そのシカを紐解く【第3回】大阪のシカはどこから来たのか?

2026年3月、大阪の市街地にシカが現れ、ニュースを騒がせました。「シカやん」と名付けられたこのシカを、覚えている方も多いのではないでしょうか。

目撃されたルートから、奈良方面からやって来たのではないかと噂されていました。しかし、人の目についた場所だけをたどっても、シカの出身地まではわかりません。今やシカは奈良だけでなく、全国各地で数を増やしているからです。

この連載では、書籍『そのシカ、どこから来たと思います?』(兼子伸吾 著、緑書房、2026年)の一部を抜粋・再構成しながら、ニホンジカという動物の意外な姿を紐解いていきます。

今回は、大阪に現れたシカのDNAを手がかりに、奈良のシカを取り巻く「変化」を見ていきます。

大阪のシカのDNAを調べたら

岩﨑はるか)「大阪のシカについて、どこから来たか調べるためにDNAの調査が行われたんですよね?」

兼子伸吾)「はい。解析した結果、奈良市内から来ているということがほぼ確定しました。でも、必ずしも奈良公園から、とは言えないんです。」

岩)「奈良公園以外のシカでも、奈良公園のシカたちと同じ遺伝子型を持っているということでしょうか?」

兼)「そうなんです。1,000年以上孤立してきた奈良公園のシカは今、過去1,000年に経験したことのない局面に立たされています。」

1,000年以上にわたって周囲のシカとほとんど交わらずにきた奈良のシカに、何が起きているのでしょうか。
そして、大阪のシカが奈良のシカだったことは、どんな未来を表しているのでしょうか。

どこまでが「奈良のシカ」?

そもそも「奈良のシカ」とは何を指すのでしょうか? 少し前までは奈良市やその周辺にはシカが生息していなかったので、おおむね奈良公園のまわりのシカを「奈良のシカ」ということができました。

しかし、そのような状況は大きく変わり、奈良公園から周辺の農地や山々に連続的にシカが生息するようになっています。奈良公園のシカが公園を出て、広く拡散していったのでしょうか。それとも、他の地域で生まれたシカが分布を拡大して、奈良公園に近づいてきたのでしょうか。

この疑問に答えるために、奈良公園のシカとその周辺地域のシカの遺伝的な特徴についての調査が行われました。その結果、奈良公園から周辺に広がっていることにくわえて、奈良県外に起源をもつシカが奈良公園周辺にやってきていることがわかりました。2019年以前の調査では、奈良公園に祖先をもつシカは、公園の中心部からおよそ10キロメートル以内の範囲で確認され、奈良のシカとは異なる系統のシカも、公園の中心部から5キロメートルくらいのところまでやって来ていました。

つまり、1,000年以上も交流が途絶えていた奈良公園のシカとそれ以外のシカが、今や奈良公園から5〜10キロメートルくらいのところで共存しているのです。奈良のシカはS4という少し珍しい遺伝子型を持っていますが、外からやってきたシカと同じニホンジカです。当然、交配して子孫を残すことができます。奈良公園のシカの成立に大きな役割を果たしてきた奈良公園集団の孤立は、すでに過去のものとなっているのです。

大阪のシカのDNAが示す未来

大阪で捕獲され、今は能勢町で飼育されている「シカやん」(撮影:高木俊人)

さて、大阪のシカの話に戻りましょう。大阪市街地を歩き回っていた個体の糞を採取し、ミトコンドリアDNAを調べたところ、奈良公園にいるシカたちと同じS4というタイプを持っていることがわかりました。

ただし、S4を持っているからといって、奈良公園から直接やってきたとは限りません。先ほど紹介したように、奈良公園に祖先をもつシカは、すでに公園の外へと広がっています。S4を持っていたことで、この個体が奈良市内から来たことはほぼ確実と言えますが、奈良公園で生まれた個体なのか、その周辺で生まれた個体なのかまではわかりません。

現在、奈良ではシカの数が増え、生息する範囲も広がっています。今回の個体が奈良市内から大阪市内まで移動してきたことは、例外的な出来事とはいえないでしょう。奈良公園の周囲30キロメートル圏内では、今後も今回のようにシカが出没する可能性が高いと考えられます。

おわりに

大阪の街に現れた1頭は、単なる珍しい迷いジカではありませんでした。この個体のDNAからみえてきたのは、1,000年以上孤立してきた奈良のシカが、今や奈良公園の中だけでは捉えられない存在になっているということです。

実際に、2026年7月には、これまでシカが見られなかった地域にシカが現れ、奈良の鹿愛護会の職員が奈良公園に誘導する様子が相次いで報じられました。シカが市街地を歩く光景もあたりまえになってしまう未来が、もう始まっているのかもしれません。

さて、次回はシカとつながりを持つさまざまないきものたちについて紹介します。シカが増えたり減ったりすると、植物や昆虫など、まわりのいきものにも変化が起こります。シカは他のいきものに、どのような影響を与えているのでしょうか? 次回をお楽しみに!

本記事のように、シカのDNAを調べることで判明した驚きの事実とともに、シカといういきものの興味深さを語り尽くす一冊『そのシカ、どこから来たと思います?』は、2026年5月29日より全国の書店やネット書店などで販売されています。

【執筆者】
岩﨑はるか(いわさき・はるか)
サイエンスライター。専門家の言葉を、わかりやすく、かつ正確に伝えることを心掛けながら執筆している。
X:@iwasakiHar458

【監修】
兼子伸吾(かねこ・しんご)
DNAからいきものの過去と現在を読み解く研究者。福島大学共生システム理工学類教授。1978年静岡県磐田市生まれ。広島大学大学院国際協力研究科を修了後、京都大学大学院農学研究科を経て、2012年より福島大学にて研究や教育に従事している。少しかわったいきものの研究の他、絵本を使ったユニークな授業などにも取り組んでいる。座右の書は『MASTER キートン』。
X:@skane_Fukushima

【写真協力】
高木俊人(たかぎ・としひと)
神戸女学院大学 生命環境学部 専任講師。ニホンジカをはじめとした野生生物の進化史や集団構造の変遷を明らかにするための研究を行っている。

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