人の好みとしては、脂の強い霜降り肉よりも美味しいと感じています。
そしてあか牛は、黒毛和種と比べるとビジュアルが大きく異なります。黒毛和種は、遠目には黒いシルエットだけが認識されることが多いのに対し、あか牛は草原の中でその姿がよく映え、美しく感じられる家畜です。スコットランドのハイランドキャトルのように、家畜そのものが地域の象徴として観光やグッズに活用されている例を見ると、あか牛もそうした形での発信の可能性があるのではないかと感じます。


本連載で紹介してきたイギリスの牧場と比較すると、阿蘇の放牧は地形や気候、管理の仕組みなどに違いがありますが、地域の資源を活用しながら家畜を飼養している点は共通しています。日本では舎飼いの畜産が一般的ですが、阿蘇のように放牧を基盤とした生産が現在も続いています。海外の事例とあわせて見ることで、畜産のあり方にはさまざまな選択肢があることが見えてきます。
※阿蘇の草原の多くは私有地であり、放牧地に立ち入ることはできません。家畜の管理や衛生面、事故防止の観点からも、決められた場所から見学することが必要です
この連載も今回で最終回となります。家畜が暮らす環境の豊かさや、家畜の魅力を少しでもお伝えできていれば幸いです。

【文・写真】
伊藤秀一(いとう・しゅういち)
東海大学農学部動物科学科教授、家畜写真家。1972年東京都生まれ。麻布大学獣医学部環境畜産学科卒業後、麻布大学博士課程修了。北海農業研究センターなどの研究所での勤務を経て、現在は熊本県の東海大学農学部で農用動物と動物園動物の行動およびアニマルウェルフェアを研究している。2019年に1年間、スコットランド農業大学 動物行動学・福祉学チームへ留学。著書に『まきばなかま』(東海教育研究所)、『動物福祉学』(共著、昭和堂)、『動物行動図説』(共著、朝倉書店)、『畜産』(共著、実教出版)など。
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